いまどきのスマホ事情
「ねえサキ、あんたのスマホ、ユウジとおそろいでしょ?」
「そうよ。それがどうしたの?」
「私もね、彼とおそろいのスマホにしたいんだけど」
「それで?」
「彼はね、使い勝手が変わるから今のままがいいって言うの。だから私が機種変しようかな、って思ってるんだけど」
「でもマドカ、こないだ機種変したばかりじゃないの?」
「そうなのよ。だから問題なの」
鎌倉市にある女子高。その教室の片隅で昼休み、クラスメートのサキとマドカはそんな他愛もない話をしていた。
「それにしも、マドカに彼氏ができるなんてね」
「どうして? 私だって普通の女子高生よ」
「あんたを昔から知ってる私としては、意外も意外。ここ最近、急に色気づいてきたと思ったら、あっという間に彼氏なんか作っちゃって」
サキとマドカは小学生以来の幼なじみだった。昔からちょっと洒落っ気のあるサキに対して、マドカは男の子と一緒にサッカーをしたり運動場を駆け回ったりと、ボーイッシュな感じだった。そのマドカに彼氏ができたのは2ヶ月ほど前、近くの男子校の文化祭に行ったとき。サキの彼氏であるユウジは、そこの生徒だった。ちょっとした冗談のつもりでユウジの友達のリュウセイを紹介してみたところ、どういうわけか気が合ったみたいで、トントン拍子に付き合うことになったのだ。
「そもそもあんたのスマホさぁ、Androidでしょ」
「そうよ」
「うちのクラスでAndroidなんて、マドカだけだよ」
「だから、彼と同じiPhoneに変えようかなって」
「なんで最初からiPhoneにしなかったの?」
「うちの両親が二人ともAndroidだから……。わたしもさほどスマホに興味なかったし、なんでもいいかなって思ったの」
「それが、彼氏ができると変わっちゃうのね。でも簡単じゃん。iPhoneに変えれば?」
「さっきも言ったように、機種変したばかりなの。それをまた変えると、いろいろとお金がかかるしょ」
「あんたとこ、お金持ちじゃん。それぐらい平気でしょ」
「それが、そうでもないのよ」
「うそだぁ! お父さんは小説家だし、お母さんはお医者さんなのに」
「やっぱりサキはお嬢様だね。小説家だからお金持ち、医者だからお金持ちって言うのは、昔の話」
「そうなの?」
確かに、マドカの父親は小説家で、母親は開業医をしている。経済的には申し分ない家庭環境に思えるが、実際はそうでもない、と日頃から両親に聞かされている。話して良いものかどうか迷ったが、幼なじみのサキならいいだろう。
「たしかにお父さんは小説家だけど、今どき、小説家って全然儲からないらしいよ」
「でも、何冊も本を出しているんでしょ? それだけでも凄いって、うちのパパは言ってたよ」
「何冊って言っても、年に2冊ぐらいよ。それにほら、今はみんな本を読まないでしょ? サキ、本は読む?」
「ああ、それを言われると耳が痛い!」
「そうでしょ。だから、本を出しても発行部数が少ないらしいの。そこそこ売れている作家でも、1回で3万部ぐらいだって」
「3万部って言われても、多いのか少ないのか……」
「うちのお父さんは、それほど売れてないから、1回の発行部数は1万部ほどだって教えてくれたわ」
「ふーん。あんたのところ、親子で結構現実的な話をするんだね」
「うん。こういうことは知っておいた方がいいからって、きちんと教えてくれるの」
「それで、その1万部が全部売れたとして、いくらぐらいお金が貰えるの?」
「それ、印税っていうんだけど」
「インゼイ? どんな字?」
「もう、サキは何も知らないのね。こういう字」
マドカは黒板に行って「印税」と書いた。
「え、税金なの!?」
「違うって! 小説家が貰うお金をそういう風に言うの」
「変なの」
「言われてみればそうよね。語源はなんだろ?」
サキはスマホに向かって「インゼイ」と話しかけて検索した。
「ウィキペディアになんかいろいろ書いてある。ああ、もう読む気しない」
「もう、ググったんならそれぐらい読みなよ。ちょっと貸して……ふーん、音楽なんかも印税って言うんだ」
「やっぱり税金が関係あるの?」
「全然関係ないみたいよ。まあいいわ。その印税なんだけど、1万部発行したとして、全部売れなくても、発行した分だけの印税が貰えるシステムなんだって」
「え、それじゃあ、売れなかったら本屋さんが損するじゃん」
「損をするのは本屋さんじゃなくて、出版社。いいから、最後まで聞いて。印税っていうのは、だいたい本の代金の10%ぐらいだって、お父さんが言ってたわ。例えば、1600円の本を1回出すと、1冊につき160円。1万部で160万円」
「本を1冊書いてもそれだけしかくれないの?」
「そう。だから年に2冊出しても、300万円ちょっと。サキのお父さんのお給料より、うんと少ないんだから」
「へえ……意外。小説家って、ものすごい稼いでいるイメージ、あるじゃん?」
「だから、それは売れてる人。例えば、1万部がすぐに売れたとするじゃん? もっと売れそうだと出版社が判断すれば、もう1回、1万部発行するの。それを増刷とか重版っていうの」
「ゾウサツ? ジュウハン?」
マドカはあきれ顔で、黒板に「印税」と書いた横に「増刷」「重版」と書いた。
「なるほど。それはわかりやすいね。刷るのを増やすってことね。なんか、今日はすごい勉強した気分。その増刷をしたら、また追加で印税が貰えるってわけ?」
「そう。話題になって10万部とか20万部売れたらいいんだけど、うちのお父さんの場合、ほとんど増刷にならないから……」
「ふーん。小説家も今は厳しいんだ。うちの生徒も、ほとんど本を読まないもんね。ところで、お母さんの方はどうなの? クリニックやってるんだから、そっちは儲かってるんじゃないの?」
「そっちの方は話を聞いてもあまりわからなかったんだけど……でも、みんががイメージしているほど、儲からないんだって」
「なんで?」
「売上っていうの? 病院だから売上は変か……なんていえばいいのかな」
「ちょっと待って」
サキはそう言って、またスマホに話しかけた。
「あ、病院は診療報酬って言うんだって」
「そうそう、そんなこと言ってた。その診療報酬はそこそこあっても、それが全部利益になるわけじゃないでしょ」
「うんうん、それは、なんとなくわかる」
「うちのクリニックには看護師さんが4人ほどいるし、受付の人も2人雇っているから、お給料を払うのが結構大変なんだって。1年で何千万円にもなるって」
「うわぁ、それは大変」
「それに、診察に使う機械とか、すごく高いらしいの。そういうのを引いていくと、思ったほど手元にお金が残らないんだって」
「ねえ、なんか私たち、すごくオヤジ臭い話、してない?」
「もう、サキが聞いてきたんでしょ。ああ、どうしようかなぁ……お父さんは私に甘いんだけど、お母さんは厳しいから。ねぇ、いまiPhoneって、いくらぐらいするの?」
「知らないよ、そんなこと。私も買ってもらったんだから」
チャイムが鳴って昼休みは終わり。マドカは黒板に書いた「印税」「増刷」「重版」という字を、溜息をつきながら消した。
学校が終わって帰宅すると、早速、マドカは父親にスマホのことを話した。
「ええ? また機種を変えたいんだって?」
そう言ってマドカの父親は、丸いメガネの奥で目を大きくした。ぼんやりしていて、なんとなくお寺のお坊さんみたいな雰囲気だ。バリバリのキャリア・ウーマンのお母さんは、なぜこの人と結婚したんだろ、と時々思うことがある。
「うん、このAndroidじゃなくって、iPhoneにしたいの。クラスの子は、みんなiPhoneなんだから。私だけ、変でしょ?」
「別に変じゃないと思うけど。弱ったな。いまお父さん、あんまりお金がないんだ。今度書く小説のことで、こないだ、ちょっと取材旅行をしただろ? あれで使い過ぎちゃって……」
「それって、出版社が旅費とか出してくれないの?」
「出してくれる時もあるけど、今は、ほら、お父さんの本はあまり売れてないから……」
「そっか……じゃあ、お母さんに頼んでみるか」
「うん、でも、難しいだろうなぁ」
「やっぱりそうよね……。でも、ダメ元で聞いてみる。お父さん、援護射撃してよね」
「ははは、あんまり効き目はないと思うよ」
マドカは溜息をついて、父親の書斎を出た。
夕食時、マドカは母親にスマホのことを切り出した。案の定、帰ってきた答えはノーだった。
「だってマドカ、ついこないだ変えたばっかりでしょ? なんでそのときに言わないの」
「だって、そのときはあまり気にしてなかったから」
「ははあ、ひょっとして、リュウセイ君と関係があるのね?」
「違うわよ!」
マドカは顔を赤くして否定した。
「顔が赤くなってるじゃない。まあ、理由はなんでもいいわ。でもね、そんな自分勝手なこと、社会では通用しないわよ」
「わかってる」
「じゃあ、しばらく我慢しなさい」
「自分のお小遣いで買うのも、ダメ?」
「それならいいけど、マドカ、そんなお金持ってるの?」
そのとき、父親が言った。
「全額じゃなくて、少しだけならお父さんが出してあげようか?」
「ほんと?」
「ダメよ。もう、お父さんはマドカに甘いんだから。買うなら、全額自分で出しなさい。事務手数料とかもあるでしょ? それも全部。自分勝手を通すんだったら、それぐらいしなさい」
「……わかった」
「お父さんも、こっそりマドカにお小遣いあげたらダメよ。そうやって甘やかしたって、本人のためにならないんだから」
マドカも父親も、母親にそう言われてすっかりしょげてしまった。
部屋に戻ると、マドカは自分の貯金箱を開けてみた。少し前までは10万円ぐらいあったが、リュウセイとのデートでだいぶ使ってしまっていて、今は半分ぐらいしかない。これでは機種変できそうにない。あーあ、しばらく我慢するか……。
次の日曜日。マドカはリュウセイと若宮大路沿いにあるクア・アイナというハンバーガー店でランチを食べていた。マックと違い、ここのハンバーガーは高い。こういうことをしているから、貯金がどんどん減っていくんだなと思うと、なんか気が重くなってきた。
「マドカ、どうしたの? 今日は元気がないね」
「うん、ちょっとね……」
「悩み事? なんでも言ってよ。話、聞くから」
そう言ってリュウセイは穏やかに微笑んだ。見た目の雰囲気はジャニーズ系。それに一目惚れしてしまったマドカ。つい軽々しく付き合うことになって、マドカは少し後悔した。軽いチャラチャラした男だったら、すぐに別れようと思っていたが、見た目とは裏腹に、意外と物静かだった。本当かどうかわからないけど、女の子と付き合うのもマドカが初めてだと言っていた。
付き合い始めて、もう2ヶ月になろうとしていた。サキからは、もうそろそろキスぐらいはした?なんて聞かれるが、リュウセイは全然そんなことを迫ってくる気配はなかった。せいぜい、手をつなぐぐらいだった。逆に、それがマドカを少し不安にさせた。やっぱり私って、あまり魅力がないのかな? そんな不安もあって、せめてスマホぐらいリュウセイとお揃いにしようと考えたのだ。
「たいした悩みじゃないんだけどね。スマホのこと」
「え、スマホ?」
「うん。ほら、私のこれ、Androidでしょ? クラスでAndroidなのは私だけだし」
「それで馬鹿にされてるとか?」
「ううん、そんなことはないけど。リュウセイもiPhoneだし、私もそれに合わせたいなと思ったんだけど、最近、機種変したばかりだから、お母さんが許してくれなくて」
「うん」
「自分のお小遣いで機種変するならいいって、お母さんは言うんだけど、いま、そんなに持ち合わせがなくて」
「僕のiPhoneはSEっていうモデルだけど、これならそんなに高くないよ」
「いくらぐらい?」
「えっと、ネットで買うと5万ぐらいだったかな? 僕も親に買ってもらったから、詳しくは覚えてないけど、それぐらいだったと思う」
「やった! それなら買えそう! iPhoneのSEだっけ? ちょっと調べてみるね」
「ねえマドカ、今日元気がなかったのは、それが理由?」
「うん、でも希望が見えてきたから」
「あのさ、こんな言うのもなんだけど」
「え、なに?」
「今のAndroidじゃ、なにか困ること、あるの?」
「別に困らないけど……」
「じゃあ、そんなものにお小遣いを注ぎ込むの、やめたらどうかな」
「え……?」
「わざわざ、二人でスマホの機種を合わせる必要って、あるのかな? そう思わない?」
「……」
「変な風に誤解しないでくれよ。つまり、スマホをペアルックみたいにしなくても、その……」
「その、なに?」
「うん、ちょっと言うのが恥ずかしいけど、その、ほら、僕とマドカの仲がどうこうなるわけじゃないじゃん? それとも、スマホをペアルックにしないと、マドカは僕のことが嫌いになるの?」
「そんなこと、全然ないわよ!」
「だったら、今のままでいいじゃん。iPhoneとAndroid、ふたりで違うのを持ってた方が、ひょっとしたら楽しい発見があるかもしれないし」
「……それもそうね」
なんか私、馬鹿みたい。マドカはそう思って、少し恥ずかしくなった。それと同時に、ホッとしていた。初めてできた彼氏に嫌われないようにと、無理していた自分に気づいたのだ。リュウセイは、そんなうわべだけのことを気にするような男の子ではないらしい。スーッと肩の力が抜けていく感じがして、あらためてリュウセイのことを見直した。
「ん? 僕の顔に、なにか付いてる?」
リュウセイは、少し恥ずかしそうにそう言った。
「ううん、なにも。なんか私、馬鹿みたいだったね。ここんところずっと、スマホのことばかり考えてた。リュウセイにそう言ってもらって、すごく気が楽になったわ」
「いや、別にたいしたこと言った覚えないけど……それよりマドカさぁ、iPhoneSEを買えるだけの貯金、あるの?」
「ちょっと足りないけど、来月のお小遣い貰えば、なんとか」
「じゃあさ、その中から1万円だけ使って、僕に付き合ってもらえないかな?」
マドカはちょっと警戒した。なんだろう? 1万円、貸してほしいってこと? 怪訝そうなマドカの表情を察知したのか、リュウセイは慌ててこう言った。
「あ、勘違いしないでくれよ。貸してほしいんじゃないから。あのね、ウクレレ、一緒にやらないかなと思って」
「ウクレレ?」
「そう。こないだYouTubeで、たまたまウクレレの動画を見てたんだけど、なんかこの辺の海に合いそうだなって思って。マドカは昔、ピアノを習ってたんだろ?」
「ピアノは中1でやめちゃったけど」
「だけど、楽譜やコードぐらいは、まだ覚えてるだろ?」
「……たぶんね」
「その辺をちょっと教えて欲しいんだ。それで二人でウクレレ買ってさ、一緒に弾いたら、楽しいと思うんだけどなぁ」
マドカは少し考えた。ピアノは嫌になってやめた。もう音楽なんて真っ平、って思ったけど、リュウセイと一緒にウクレレを弾くのなら、楽しいかもしれない。そう、来年の夏、材木座の海岸で。スマホをiPhoneに変えるより、そちらの方が断然楽しそうだ。
「でもね、1万円でウクレレが買えるの?」
「そんなにいいのは買えないけど、僕らみたいなお金のない初心者向けに、安くてもしっかりした日本製のモデルがあるらしいんだ」
「へえ、そうなんだ」
「ねえ、今から見に行かない? 由比ヶ浜にウクレレ専門店があるらしいんだ」
「専門店って、なんか入りにくそう」
「そうでもないって口コミに書いてあった。僕らみたいな入門者でも、親切にアドバイスしてくれるって」
「そう。じゃ、行ってみようか」
二人はクア・アイナを出て由比ヶ浜へと歩いていった。今までのモヤモヤした気分が嘘みたいに、マドカは晴れやかだった。季節はこれから冬。ウクレレには、ちょっと似合わない。だけどその間に練習して、来年の夏はリュウセイと二人で何か一曲弾けたら、嬉しいかも。
マドカは自分のAndroidを取り出して、サキにこうLINEした。
「スマホの機種変、やめたよ。代わりにウクレレ、買うことにした」
これを読んだサキは、きっと不思議な顔をするに違いない。そう思うと、マドカはクスッと笑った。
「どうしたの? 思い出し笑い?」
「うん、ちょっとね」
晩秋の澄んだ青空の下、二人は仲良く手をつないでウクレレのお店へ歩いて行った。
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