第22話 永遠に……3

 その後、私達はインドネシア諸島にあるB島にいた。若いカップルのハネムーンにちゃっかり付いてきたのである。

 だが、その旅行が平穏無事であるはずもなかった。ジェット旅客機のなかではハイジャックに会い、すったもんだの末に彼らを幽霊の力で改心させてしまった。これは偶然が生んだ人助けだったが、それがぶちこわした結婚式のせめてもの罪滅ぼしになったかどうか。私達にすれば、ふたりの時間を1分でも無駄にしたくはないというただそれだけのことだった。


 長い飛行の途中、空中に羽衣を浮かべまどろんだ。そのとき私は美しい南国の夢をみた。

 日が西に傾きはじめた昼下がり、フェニックスの樹の下で、リマは疲れを癒すように私の膝にもたれていた。そのやすらかな寝顔をながめながら人としての本当の幸せを感じた。しかし、それが再び失われることを思うと、息をすることさえ苦しくなった。そこで彼女の美しい眠りを醒まさぬようにそっとそばを離れた。

 涙をこらえながら自然のやさしさにつつまれ、生きることの喜びと悲しみとを同時に噛み締めていた。その時ある光景に出会った。

 睡蓮のある池だった。開花の時期ではないが、モネの名画が思い出された。常緑の葉波がさわやかに風にそよいでいる。ここは鳥と緑との生い出ずる天地である。風の通路なのだろうか? 山がしなやかに揺れている。朽ちた樹木が止まり木になっているのが、時の重圧を感じさせた。

 よく見ると、恋人が倒木に腰掛けて長い黒髪を梳いている。(彼女は、木陰で眠っているはずなのに!)声を掛けようとしたが、その姿があまりに美しく愛らしいので、息を殺してじっと見つめていた。

 恋人は水面を鏡のようにのぞきながら髪をととのえ、素足を水につけていた。羽衣がうすく青色を映し、まるで水の精が日溜まりでからだをあたためているようだった。・・葉群が美をつつむようにさやぎ、そのまま彼女を別天地へ連れ去ってしまいそうだった。

 光の花びらがふと開き、乙女に愛の在処を教えている。鳥がはばたき、水面が揺れる。風はささやき、草花は微笑む。そして彼女は、自然のエキスが生んだ醇乎たるヴィーナスの化身だった。

 恋人は鳥や草木の言葉を話すように万物にむかって微笑んでいる。見ているとなぜか無性に泣けてくる。それは、無垢なるものに触れたときに魂が感ずる歓びの共感だった。

 心には自然の音律を尊ぶ清らかな琴線がある。恋人の麗姿は、その弦をかろやかに爪弾いて地上に天上の音楽を現出させた。その快い響きを堪能していると、突然彼女はわれに返ったように身支度をして小鹿のようにその場を立ち去った。

 溜息がもれ、ゆっくりと来た道を戻った。木陰にもどるとリマはまだ眠っていた。すると、あの恋人の姿は、私がイメージした彼女の秘密の姿だったのだろうか。そう思ってふと目がさめた。

「夢か」

 となりにいる彼女はしかし夢ではなかった。美しくやすらかな寝顔だった。無邪気で無防備で天使のような・・。

 私の熱いまなざしにリマは目覚めた。微笑がかえり彼女はささやいた。

「夢を見ていたわ」

「どんな?」

「ふと目を覚ましたらあなたがいないの? 不安になって探したら、とても奇麗な池に出たの。まるで神さまの腕の中にいるような気がして、とてもすてきな気分になったわ。天国にいるような気持ち・・。でも、あなたのもとに帰りたくて急いで樹の下に戻ったの。でも、あなたはいない。泣きそうになったら足音が聞こえてきた。寝たふりをしていたら、あなたの温もりを感じて、ほら、目が覚めたのよ」

 私は言葉のかわりに強く彼女を抱きしめた。でも、夢の話はしなかった。夢までも共有している恋人にさらに深い愛情を感じ、記憶を宝物のように胸に刻み、永遠に彼女を愛し続けることを誓った。

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