第2話

玄関で話すのもなんだから、と夢香里は自室に結夢を招き入れた。そう広くない部屋は小綺麗に整頓されていて、まるで客人の来訪を事前に察知していたかの様でもあった。


「……突然こんな時期に来て、のっぴきならない事情でもあるのかい?結夢」

「なんでかは分からないけど……何故かここに来なきゃいけない、って思ったの。いきさつを話すのに、いくつか嘘っぽいものもあるかもだけど……でも全部、本当の事」

「妖怪、とかかい」


夢香里は夢乃以上に勘が鋭い。そればかりか、若い頃の美貌たるやその辺にいる感じがしないほどである(結夢は写真で何度か見たが、純日本人っぽくないエキゾチックな顔立ちであった)。


「……うん。まさにその妖怪なんだ。私の周りに、あんなにもいるなんて最初は私も信じられなかった。仲良くしてる妖怪もいるけど、あんまりな人も多くて」

「だろうね。奴らは全部が全部、人の事を良く思ってる訳じゃない。どんな川にも、流れを阻む石があるのと同じだね」


祖母はオカルト好きである。年代的に、学生の頃はさぞ色々苦労した事だろう。

好きが高じて、若い頃はオカルト雑誌にコラムを執筆したり寄稿したりするフリーライターであった。男性が多かった中、そっち方面に行く女性はそれほど多く無かった為新鮮であったと聞く。

オカルトに触れていた時間が長かった事もあってか、未だに霊的なもの、魔術的なものに寄せる信奉は厚く、妖怪についても明るい。


「妖怪は人の気持ちが創り出したものだ。感情を失わない限り、彼らは私達と共にあり続けるだろう。人が生み出したんだから、人に似てくるのも訳ないさね。派閥をつくってみたり、それでみみっちいケンカしたりね」


妖怪にも派閥があるのか……と関心しかけて、本題をふと思い出した。

危うく流されそうになるのを踏みとどまって、結夢は本題をふっかけてみる。


「……で、お祖母ちゃん。私の行ってる高校で事件あったのは……知ってるよね?」

「ニュースで見たねぇ。見たところ瘴気か何かだろうかね……猫が使いそうな手だよ、まったく」

「あの瘴気って奴、普通の人が吸ったら意識障害が出てくるって……クラスの子達だって、あれから何日も経ってるのに気絶したままみたいだし…………。

なのに私、なんで何も無かったんだろうって。発生元に一番近かったはずなのに、なんで私だけ?」

「仕方ないね────」


夢香里は突然立ち上がり、曲がっていた腰を伸ばしてスタスタ歩き出した。

異様な光景に驚愕したまま思考が停止する。


「本当なら3年後に、アンタに教えるっていう約束なんだけどね────」


夢香里はそれまでの老婆の姿が嘘の様に、軽やかな足取りで重そうな木箱を取って戻ってきた。

その箱には『之元服刻可赦開封』と達筆で記されていた。相当古そうだ。


「これは夢乃も、20歳になった日に中を見た。予め言っておくけれど、どうか悲観しないどくれよ」


祖母の忠告の意味を完全には理解出来ぬままだったが、結夢は手を伸ばして木箱のフタを取った。


相応の恐怖もあった。だが結夢の探究心、好奇心は他の感情を喰らうほどに大きくなっていた。今彼女は知識への欲求そのものとなって、禁断の果実に手を付けたのである。




中身を簡単に言うなら、一冊の古い本と銅で出来た鏡だった。本の方は題を見て分かった。

「……【今昔絵図続百鬼】……」

「鳥山石燕が書いた妖怪の文献だよ」

「この鏡は?」

「……それを知ったら、本当に戻れなくなるよ」

「戻れなくなるって────何処に?」

「今のアンタに、だね」


しばらくの無言。結夢は恐ろしくて声が出なかったのである。

それもそうだ。彼女はもう、既に薄々気付いているのだから。

高校での一件で出た疑念は、木箱の中身を見て可能性となり、この本で以て確信へと変わってしまったのだから。


「……どうすれば良いの」

「どうしようもない。私の一存でどうこう出来る様な事じゃないからね」


結夢はまだそう長くない人生の中で体験した事のない分類の恐怖に泣き崩れるしか無かった。

そう順応力は高くない。未知の者達に対しての理解が追い付いていなかっただけだった。

そして結夢はこの時、背後からやって来た理解にまくし立てられるようにして、否応無く選択を迫られてしまったのである。

真実を拒むか、虚偽を受け容れるか。

二つに一つとも取れるこの選択の前で、結夢は選択すら拒んだのである。


「……アンタが気付きかけてる事も、私は分かっていたさ。だけどね結夢。どちらにせよ、いずれこうなる時は来たんだ」


背中を撫でながら言う夢香里に、結夢は嗚咽して応えられない。


「……今日は泊まっていきなさい。その顔じゃあ、電車に乗るのも嫌じゃろうて」


結夢は慣れない土地で、こうして一晩を過ごす事になってしまった。

彼女に降り掛かった真実とは何だったのだろうか。この時はまだ、結夢ですら核心までは至っていないのであった。

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