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 まえぶれなしにすまない、と一言謝ってからガドリンは、

「すぐ近くに拠点があるから、一度そこまで案内して、腰を据えて話そうと思う」

 と言って昨日とはまた別の道を歩く。

 真昼の太陽の下で、ジーボーグの昏睡した顔も昨夜ゆうべよりはっきり目に見えた。粘土のような顔の目蓋はしわひとつなく同じ色を呈してまどろんでいる。間隔をあけて太く長い青味がかった睫毛が海星のように並んでいる。髪はやはり乾いて、頭頂部でまとめて結ばれたのがうち広がり垂れ下がって尾とも鰭ともつかない。ガドリンもジーボーグも今日は学生服姿ではない。かたや生成色のセーターを、片やデニムのジャンパーと駱駝色の長いスカートを着ている。ガドリンの履く墨色のパンツは綿の綾織だ。

 拠点にたどり着いて、パルタイにとって何ら意味をなしているとも思えない冷蔵庫からポットの麦茶を取り出してつぎ、椅子にかけた和久田に差し出す。

「現在の状況と勢力図の確認を、改めて行おうと思う」

 パルタイの名前を示す別々に色付いたブラックレターと、生まれた順番に割り振られる番号、そして現時点で取り込んでいる人間の魂の数を示すアラビア数字が、立体映像として卓上に広げられる。


  フェルミ    1, 49

  ニールス    3, 43

  ドミトリ    4, 98

  フリオロフ   5, 63

  ガドリン    6, 15

  アルベール   7, 48

  コンラート   8, 54

  ニコラウス   9, 65

  オガネシアン  10, 45

  ジーボーグ   11, 10


 フェルミを皮切りにした最初の発生から半年足らずのあいだに、総計で六百は下らない数の命を食ってきたことを雄然と示すフォントの配置が、今日は円陣ではない。上下左右に散らばって、おおよそひとつの塊を形成している中から、ガドリンとジーボーグの文字がふたつながら外にはじきだされている。塊の方を見るとフェルミとニールスが特に近接し、次いでニコラウスとフリオロフが前二者に比べて弱いがやや近接して、ニコラウスの赤い文字が集団から少しばかり突出している。アルベール、ドミトリ、コンラートはその間を埋めるように互いの間を詰めずに配されている。ドミトリは中央に位置し、アルベールとオガネシアンはその周囲に浮かんでいて、アルベールはフリオロフに、コンラートはドミトリにやや寄っている。コンラートだけがやや全体から外れているが、立体映像上では塊を挟んでガドリンらと正反対に位置している。

「アルベールとオガネシアンにかけあってみたが少なくともこの件については協力できないということだった」

「やはり、《生命への意志》の絶対量が少ないから……でも、これで少ないんですか? パルタイの感覚としても?」

「だいいち、多くて悪いということはない。力を使うには逐一意志を消費しないといけないから、あればあるほどいい。それに、パルタイが《超人》に至るための第一のプランはひたすら多くの命を集めて食っていくということで、フェルミが別の方法を提案した後もそれが途絶えたわけではない」

 そして他に思う存分分け与えるくらいなら自分で食べて貯め込んだ方がよさそうだし、それほど気遣うことでもない……というのがやはりパルタイの総意であるらしかった。

 和久田はフェルミ、あの自らに《超常》の力を与え彼の身体を苗床に《超人》を作り出すことを画策する、よく光る青い髪のパルタイを思い起こした。彼女が食った命の数字も、いつかの二十いくつからほとんど倍増している。そしてそれに比べるとガドリンとジーボーグのいわゆる「残機数」はあまりに少なかった。

「今、手元に残ってる《意志》は何個あるんですか?」

 あまり聞きたくない質問だった。それはこのパルタイが殺してきた人の当座の頭数を意味していたし、武藤の前では言えるものではない。ガドリンは床に置いてあった背嚢から虹色の玉を取り出して卓上の皿に広げた。

「残りは三つしかない」

「どうしてこんなに少ないんです?」

 フェルミはこれを使ってお手玉をやるのも珍しくはない。数は三つ、四つ、五つ六つと増えて今では七つを器用にとりなしている。そう聞く和久田も多分追手か何かの攻撃を受けたんだろうと合点はついていた。昨夜遭遇したあの飴色の光を思い出した。

「ニコラウスが人間を雇っている。ヂングを与えて、どうもかなりの力を貸与しているらしい。その攻撃にもう何度も遭っている」

 和久田はパルタイが傷を負い回復している様子を数えるほどしか見ていない。しかし合計して二十、二人合わせて四十近い《意志》を消費させるほどの回復とはどれほどの重傷からの復帰であるのか。あるいは小さな傷の累積がそうさせたのだろうか。

「するとあなたはジーボーグを守りながら……」

「ヂングを破壊することができそうな者は今のところあなたが本命だ。あなたとフェルミのザインがこの状況を打開してくれるならば、きっと……」

 そのとき、暗い部屋の片隅に光がひらき、橙色の篆書の中央を割いて細かく崩れた土と埃を含んだ空気が流れ込んで床が汚れる。ドミトリが用いる文字の力を他のパルタイに《意志》を貨幣として売りつけることで彼女は莫大な数の命を蓄えているらしかった。

 出てきたのは黄緑の髪の男である。薄暗がりの奥で光点が見える。宙に浮かぶ「門」の字そのままの門をくぐって出てきた彼は、パルタイの誰もが持つ鮮やかな髪と瞳を持つ姿から今のガドリンのような人間に擬態する姿への変化の途上で、まだら色に黒い斑をもった濃く光る髪の色のやがて消えると、川崎では珍しくない南アジア系の浅黒い肌と対蹠的な白い歯を剥き出しにして笑う。

「床にほぼぴったりで門を開いて、びっくりしてるんだろう? 位置情報を正確に把握しておけばどこへだって行き放題さ。ドミトリの用意がよくてな、拠点は全て緯度経度を登録してある」

 二つの目はまっすぐに和久田を見た。立てた片手の指で床を、もう片方の手指で和久田をさす。

「おまえがカフカ、フィリウス・フェルミ、フランツ・フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・Kだな」

「あなたは?」

「コンラート。パルタイの第八番、黄緑gelbgrünの《延長Ausdehnung》だ」

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