第11話 デスマスクー1
窓際の柱には、ベートーベンのデスマスクが懸かっていた。私はその苦悩にゆがんだ顔が、あのピアノコンチェルトを、あのシンフォニーを作曲したのは当然であると思っていた。そして、それらの完成した音楽にではなく、このデスマスクの存在感にいつも激しく嫉妬していた。
彼の音楽・・耳疾という運命の重みと格闘した強靱な意志の音楽・・には、語るべき言葉もなく感動するだけであるが、このデスマスクはただの石膏でしかないというのに、ベートーベンの死に顔を写しているというだけで、どうしてこんなにも存在しているのか?歴史的人物の影が、生きている自己の肉体よりも重量があるという空想。私はその恐怖に震えながらも、デスマスクを五寸釘で打ち砕く勇気を持てなかった。
〈手記より〉
ベートーベンの偉大さは、破滅的な運命に奔ばれながらも音楽という道を貫徹したその意志力にある。高みの見物と洒落込めば、滑稽であるほどに必然的な悲劇。耳疾というのは音楽家にとって世界の破滅にも等しい事件ではないか? ロマンチックな悲劇趣味を彼の人生が模倣したのだとさえ言いたくなるが、それを無意識のうちに運命付けられていたとするならばその魂の偉大さに驚愕するしかあるまい。
彼の初期と中期との作品を比較してみると、貴族の庇護を受けて初めて作曲したピアノ三重奏曲と難聴と苦闘して生み出したピアノコンチェルト第五番との優劣は歴然としている。それは、八才の時にすでに気の利いたシンフォニーを作曲していたモーッアルトの天才とは好対照である。
早熟であるとか、晩熟であるとかを言いたいわけではない。私が見ているのは、ベートーベンの心と体の動きである。愛と憎しみとの振子のごとき精神の運動と、それに連れて現れた肉体の障害と強靭な意志力との不思議なバランスとの関係である。
飲酒癖を持つ父ヨハンは、彼が四才の時から過重なピアノの練習を課した。父親は彼をモーッアルトのような音楽家に育てたかったのである。十七の時に母は死去し、酒びたりの父に代わって一家を支えた。二十五才、ピアニストとしてデビュー。だが、三十の頃から耳の病気が自覚され悪化する。そのためピアニストを断念し、作曲家として生きる決意を固める。四十五の頃には完全な聾となり、五十七才の三月、水腫のために死去するに至る楽聖の因果。それは純粋であるだけに理解し易く、またその深みのゆえに理解しにくい天才の一生であった。
ベートーベンがピアニストとしてデビューしたとき、その演奏法はピアノの鍵盤からできるだけ指を離さないで弾く古典的演奏法とは違って、鍵盤に指を叩き付けるような演奏をしたということである。なぜそのような表現法を採らなければならなかったのか? それは彼の個性の為せる技であろうが、それ以上に彼は酒びたりの父親が強制した音楽を愛すればこそ憎んでいたのではないか? 難聴、そして聾に至る悲劇の運命を招いたものは、彼の父親に対する反抗だったのではないか? だが彼には天才があり、音楽以外に生きるべき道はなかった。そのような屈折した激情が、「悲愴」「月光」「熱情」等のピアノソナタを叩き出した無意識の動機なのではないか?
このような洞察は穿ち過ぎであるとか、医学的ではないとかの非難を免れぬものであろう。また、実際の複雑な人生においては、他人の窺い知れぬその人だけの秘密の蓄積もあることであろう。だからその洞察は、言葉数の少なさだけから言っても安直過ぎるかもしれない。だからと言ってそれを撤回する気にもなれないのは、彼の音楽が素朴な愛という言葉には納まりきれない岩のような重量を保っているからである。そして私がベートーベンをいやでも認めざるを得ないのは、彼が不幸な人生の重みに耐えながらも、それをはるかに越える大気のような愛を持ち続けることを決してやめなかったからなのである。
ベートーベンの音楽における美は、ほとんど「力」と同義である。それは苦しみに浄化された表現の喜びであり、極寒に堪えた人間が春の訪れに感ずる震えである。それは孤独なマラソンランナーが息を切らしながらゴールのテープを切った時の喜びと本質において変わるところはないと思う。これは私の独断ではない。「苦悩をくぐりぬけて歓喜へ!」これは、ベートーベンの言葉である。第九交響曲の合唱は、唐人の寝言ではなかったのである。
彼の二十五才の作品には、肉体における精神の中和状態がみられる。ピアニストとしてのベートーベンは、己の屈折した激情をピアノにぶつけていればそれでよかった。そこには、精神的な苦悩の捌け口が肉体として与えられていた。しかし、運命は彼の音楽家としての財産を無残にも傷付けた。
少年の肉体への重圧は柔らかな精神によって救われ、青年の精神への重圧は健康な肉体によって救われる。そして、精神を救った肉体がふたたび傷付いたとき、それを救えるのはやはり精神の強さしかない。
彼は苦しみに浄化されて天使の魂を表現した。破滅を克服して完全なる歌を歌った! だが、それもこれも音楽という道があってのベートーベンだった。
(なお、生涯を独身で過ごした彼の性的なコンプレックスの観点から、その音楽の美しさを分析するのは卑怯である。あくまで人生の苦悩と戦い切った意志の強さから、その作品と人間の価値を判断すべきであろう。
だが、『愛されぬ人間の悩み』あるいは『家族関係の悩み』は、多くの人々が抱える悩みの根源である。だから、彼がもしもドン・ファンであったなら西洋音楽の歴史は大きく変わっていたに違いない。)
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