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 それであなたはどうするのかというのが、武藤の始めに聞きたかったはずの問いで、それに和久田は答えることができないまま、ふたたび質問をする機会は繰り延べになった。フェルミのアパートに居留するガドリンは家主が学校にいる間もひねもす家の中に籠っているらしいが、これはわざわざ監視をつけているわけでもないのでフェルミ本人にもわからなかった。

 ジーボーグが目覚める様子もない。ガドリンもパルタイがめいめい持つタブレットは持っており、他のパルタイと連絡する手段はあるからそれで何かしているのかもしれない。身の危険がある以上、無目的に外を出歩く動機はなく、彼は調度品もほとんど何もない怪人の居室で先の知れない時間を、あたら無為に、時々刻々、過ごしているはずだった。

 一日が過ぎ、二日が過ぎ、ニコラウスの刺客が姿を現すこともないまま、その週の平日が終わりそうになっていた木曜日、放課を迎えた和久田と華は武蔵小杉のショッピングモールの、フォトジェニックを謳い文句にする喫茶で、めいめい鮮やかな苺のふんだんなパルフェをつついていた。

 塔のようなホイップクリーム・アイスクリームの側面に石垣のように苺がはりついている。基部のウエハースがガラスの器越しに透け、根元からチョコスティックとシナモンが二本ながら刺さっている。それが二つあって、二人で食べる。

 華の唇の端にクリームがついているのを見つけた。言おうか言うまいか考えて、和久田は自分の持つスプーンに載った明るい苺を見た。苺の実といわれているのはじつは実ではなくて花の萼にあたる器官が膨らんだもので、種に見える粒粒の一つ一つがほんとうは実であるという。その種もとい実がつやつや光っている。粒の上で反射している光が視線のようにじっと和久田を見ているように感じられる。苺の赤い肌の上にある無数の目が、じっと息を潜めて、和久田を見ている。それをぱくりと口に入れたところで、

「どうしたの?」

 と華が聞いてくる。クリームはもう自分で取り払っている。噛んで砕いたものを飲み込む。一度種を意識すると、潰されなかった生き残りの種は、飲み込まれた後にも、自分を飲み込んだ顔の口のある上の方をじっと睨んでいるようにも思える。

「苺の種がちょっと目みたいに見えて」

「そう?」

 周りのクリームごとスプーンに載せてまじまじ見つめる。

「言われてみると確かにそれっぽいかも」

 甘い味があるいは舌にふれるまでもなく溶けて、あるいは溶けのこって粒々と転がり、二つに噛みきられた苺の実の赤々とした汁気が、甘味を緩やかに押し流していく、酸っぱい。噛んだ粒、種が、プツプツプツプツ、プチプチ、弾けて砕ける音が、頭蓋越しにこもって聞こえてくる。見ると和久田はアイスクリームをすくい、苺をすくい、山の残雪のような白砂糖と点々と透明なザラメ糖越しに赤い膚を覆う種が一様に睨んでくるのを見返している。その表情がいつになく真剣に見えて、カットされた苺を真剣に見返しているというのが滑稽で、飲み込んだ顔でふとにっこり笑う。和久田はやがて苺を口に入れて、ぽっかりあいたその唇がすぼまり閉じる。


 その日のホームルーム後の須臾の調子に、武藤が、

『ニコラウスの様子は?』

 と片目で制しながら携帯電話の文字通話で送ったメッセージに、和久田はただ『何もない』と答えた。それを受けた武藤が今度は、

『ニコラウスがガドリンを襲うとしてやはりガドリンを助ける?』

 と、文字として二度三度繰り返された同じ質問を送りつける。和久田はただこれまでと同じように、『助ける』とだけ打った。


 自分には何かができるということはないだろうと思っていた。ただ一つ可能でありたいと願うのはたった一人の命をこの手で終わらせることで、それは未来へ繰り延べになっている。今目の前にこうして華の笑顔が、パルフェを食べながら他愛ない話をして笑う川原華がある。よかった、と思う反面、鼻持ちならない心地も湧いてくる。自分は今笑えているだろうか? 笑顔の守り人、夢の守り人には自分は向かない。少なくとも和久田はそう考えていたし、そうなってしまうのではないかと思うとすぐさまそれを忌避し、避けようとする自意識の過剰さにもまた呆れ、……反省の無数の鏡写しが延々続いていく。これだけはできた。これはいつもやっていたことだ。

 華は相変わらず、いや、それまでと同じペースでと言うべきか、食べ進め、食べ進められて、もうだいぶ小さくなっているパルフェの塔の根元にスプーンを突き立てる。唇にまたクリームが付いている。今度は気付いたらしい彼女が、はにかむようにしてきゅっと口角を引いて、笑窪が浮かぶ。苺の切断面にも似た、その小さい舌の先が唇の間から出て、蛇のそれのようにちろりとかすめる。唇にはもうクリームは無くなって、代わりにきらきらと濡れている。

「川原」

「なに?」

「美味しい?」

「うん」

 そう言って笑う。当然というか、二人とも同じものを注文したのだから、どちらかが美味しいというならおよそそうなのだろうと察しはつく。

「和久田君はどう? 美味しい?」

「美味しいよ」

「あはは」

「ふふ」

 そう聞くまでもないことだ。当たり前のことで、だからわざわざそう聞くことに実際的な意味はほとんど無いに近しく、そういう無為な会話を連ねていくことこそが、二人がそこにいることの何よりの充足だった。

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