第一章 パルタイのガドリン、《怪人》和久田徹に救命を要請する。
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家に帰ると先客があった。既に部屋に通されているという二人はそろって学生服を着ているらしい。生徒手帳を見せて曰く、四月から知り合った和久田の級友であるとも。二階に上がりながらいったい誰であるのか考える。親しいクラスメイトの名を挙げていく。どれも違う気がした。二人組で来るというのはどういうことだろう?
扉を開けると、一瞬見覚えのあるようで、しかし身に覚えのない色白の男が一人和久田のベッドに腰を下ろしているのが和久田を見上げた。その後ろにはひとの寝床に寝転ぶセーラー服がいる。顔は男の陰だが、やや乾いた長い髪が見える。男は全体に色素が薄い、ほんのり赤味がかった茶髪を大方七三分けにして、ミルクの色の肌と対蹠的な黒い詰襟をしっかり着込んで手を三角に組んでいる。彫りはいっとう深く目は鋼色をしている。鼻筋は尾根のように細い。和久田の知らない顔であることは間違いなかった。しかし身に付けている詰襟も、後ろの女の身に付けているセーラー服も、和久田の通う高校の物だ。彼らが一方的に自分を知っているというのが一番ありそうな可能性だった。
誰? と聞けばいいのか、誰ですか? と聞けばいいのか。迷っていると、先んじて腰かけた男が言った。
「和久田徹くん、というのは」
顔立ちから想像されたよりはるかに高い声に少し驚く。これなら叔母が高校生と思っても無理はないかもしれない……声は尻上がりで、不完全ながら疑問文であると知れる。無言で頷くと、それを見て男もやはり頷いた。
「間違いがなくてよかった。違うお宅に入り込んでいたらいけなかったから。今日ここに来たのはひとつ協力を要請したい事柄があってのことで、それにはあなたの持つ特別な力が必要だから」
よどみなく流暢なわりに、妙な話し方をする。訝しんでいるところに「特別な力」と言われて、和久田はやや身構えた。当然これには思い当たる節がある。と同時に彼は以前遭遇した、街に潜む化外の党派、日本語を煩雑と称した一人の怪人の話法を思い出した。
「特別な、強力な力が必要になっている。フェルミからの報告で聞いた、マリヤを降したのはあなたであると」
マリヤという、先の怪人とはまた別の怪人は、ふたつき近く前、五月の初めに出た、彼らの中で初めての死者だった。
……川一つ挟んで東京都に隣り合った南関東のこの街には、名をパルタイという怪人が跋扈している。パルタイは人間の願いを叶え、それによって満たされた魂、彼らなりの言い方に沿えば《生命への意志》を根こそぎ取り去っていく。
肉体に入り込んで制御を奪う、手にしたものの運動の向きを変える、無数の刃を撃ち出す、等の人智を超えた力を行使できる一方で、その肉体を普段保持するための基礎的なエネルギーを持たない。さながらホバリングしながら絶えず蜜を吸い続けることを必要とするハチドリのようなパルタイ一派は、一月の終わりに突如として姿を現し、以来半年近くに渡って二百以上の犠牲者を出しながら、最終目標である「人間とパルタイの間」すなわち《超人》を目指している。
和久田はそのパルタイの一・フェルミと出会い、パルタイのみならず人の命を奪う《超常》一般を憎む武藤陽子と出会い、復讐に加担するマリヤと一度ならず干戈を交えた。
マリヤを殺したのは和久田ではなくまた別にいるのだが、彼の凄惨な最期の記憶に閉口してしまった和久田は、目の前の男の言葉に対して言うべき言葉を何も言わなかった。否定しなかったから、男はそれを静かな謙遜、肯定と受け取った。
「わかってくれるだろうか、わたしが何者か、あなたに何を求めているのか」
その顔の前で立体映像が円を成す。視線を下にやるとどこから取り出したのか薄いタブレットが置いてあって、映像はそこから投射されているらしい。
最初彼を見やったときには見当たらなかった。それが第二の証拠だった。第一の証拠はマリヤとフェルミの名を出したこと、そして第三は浮かび上がる映像が記す一連の言葉。円を描いて文字が浮かぶ。
FERMI
NIELS
DMITRIY
FLYOROV
GADOLIN
ALBERT
CONRAD
NICOLAUS
OGANESJAN
SEABORG
一つ分の空白を残して十人の名前が円を成して並ぶ。フェルミ、ニールス、ドミトリ……現存する《パルタイ》全員の名で、一人一人が持つ番号と色と質は表示されなかった。この奇妙なデバイスを持ち歩いている以上は、男もまた《パルタイ》の一であるということだ。
「フェルミが試みている《超人》としてパルタイの新しい命を作るための実験に、賛同者と反対者がいることは周知の通りだろうとおもう。十一人のうち発起人のフェルミにドミトリとニールスは賛同、マリヤとフリオロフとニコラウスは反対、アルベール、ガドリン、オガネシアン、コンラートは中立。そしてジーボーグはそのどれでもない」
「どれでもない?」
「生まれてから一度として目を開けない。意識もなしに、何かしらメッセージを発してくることもない。どうにか形は保っているが実際のところいつどうなるかもわからない状態だ。ニコラウスは殺処分することを提案した。このままではそうなってしまうだろう。だからこうしてジーボーグを抱えて連れ出してきて、ニコラウスはわたしを追ってきている。わたしひとりではニコラウスや彼が送ってくる刺客に対処できない、どうか力を貸してほしい」
殺処分、剣呑な言葉に竦んだ和久田は、しかし名もわからぬパルタイの唐突な救援要請に易々とこたえることができない。
「いきなりぼくのところに来るのはわからない、どうしてまた突然来るんです、フェルミからの仲介でワンクッション入れてくれればいいのに。それに他のパルタイは頼りにならないんですか」
「皆ジーボーグを見放すことにそれほど積極的に反対しているわけではない。事実上全員が消極的な賛成を表明しているも同然だ。パルタイ全員が持つ《意志》の絶対量も、そう多いわけでもない。一人を生かし、目覚めるに足る力を蓄えさせて、猶十分な余裕があるかといえば難しい。何をしても目覚めない可能性もあるから」
「それでもそのジーボーグを?」
守りたいのかと問おうとして、言葉の据わりが悪かったのでやめた。守るというのは違うと思った。逃げるといってもフェルミさえあてになりそうにない以上どこへ行く先があるというのだろう。では何だ? しかし意図するところは伝わった。そのパルタイ、未だ名乗ることのないパルタイは和久田を見て一度きり確かに頷いた。和久田は隣のアパートに住む怪人フェルミを、《母になること》《自己複製》というその願いを思い出した。
願いを叶える者が願いを持つという例。
これもその一つか?
時計が七時を指したところで男は立ち上がりベッドに寝かせていたジーボーグを元のように背負って部屋を出た。和久田ははじめてまともにその女の顔を見た。生来の色素の薄さでも、色素以上に由来する白さでもなく、健康の欠如に由来する蒼白い死体のような肌の色彩に、蝶の触角のような長い睫毛の黒さの浮かびあがって、夏服に膝下まで覆うスカートの合わせ方が病的な雰囲気を助長してみせている。そのジーボーグを背負って男は履き潰されたローファーに爪先をつっかけて家を出ていく。
叔母が少しは友人を送っていくように言う。住宅街の道の街灯の明かりに照らされない場所にはたまりのように黒い闇がわだかまっている。紺よりも黒くなった空に明るい星が一点光っている。その下を二人は歩いた。
「帰るといっても、どこへ?」
「《インテリジェンス》が用意している住居がある。ひとまず危険がない、誰が居合わせても非武装中立地帯だから」
それは本当に和久田の家からそう遠くない位置にあった。街道の裏、住宅街の外れ、駅から徒歩十分圏内の半ばうち棄てられた小さな二階建てがそれで、それを指さした男を見送る段になって、和久田は路地の奥、闇のたまりのようになった角に渦巻く力にひきつけられ、にわかに緊張を強める。そこにはパルタイら《超常》の力の気配が確かに偏在していた。
それは一見すると単なるつむじ風である。しかし渦を巻いて流れる空気が、何かひとかたならぬ様子を含んで、次第に特定の形に歪んでいくのを、和久田も隣の男も感じとっていた。地面近くで円形に回っていた風は道路の塵を巻きこんで頭の高さほどまでふきあがる。その風の隙間に琥珀色を呈する、ガラス質に輝く飴色の光を発する力の塊がちらつくのを発見した。
つむじ風が前に開く。はじめに反応した和久田が、次いで男が、向かってくる力から腕で身を庇う。後者は予め背負っていた一人を地面に下ろしてから防御に入る。迫ってきた風と琥珀色の力の塊は、しかし、二人を襲うはるか手前でほどけ、二つながら空気に溶けて消えた。
不意打ちを警戒し、それもないらしいとわかって、男はジーボーグを背負いなおす。建屋一階の扉に手をかけたところで、和久田はその背中に聞いた。
「名前は?」
男が振り返る。鋼色の瞳が振り向く。
「ガドリン」
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