ななめ女

 学校からの帰り道、同じクラスのキョウ子ちゃんが言った。

「ねえ、サッちゃん。『ななめ女』って知ってる?」

 わたしはそんな人の名前は聞いたことがなかった。

「ううん、知らない」

 するとキョウ子ちゃんはいっしゅんニヤッと笑ったかと思うと急に怖い顔つきになって声をひそめた。

「出るらしいよ、この近所に」

「出るって、その『ななめ女』が?」

「そう。日が暮れてだんだん薄暗くなってきた、ちょうど今くらいの時間になると女があっちから歩いてくるんだって」

「ふうん」

「その『ななめ女』はね、読んで字の如く体がぜんぶななめになってるの」

「なにそれ?」

 わたしは思わず吹き出してしまった。

 キョウ子ちゃんも半分笑いながら、でも半分は本気の顔で続けた。

「おっかないのはこの先。その『ななめ女』を見たらさいご、その人も『ななめ女』になっちゃうんだってさ」

「うそお?」

「ほんとよ」

「あ、でもどうなの。『ななめ女』ってことはそれを見たのがもし男の人だった場合はそのときは『ななめ男』になるの?」

「さあ、それは知らないけど」

 キョウ子ちゃんは口をとがらせた。

「へーんなの」

「だからね。もし万が一『ななめ女』を見たら……」

 キョウ子ちゃんがそう言って両手を上げたところで別れ道に来た。

「ま、いいや。もう暗いから。また明日ね」

「うん。またね」

 わたしとキョウ子ちゃんはそれぞれ別な道を走って家に帰った。


 ザリガニ捕りは思いのほか白熱した。

 気が付けば池に垂らしたスルメの先が見えなくなっていて、見上げると薄暗い空にカラスが羽ばたいていた。

「もう帰ろ」

 キョウ子ちゃんと捕ったザリガニは合わせて10匹。そのうちの元気な5匹を水そうに入れて、乾かないように水も入れて二人で代わりばんこに抱えていった。

 誰もいない空っぽの家の角を曲がったところで向こうから人が歩いてくるのが見えた。髪の長い人だから女の人だった。帽子をかぶっているようにも見えた。

 さらに数歩進んだところでキョウ子ちゃんが立ち止まった。

「ねえ、あれ……」

 なんだか声がふるえていた。

「え?」

 わたしは振り返らずに言った。それよりも前から歩いてくる女の人から目が離せなかったからだ。

「サッちゃん!」

 キョウ子ちゃんが後ろから大きな声で叫んだ。振り向くとキョウ子ちゃんは両手を顔の横にピッタリくっつけていた。ちょうど両耳をふさぐみたいにして。

 また前を見ると女の人がどんどん近づいてくるのが見えた。先日のキョウ子ちゃんの話が頭に浮かんだけれど、その人はちっともななめじゃなかった。

「平気だよキョウ子ちゃん。『ななめ女』じゃないよ」

 もう一度振り返って見ると、キョウ子ちゃんはとても恐ろしい顔をしていた。

「サッちゃん! こうして!」

 キョウ子ちゃんのマネをしようにもわたしは胸に水そうを抱えていた。

 少し変な感じがした。

 ていうかキョウ子ちゃんの方こそなんだかななめになってるんじゃない?

 よく見ればキョウ子ちゃんだけではない。その横のブロック塀も電信柱も……。

 わたしは前を向いた。女の人はやっぱりまっすぐだった。なあんだ。

 でも、女の人以外、道路も家も、その家に生えた高い木も、ぜんぶがななめになっていた。そして、女の人が近づくにつれ景色はどんどんとななめになっていった。空を這う電線も、カラスも。

 もはや目に映るあらゆるものがななめだった。空も、雲も、ぽっかり浮かんだ月も……。

「サッちゃん! ダメ!!」

 女の人はわたしの目の前にいた。この人だけはまっすぐだった。そして、わたしに向かってニッコリと笑った。とてもまっすぐな笑顔だった。

 わたしの手から水そうの水がドバドバとこぼれていた。

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