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 和久田が家に帰るとすぐ隣のアパートの前に見慣れた制服の二人が街灯の光にスカートの裾を照らされて暗い中に立っていた。黄昏の土塊の色も抜ける頃だった。高い頭に坂東風の髪と、黒い髪の下の目の覚める白さとで誰がいるのかよくわかった。

「武藤か。ごめん、途中で離れて」

「いい女子会になりましたよ、ねえ? 川原さんの秘密も聞けましたし」

「そんなことより、わかっていると思いますが、ガドリンのこと改めて聞かせてもらいますよ」

 生活感のない部屋に通されて和久田は以前なかったソファを発見した。彼女の目のように青い色をしたソファにフェルミが座った。くつろいで座るフェルミに向かう二人の目が各々の態度を如実に表していた。武藤はこの場に来るまでと変わらず専ら白眼で、和久田がフェルミを見る目には若干のやりにくさの奥に、はっきり出ているではないが、それをものともしない静かな多大な親愛があった。

 三人が和久田家ではなく隣のアパートにあがったのは単純にこのしばらくの《パルタイ》という名の知名度による。順調に勢力を伸ばす怪人の群れの名は次第に市民の間にも広まっており、いくつかの犯罪事件の裏に彼らの影のあることは少なからぬ警戒を呼び起こすことになった。和久田としても家族に聞きとめられ無用な厄介を呼ぶのは避けたかった。

 促されて和久田はこれまでの内容を一通り話した。新たなパルタイ・ジーボーグが生まれたが意識もなく、強力のニコラウスは仏師の余裕のなさからこれを間引くことを決めるも、ひとりガドリンは抵抗してニコラウスの攻撃を受けている。コンラートが助太刀に来たが、劣勢のままとみるのが順当か。

「余裕、ですか」

 ヤ行音を噛んで含めるような言い方をして武藤は目の前の机を見ていたが、やがて和久田をまっすぐ見て言った。

「眠っている以上は、そのパルタイ、ジーボーグですか、それが人間と接触する可能性はない、と?」

「ああ、出来ないな」

「そしてガドリンは内輪もめの追手から逃げるのに手一杯でいる? つまり誰かと契約を結んで《意志》を集める余裕はないとみていい?」

「それは……どうだろう……」

 ヘルプ要請、フェルミを見る。唇が平たくなり、細く横に、月のように伸びる。楽しそうに笑う。

「いつかはジリ貧になるので、他のパルタイから融通されない限り、いつかは誰かを契約する必要はあるんですがね。果たして見つけられるか、見つけたところで間に合うか、どうか」

 首を回さずフェルミの方に向いた耳だけで聞いていた武藤は声を発さずに唇だけ動かしてみせた。少なくとも言える範囲でさえ融通の方途がある?

 フェルミは刺客について言及しなかった。刺客が人間であると明かすこともなかったので、和久田はひとまず密かに胸をなでおろした。人間がパルタイを害するためにパルタイの周りで動いているという状況は武藤や自身を除いて例のないことだった。ヂングを身に纏っているというのもやはり例のないことだった。動物を模したザインの腕鎧や胴鎧を作ったパルタイはいて、それらの装着者はパルタイの力と共に彼ら個々人のパーソナリティに由来する力も有していたはずだが、パルタイの単一の力で、しかもその一部のみで他のパルタイを追い詰めるというニコラウスのヂングとその所有者は不気味でもあった。もしも武藤がその存在を知ったら、自分と目的を同じくする人間と出会ってしまえば、何が起こるだろうか? とてもよからぬことが起こる気がして和久田は仕方なかった。

「それでムトウさんはどうするんです?」

「話を聞くに、ニコラウスは一方的に力を付けて、パルタイ全体の意思決定の主導権を握っている。ならば、まずは彼を潰す」

「強敵ですよ、ニコラウスは」

 武藤は無言で右手を軽く挙げて拳を作り、指を開く、それを繰り返す。

「《爪》があるといって当たるかどうかは別問題だって、わかってるじゃないですか」

「当たれば、深く斬り込めれば、まず殺せる」

「ええ……、斬れればね」



 陽が沈み、ふたたびフェルミの部屋を訪れると、彼女は先刻と変わらずソファに座って動かずにじっとしていた。パルタイは食事を摂らない。少なくとも生命維持のためのフュジークな食餌は必要としない。彼らが食べるのは《生命への意志》、魂、虹色に変換されたメタフュジークである。

 大きな体の天辺で青い目が光っている。強く輝くとそこにいるのは革の服を着た幼い子供で、腥い風が吹いたが和久田はもうこの風に狎れていた。時が来れば彼の目は濁った金色に光り、全身を覆う汚泥が硬く凝固してクチクラの鎧になる。

 小さい体の天辺で青い髪が光っている。毒々しい原色の隣に体が小さくなっただけ隙間ができて、そこに座るよう催促する。座ると髪を撫でて梳くよう言う。鬼火の青が瞳に灯ると同時に頭頂から垂れる、それを撫でる。幼い細い髪は絹のように流れて嘘のように青い。撫でながら和久田が先に言葉を発した。

「ありがとう、フェルミ」

『何がです?』

「ニコラウス周りのこと……武藤に敢えて言わないでいてくれたんだろう?」

『さあ、どうでしょうね』

 髪が指のあいだで融ける。根元近くには触れずに毛先だけをくすぐるように撫でる。あははは、こそばゆ、はは、……

『ニコラウスは強敵ですよ、本当に』

 互いにまっすぐ向かいあって話すと視線がぼんやりしているように感じるのは彼女の目が光っているからだ。子供の目が死んだように平板に光っているのを和久田は見る。

『わかっているでしょう』

「うん」

『今彼はヂングで試している状態です、色々なことをね。私の《山羊》に化けてみたところで面白くありませんが、ドラゴン、でしたっけか、それなりに由緒正しく、巨魁で、猛々しい空想の獣です。うん、化け甲斐がある』

「うん」

『うんじゃありませんが』

「ごめん」

『そうだ。今日のカラオケなんですけど、カワラさんの話で』

「何?」

『カワラさん、好きですって、トオルが』

 頬が林檎のように俄かに赤くなる。青い灯りの部屋でそれは紫色にみえる。肌は土の色をしている。土の色をした指が嘘のように青い髪を撫でるのをやめて人差し指を立てて持ち上がり顔を指す。

『「私は和久田君のことが好きなんだけど、二人はどう思ってるのかな?」……ですって。可愛いじゃないですか』

「おれ?」

『恋バナをしたんですよ。クラスの男子で好きな人いるかって。ムトウさんはいないって言ってて、これは順当ですね、うん、でもって私は自分より背が高くないと嫌だって言って、カワラさん安心してました。それでカワラさんが言うには、そうだ、どんなところが好きって言ってたと思います?』

「わからないよ」

『一目惚れですって!』

「理由なし?」

 頷く。

『実際どうです、カワラさんは』

「具体的に何がさ」

『彼女をみてかって聞いてるんです』

「そそるって、いきなり言われてもな」

『一瞬でわかるでしょうが』

「鼻は好きだよ」

『華だけに』

「イヤ……」

『そう』

 そこで一度止まる。下から睨む青く光る目がじっと和久田を見返して円く煌めく。

『近いうちにちょっとした、デート、の約束を取り付けることになるかもしれませんね。いや、とにかく』

 フェルミは、それまで肩に預けていた頭をずらして和久田の膝に転がる。彼を見上げる目はやはり青く光っている。

『話を戻しますよ。忘れないように。重要なのはあなたは竜殺しの勇者ではないということ、あなたは非実在の獣ではないということ、あなたの七星天道は実在する節足動物であり、あなたは英傑ではないということ』その言葉に和久田は、高潔ではない、という連なりを見出す。

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