第17話 恋のCOSMOS-4

 気がつくと私達は、白い帆船に乗って空中に浮いていた。天空に近づけば、三面鏡をのぞいたようにどこまでも星の広場に吸い込まれていくような陶酔を覚えた。天球の渦。幾千万の光。その一つひとつは、宇宙の四季をいろどる星の花園だった。

 あちらの森では樵が斧を打っている。こちらの河では漁師が網を投げている。あそこには織姫。花盗人も・・。透き通った河には魚が群をなして泳いでいる。花園には蜂や蝶々も飛び回っている。世界が透けたように広がっている幽遠な時空。光の色合い、風の音・・。西には葡萄畑、東には稲波が美しい。どこからともなく楽の音がひびき、祭りに興じる民族衣装の人々の笑顔が見える。しかも銃声は聴こえない。

 これは宇宙に潜むユートピアの原像だろうか? それとも、魔性が見せる甘い誘惑の幻だろうか? 感動の吐息をよそに、そこから真実の試練がはじまった。


花の球の風景は河の流れとともに遠のき行く手に黒い雲が立ちこめた。宇宙の塵のような小惑星が近づいてくる。軌道からみると突入は時間の問題だった。正面衝突を避けるように面舵をとったが、帆船は黒い流れに呑み込まれ強い衝撃に襲われた。

 船の周りには蝙蝠のように旋回している黒い影があった。ふたりにとって一番辛いことは何かを悟ったデーモンは不気味に笑い、つむじ風のように一瞬に女を連れ去った。

 女は恋人の名を呼んだ。船を急旋回させたが間に合わない。隕石が船の横腹を破壊した。私はとっさに空中に飛び込み彼女の後を追った。さらさらとした水のようなものが全身を包み、ふたりの距離は縮んだが、その努力を邪魔するものがいた。

 蜘蛛の妖怪が目に見えない糸で私をからみ地上へ追い落とそうとした。そこに天使があらわれ、光の剣で糸を斬り、私をつかみ天上へ引き上げようとした。千切れそうな痛みに耐えて恋人の名を呼んだ。光と闇との格闘のさなか、宇宙空間には菱形の割れ目が生じ、私は天使の力でそこに放りこまれた。


 それからは夢幻の境涯をあてもなくさまよった。底なしの墜落感・・。しかし、意識を失うことはなかった。幾何の直線が摂理のように時空をよぎり、夕焼けのように赤く染まり出した。その切れ間から音と形とが泡粒のように生まれはじめ、天地の象形文字となって八方を夢色に染め上げた。

 私は地獄の車を回し、奴隷のような苦役をこなし、分裂の感情を味わい、それでも自己を『無』と化してデーモンの包囲網を突破した。

 牡牛の骸骨。凹面鏡。

 運命の雫。赤い月夜のオリンピア。私はそこでも勝利した。

 やがて素朴なメロディーが角笛のようになり響き、その音に浄化され、鳩がとび、清らかな森と湖の情景が広がった。

 見ると、その淵から銀河は宇宙の大空間へ、東から西へ、左から右へと流れていた。

「俺は宇宙の裏がわを通ってここへ来たのか?

 この湖が銀河の果てなのか?」


 その時、遠くから恋人の声が聴こえた。天使が示したこの道は、彼女へといたる近道だった。若い女はセピア色の船の帆柱に縛られ、湖の中心へ向かって流されている。このままでは大きな渦に巻き込まれる。私は力のかぎり泳いで船にたどりついた。

 縄をほどき抱きしめた。もう決して離さない。離れない。しかし、試練はそれでも終わらなかった。振り向くとデーモンの軍隊が迫っている。ふたりは帆を張り、風のように銀河のはてへと進みはじめた。


 船は大きな渦のなかへただ一筋に吸い込まれていった。私達は激しい回転運動のなか、死んでも離れぬようにただそれだけを考えて抱き合っていた。

 ところが、渦の底は地獄の墓場ではなかった。一滴の血が宇宙の色を変えた。恋が世界を変えたのだ。淡いピンクの花群があたりを包みはじめ、四方すべてが、花、花、花の楽園となった。その合間を縫うように青く澄んだ河が、行く手を花園に隠されながらどこまでも続いていた。天国への入口なのか。千万の花のパノラマを潜るように流れているその河は、かぎりなく上昇していた。その感動はたとえようもなかった。恋は物理の法則を超えて、天国の門を開いたのである。

 抱き合いながらながめたその光景は、宇宙にKiss markをつけたような神のあたたかな乳房だった。花粉に媚薬が混じっていたのか。魂が永遠に繋がれてゆくような陶酔を体中に感じた。恋のオーラが宇宙を支配し、あらゆる花のエキスを一点に集めたのである。とろけるような芳香が甘い蜜のありかを教えている。ああ、なんとすばらしい悦びであることよ!

 河は狭くなり、花びらは頭上に降りそそぐ。ふたりはうるわしい花たちの中心に安らいでいた。衣は花の色に染まり、青に赤に変化する。私はその腕にこの世でもっとも美しい花を抱いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る