電車を待つ
電車を待っていると隣に女性が座った。
端正な顔つきをした髪の長い人だった。
化粧っ気は無く、着ているものと言えば地味な黒のTシャツにスカート。
羽織った真っ白なジャケットは見たまんま白衣で、いかにも科学者といった
風情だった。
彼女は何も言わず、じっと前を見詰めていた。
私もまた、何も言わなかった。
ほとんど明かりの無い暗闇の中に、彼女の顔はぼおっと浮かんでいるように
見えた。
辺りは寒々としていた。
私と彼女の他には誰もいなかった。
ジイイイイ……。
どこかで音が鳴った。
警笛にしては粘り気のある、妙に耳にこびりつく音だった。
虫の鳴き声のようにも聞こえた。秋の虫がこの世を名残惜しんでいるかのよ
うな……。
ジイイイイ……。
遠くで赤や黄色の光が明滅していた。
それらがいったい何の信号なのか、私にはとても分からなかった。
隣の女性はときどき目を細めた。あたかも光そのものを慈しんでいるかのよ
うだった。
――何が見えますか?
もちろんそんなことを私は口にしなかった。
口にしようにも私の唇は既に前に突き出し、固く閉じたまま開かなかった。
彼女が座った体勢のまま私の前に回り込んだ。
どうやら彼女の座ったイスにはキャスターが付いているらしい。
そうして胸のポケットから小型のライトを出すとスイッチを入れた。
――病院で検診でも受けるようだな。
そんな私の内心に気を払うことなく、彼女は強い光を私に向けた。
私と彼女とを隔てる分厚いケースに反射して、光は四方へ散った。
そして、彼女は上から下まで私を検分してからはっきりと私に聞こえるよう
に言った。
「経過は順調です。体の脇には小さな窓も出来はじめています」
彼女はライトの灯りを私の脇腹にあててしげしげと中を覗き込んだ。
「ほら、客席もだんだんはっきりしてきました」
私は首が動かせないのでその私じしんの中に出来つつある客席を見ることは
出来なかった。
言われてみれば私の中の空洞が僅かずつ盛り上がってきている、そんな気は
した。
「完全な電車になるまであと3週間といったところでしょうか。もう少しお待
ちください」
彼女はライトを消すとイスの背もたれをギイッと鳴らした。
私は待つしかなかった。
この薄暗い部屋で、透明なケースに閉ざされて、ひたすら待つしかないの
だ。
立派な電車となるその日のために。
小さなライトが再び点けられ、私の両側をまばゆい光がゆっくりと舐めた。
「両腕の車輪も軸に対してブレがありません。体幹がしっかりしていらっしゃ
るおかげです」
私は褒められているらしい。恐縮ですと言葉を返す代わりに身を縮めた。
電気系統はまだ不完全であるが連結部は動かせる。
ちょうど腰の辺り、第八車両と第九車両とのあいだをゴトゴト揺らした。
彼女は、まだ無理なさらずに、と少したしなめるような口調で微笑んだ。
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