第3話 運命の出会いー3
川端、電線、暗い路地。
雪を石のように固めて川に投げた。とたんに隣家の外灯がついた。私はまた思い出したように歩きはじめた。
ポクポクと木魚のように聞こえる足音は、外からではなく、自分の心の内から聞こえてくるようだった。
「ああ、ここにはいつか来たことがある」
初めての道を歩きながら、そんなことを思った。
「そうだ。ここは、いちど来たことがある。
・・秋の涼風の夕暮時に」
ポスター。
看板。
犬の声。
ゴミ箱。
のら猫。
がたぼこ道。
気がつくと下り坂は墓地のかたわらを通っていた。私は釘付けにされたように立ちどまった。行く手には柳の大木が、黒髪のように木枯らしにゆれている。
雪明りのなか、道はかすかに蛇行しながら五、六十米続いていた。柳の影は墨で塗りつぶしたように暗く、大地の裂け目のように見えた。
その木までの通路に一本の長いロープが引かれているように思った。これから、綱渡りがはじまるのである。下は阿鼻叫喚の地獄である。物陰のいたるところに鬼が潜んでいてそれを見物している。枯草がささやくように揺れているのはそのせいである。私は未知の恐怖にふるえながらも前へと進まざるを得なかった。
立ちつくす事の不安を打ち消すように柳の木に近づいた。
雪は暗闇を斜めによぎる。枝は手招きをしながらゆれている。地獄の通路をかいくぐるように枝をかきわけて太い幹に寄りそった。私にはそれが自分の十字架のように思われた。
「ここで俺を待っていてくれたのか?」
溜息をもらすと、誰かがポンと肩をたたいた。ビクリとして振りむくと、足跡が蛍光塗料のように光っている。それは、道にそって飛石のように連なり、ちぎれ雲のように宙に浮いている。地の底がぬけ、赤黒い光が夕暮れのようにどこまでも広がっていた。そこに転がっている無数の石は、累々たる屍のようだった。
「俺のようなやつがここをおとずれて、地下に安らぎを求めたのか?」
雪まじりの風が道をながれ、柳の枝が私の顔を洗った。
ゆがんだ笑いが浮かんだ。
「だめだ! だまされないぞ!
これは、みんな貧乏神のいたずらさ」
空を見た。それから煙草に火を点けようと、何度もオイルライターを擦った。その火花が正気を戻した。吐いた煙は雪にもまれて爆風を演じ、私は戦場で死を忘れた兵士のようにたたずんでいた。(前世にあった記憶を回想しているような一瞬だった。)
そのとき突然の物音に身をかがめ、木陰にかくれて煙草の火を揉み消した。
チェーンを巻いた軽トラックが、雪道を照らしながらガラガラと通り過ぎていく。それは私の来た方角へとしなやかな弧を描いて遠のいていった。地獄の映像はエンジンの回転音とともに消え去った。残されたのは、幾百の墓をまもる木々の叫びと電線のさびしいうなり声だった。
家並の窓は闇夜の灯篭のように仄暗く光っている。人の生活のおだやかなぬくもり・・。それはキリストの後光のようだった。
ところが、そのとき坂の向こうに複数の人影があらわれた。理性を瞬時に働かせ、木陰に身をひそめた。
その影は十数メートル向こうの路地で花々しい芝居を演じていた。興奮した女の甲高い声がひびく。
「ほんとうだってば! ここにだれかが倒れていたのよ!」
「でも、だれもいないじゃないか? 夢を見たんじゃないの?」
「人さわがせだこと。まったくおまえは臆病なんだから」
何の事だろうと首をひねった。
さらに少しの弁解と反論がつづいた後で、彼らはふたたび闇のかなたへと消えていった。
酔いが醒めたように道の中央に立った。
ああ、寒い! 肩をすぼめて歩きだす。
淋しかった。だがそれは、すでに堪えがたい鉄槌ではなかった。誰もが同じことなのさと笑って言える軽度のインフルエンザに過ぎなかった。
それにしても、今夜は奇妙なクリスマスだ。幻影・・そして凍ついたコート。ふん。だが、俺の心臓はびくともしない。おお、呪うべきかな健康よ。おお、祝うべきかな不死身の魂よ。おお・・
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