真珠の少女へ

中村 繚

20XX年フェルメール展




 青に魅せられた。

『光の魔術師』とも呼ばれた彼の画家、ヨハネス・フェルメール。彼が描いた芸術の数々に登場する色を目に焼き付けた私は、彼の生涯はその一言ではなかったのかと感じた。

 海を越えてやって来たラピスラズリの原石を砕いた、ウルトラマリンの鮮やかさ。誰もが知る美しい少女を彩る青を目の当たりにした私は、得意げになって束の間の感嘆に浸っていた。

 けれどもその横で、「さっきの子かしら?」という、千草チグサの独り言なのか語りかけているのか分からない声によって、現実に引き戻されたのだ。


「何だって?」

「この絵の女の子、さっきの絵の子と同一人物じゃない? 同じ真珠のイヤリングをしているし」

「さっきの絵?」


 フェルメールの代表作、作者の名は知らずとも一度は目にした事があるだろう。鮮やかすぎる青のターバンと、大粒な真珠の耳飾りを身に着け、無垢を感じさせる眼差しでこちらを見つめる少女――『真珠の耳飾りの少女』に対して、私の隣にいる女性の感想がこれだった。


「さっきの絵、『真珠の首飾りの少女』ってタイトルの絵があるでしょ。この子たちは、同一人物じゃない?」

「いや、別人だろう。顔が……多分、違う」

「そう? 黄色い服が同じだったから、てっきり。それにしても、フェルメールの絵は同じ構図の絵が多いのね。こちらから見て左側に絵があって、絵の登場人物たちは窓辺で佇んでいるわ。私たちがいるこの位置が、フェルメールの定位置だったのかしら?」

「そういえばそうだな。昔は現代みたいに電気の明かりなぞない時代だ、光の入って来る窓辺の方が描きやすかったんじゃないか?」

「ああ、そういう見方もできるのね」


 彼女――私の隣にいる千草とは、高校時代からの仲であるが、昔から彼女の目の付けどころには驚かされていたものだ。

 芸術の秋だからと、彼女を誘ってフェルメール展に来てみた。国立美術館で行われるような催しではなく、近くのショッピングモールで開かれたイベントだったが、思った以上の作品数でたかがイベントと舐めてかかっていた自分に少々辟易した。

 二階のイベントホールの中心で芸術の分かる自身に対して悦に入っていた私とは違い、千草はどうやら違う楽しみを見付けたようだ。まるで間違い探しでもしているような口ぶりだった。

 窓辺でワインを飲む婦人と紳士、窓辺で音楽の稽古を受ける少女、窓辺でリュートを弾く少女。うん、確かに同じ構図が多い。果たして、本当にフェルメールの定位置だったのか、それとも単なる好みの問題か。

 普段は絵画など興味のない彼女だからこそ、何かを目敏く見付けてしまったらしい。『真珠の耳飾りの少女』よりも順路手前に飾ってあった絵、少し前の時代に描かれた『真珠の首飾りの少女』の前へと私を引っ張って行った。


「この絵ね、私は連作だと思ったの。シリーズ物って言ったらいいのかしら。この黄色い服を着た女の子が真珠のネックレスを着けて、次は窓辺でリュートを弾いて。それで、次はターバンも巻いた。この子をモデルにしたシリーズ物かと」


 斑模様の白いファーが付いた黄色い服の少女。髪型は違えど、目立つその服を愛用している彼女の姿を千草は楽しそうに追いかけて行った。

 フェルメールの連作とは聞いた事がないなと、彼女と並んで順路を歩けばまた出会ってしまった。件の少女が、手紙を書いている姿に。


「ほら、また会ったわ。手紙を書いて、書いた手紙を女中さんに渡している」

「お付きの女中がいるなら、身分が高い少女だろう」

「お嬢様って事ね。一体何の手紙かしら……なるほど、そういう事ね」

「タイトルが……恋文? もらった本人も驚いていないか」


 少女は手紙を書いた。その手紙を召使いに渡した。そうしたら、最初から数えて五枚目の絵画の中で何か動きがあったようだ。

 絵画のタイトルは『恋文』。一枚の手紙を手にした少女が、仰天の形相にも見える表情で召使いの女性を凝視していたのだ。


「そうか、謎は全て解けた。少女は誰かに恋をしていた。真珠の首飾りを着けて着飾り、片思いの相手を想ってリュートを弾く。リュートの絵をよく見てみろ、視線が窓へ向かっている。恐らく窓の外には片思いの相手がいるのだろう。もしかしたら、名前も知らぬ相手かもしれない。彼女と片思いの相手には面識すらないかもしれない。けれども、駄目元で書いた手紙を召使いに持たせたんだ」

「それで、まさか返事が来るとは思わなかったのね」


 千草に乗せられてしまったようだ。どこぞの探偵が推理を披露して犯人を追い付けるように、私と彼女の中に出来上がった共通の物語を、バラバラだった点と点を一本の線で繋げてみれば随分としっくり馴染んでしまった。

 少女は恋をした。名も知らない彼を想い、真珠で己を磨いた。

 少女はリュートを弾いた。窓辺で奏でる旋律は、窓の向こうにいる片思いのあの人のために。

 少女は手紙を書いた。名前も知らない彼に、ありったけの情熱を込めて。

 少女は手紙を託した。信頼できる召使いへ、窓の外を歩くあの人へ渡してくれと。

 少女は恋文を受け取った。返事なんて期待していなかった、最悪突き返されてもいいと思っていた。けれども、名前も知らない彼は恋文を書いてくれた。驚いたと同時に、どれだけ嬉しかったことだろう。

 順路の終わりに飾られた絵画の仲で、黄色い服の少女はギターを爪弾いている。

 彼女の眼差しはもう、窓の外を向いてはいない。その視線の先には誰かがいるはずなのに、フェルメールが描き上げた場面は彼女だけを切り取り、視線の先の誰かを私たちに教えてはくれなかった。

 少女の表情は、少しぎこちなく緊張しながらはにかんでいるようにも見える。「叶ったのかしら?」、千草の言葉にそうだと良いなと、彼女にしか聞こえない独り言を呟いた。伸ばした人差し指が隣の彼女の指に触れれば、同じぬくもりの指が絡んで来た。

 私たちが勝手に妄想して、勝手に応援して盛り上がった。真珠の首飾りの少女が、本当に恋をしているのか、彼女たちは本当に同一人物なのかも分かりはしない。

 だけど、これだけは言っておこう。少女よ、恋とは、隣に愛しい者がいるのは良いものだぞ。

 絡めた指に少しだけ力を込めれば、千草も同じ力で握り返してくれる。私から彼女へちょっかいを出したはずなのに、いざ反応を返されると途端に照れ臭くなって顔を背けてしまうので、私は高校時代からそう進歩をしていないようだ。

 真珠の首飾りの少女へ、お節介と老婆心を込めて。鮮やかな青の中に、青春の歓びを讃えて。


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