Bメロ


 『メル・アイヴィー』は歌姫であり、世界を渡り歩く旅人である。好きで放浪しているわけではないが、そういう風に作られてしまったので仕方がない。

 私は自分が感じた思いや、抱いた願いを歌にして奏でる。そして、ほんの少しだけ世界を揺らしたら、自分の意思とは関係なく次の世界へと旅立つのだ。

 世界を変えようとか、誰かを助けようとかそういう大それたことは出来ない。するつもりもない。庭でひらひらと踊る蝶のはばたきのようなものだ。見ている誰かに何かを感じさせることくらいは出来るかもしれないが、その程度だ。

 空になったプリンの容器のタワーを尻目に、私は自虐的に話した。どう思う? 信じてくれる? それとも、妄想癖のある少女の病んだ妄想だって嗤う? あの時のわたしはきっと、酷い顔をしていたに違いない。


 でも。彼は私を否定することなく、


「うわあ、たくさん食べたねぇ。二十個以上あったのに、全部空っぽになるとは思わなかったよ」


 そう言って、楽しそうに笑うだけだった――



 パティシエさんと出会った、次の日。今日はこの世界の休日らしい。天気は良く、透き通るような青空に白い雲がゆっくりと流れている。こんな日は、公園とかでのんびりプリンが食べたくなる筈。きっと、彼のお店に大勢のお客さんが来てくれる筈。


 お店が開いていれば、の話だが。


「はーい、みんなー! パンもスープもたっぷりあるから、ケンカしないで並んでねー?」

「わーい! ありがとう、お兄ちゃん!」


 プリンのお礼として。私はなぜか、公園の一角で彼を手伝って炊き出しを行う羽目になってしまっていた。おかしい。手伝いって、てっきりお店の手伝いだと思ったのに。


「おねーちゃん、パンください!」

「え、えっと……どれ、がいい?」

「じゃあねー、そのチョコが入ったやつ!」


 わたわたと焦りながら、列を作って並ぶ子供達にパンを配る。それにしても、この子供達は一体何なのだろう。よちよち歩きの幼子から十代前半の少年少女まで、二十人弱は居るようだ。

 サイズの合っていないボロボロの服を着ていたり、靴を履いていなかったりとちぐはぐで。落ち着いた街並みの上品な雰囲気には、全くそぐわない装いだ。

 共通点があるとすれば、皆痩せこけている。加えて髪はぼさぼさで、清潔感もない。


「皆はね、ストリートチルドレンなんだ」

「ストリートチルドレン?」

「家が無くて、頼れる家族も居ない子供達さ」


 食事が一段落した後、私は彼とベンチに座って話をした。どうやら、この街からもう少し行くと都市の中心部に辿り着く。そこは人が多く、とても賑やかな都市。彼らは全員そこで生まれた子供達なのだそう。


「都市は人が多い反面、あまり治安が良くない。親は子供が生まれても育てられなくて、無責任にも路上に捨ててしまう。この辺りは孤児院などの施設も少なくて、対応しきれていないのが現状でね。いつしか住宅街であるこの街に、子供達が自然と集まってくるようになったんだ」

「そう、なんだ」

「僕も親無しの孤児院育ちだからさ。皆の為に何かしてあげたいと思うんだ。でも、上手くいかないことばかりでさ。結局、たまにこうしてご飯を作ってあげることしか出来てないんだよ」

「おにーちゃんのごはん、おいしいから大好き!」


 傍に寄ってくる子供達に笑いかける彼。なるほど、お店を休んでまで大量の食事を作っていたのはこの為だったか。

 なんて立派な心掛けなのだろう。何の見返りも無しに、ここまで出来る彼は凄い。疲れたから、と言って立ち止まって休んでしまった自分が恥ずかしい。

 負けられない。私も何かしたい!


「ねーねー、きれいなおねえちゃん!」

「き、きれい!? 私が?」

「うん。お顔も髪も、お洋服もとってもきれい! ねえ、ぼくたちと遊ぼうよ!」

「お、それは良いね。メルはお歌がとっても上手なんだよ」

「ちょっ」

「わー! そうなんだ、じゃあいっしょに歌おう!」


 ぐいぐいと手を引っ張られてしまえば、断ることは出来ない。仕方ない。子供達の輪に入れて貰おうとわたしが立ち上がった、その時だった。

 ふと、遠くからこちらの様子を窺う初老の女性と目が合った。思わず、背中に冷たいものが走る。

 どうして。私は生まれてから初めて、こんなに鋭く冷ややかな目を見た。


「…………」


 私達を睨み付けてから、足早に立ち去る老女。何だ、今のは。見間違いか? 息が詰まるような緊張感を覚えるも、子供達の声にすぐに掻き消されてしまい。結局、私は皆と歌を歌うことに全力を尽くすことになった。



「助かったよ、メル。皆元気いっぱいだからさ、一人で相手するのは流石にしんどくて」

「うん……確かに、疲れた。あなたは大丈夫? 少し、顔色悪い……かも」

「そ、そう? 僕は大丈夫だよ」


 夕方。公園で子供達と別れてから、私達はのんびりと家路を歩いていた。彼は大きな鍋、私は食器を両手に持って。

 吹き抜ける風がさらりと髪を弄んでいく。少し肌寒いが、遊び続けて汗ばんだ肌には心地良い。

 疲れた。でも、この疲れは今までの疲れとは違う。充実感があって、また明日も頑張ろうと思える疲れだ。


「また炊き出し、やろう。私も手伝う。今度はいつやる? 明日?」

「あはは……残念だけど、明日はちゃんとお仕事するよ。譲って貰ってる材料が多いとはいえ、結構痛い出費だからね。申し訳ないけど、炊き出しは休日だけのイベントさ」


 野菜や小麦粉などは馴染みの店から売れないものを頂いているが、それ以外の食材は彼が自腹を切って調達しているのだと彼は話した。なるほど、一回の炊き出しでも凄く手間がかかって大変なのだ。

 でも、何だか楽しい。この時間がずっと続いて欲しいと願ってしまう。それなのに、彼のお店はもう目の前だった。


「それなら、私も。そう、アルバイトとかして……あれ、何かお店のドアに貼ってある」


 おかしい。今朝は何も無かったのに。白い紙に、赤色の手書きの文字で何か書いてある。


「あ、これは……何でもないよ。メルは気にしなくて良いから」


 あはは、と笑いながら貼り紙を剥がす。彼は誤魔化しているつもりらしいが、紙にはこう書いてあった。


『面汚し。この街から出て行け』


「メル、早く中に入りなよ。お茶でも飲もう」

「あ、待って」


 どういう、意味だろう。良くない意味だというのは明らかだ。何だか、嫌だ。得体の知れない落ち着かなさに、私は逃げるように店の中に入った。


「ね、ねえ。その紙、どういうこと?」

「何でもないってば。ちょっとした悪戯みたいなものさ」


 笑いながら、貼り紙を丸めてゴミ箱に捨てる。何でもない。そう執拗に繰り返すが、何でもないわけがなかった。

 血の気が引いた、真っ青な顔。今にも壊れてしまいそうな、そんな――


「平気だよ。本当に、なんでもない……か、ら」

「ッ、だめ!!」


 ふらりと、まるで糸が切れた操り人形のようだった。床に倒れた彼に駆け寄り、慌てて抱き起こす。私は彼の名前を呼んだ。大声で、何度も呼んだ。


 ――チクタク。残り時間が音を立てて減っていく。


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