光悦、素庵、りん、そして慶次郎 ~前田慶次郎異聞より

泊瀬光延(はつせ こうえん)

第1話 興味

 豊臣秀吉の天下、天正二十年の秋、婆娑羅武士、前田慶次郎とその二人の家臣、角南小吉とりんは京都に居た。


 あと二ヶ月足らずで年号が文禄に変わる。四月に朝鮮出兵の号令がかかり、世は新しい時代への期待で沸き返っていた。慶次郎も主君の会津領主、上杉景勝が九州名護屋へ赴くときは京で合流し出陣するつもりでいた。


 慶次郎が、友人でもある上杉家の筆頭家老、直江兼続の声がかりで借りた伏見の屋敷は、刀の鑑定、研師を束ねる本阿弥光悦が若き朋友、角倉(すみのくら)素庵(そあん)に貸していたものであった。

 素庵は家業の海外貿易で父、角倉了以(りょうい)に従い堺、長崎に多く居た。了以は京都の豪商で、その年に秀吉より正式に朱印状をもらっている。素庵は後に実家の嵯峨に住み、光悦と協力して古典の刊行に尽力した。十四にして「大学」を読み、十八で藤原惺窩の門に入った。よって惺窩を慕う兼続とは旧知の間柄であった。書を光悦に学び、後に光悦とともに洛下三筆の一人にも数えられた逸物(いつぶつ)である。


 小さな時より素庵を知っていた光悦は、素庵を弟の様に思っていた。素庵は光悦を兄また師として慕っていた。

 文禄元年のこのとき、素庵は二十一、光悦は三十四である。彼等が正にその才能をもって世に出んとする時であり、鼻息が最も荒いときであった。


 彼らは兼続の紹介で慶次郎に快く屋敷を貸したのである。彼らは兼続から、慶次郎を殺しに来た刺客であったりんのことも聞いていた。危うく慶次郎に殺されそうになり改心して家来になったという。そして四条河原の決闘騒動でのりんの大立ち回りの話を聞いた後、どうしてもりんを見たくなった。素庵が京に帰還した際、わざわざ二人で慶次郎に会いに行くことにした。

 芸術家の彼らは物見高かったのである。


 「阿修羅」と呼ばれる人間の話を聞き、興味が先に立った。

 光悦は、剣の鑑定が本業であるのに、それを振り回す下級武士を軽蔑していた。あくまで、刀はそれを佩くに値する人格の貴人の腰にあるのが相応しい、と考えていた。人斬りを阿修羅などと呼んで家来にしている慶次郎は、一度会えば十分な人物であろう。表向きは貸した屋敷の様子を見に行くとしよう。

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