第21話 舞台裏
ステージを降りてから楽屋に戻るまでの間も、私はずっと美咲さんのところへ行ってその胸に飛び込みたいと思っていたのだが、もみくちゃにされている美咲さんには近づくことも難しかった。
私はそれを少し寂しくも感じたが、美咲さんと話したいという想いを持っているのは私だけではない。仕方ないか。
楽屋に戻って少しの間、私は一人で椅子に座って休んでいた。今日は本当に疲れたな。色々なことがあったし、頭も心も、もちろん体も限界まで使い果たした。
少し寝ちゃおうかな。そのうちに誰かが起こすだろう。
そんなことを考えて目を閉じた直後、眠りにも入っていないうちに私は起されてしまうこととなった。
「なに一人で浸っちゃってるのよ!私の前でカッコをつけようなんて、あんたも偉くなったものね」
この声は・・・。
振り返ったそこには、大好きなあの人が立っていた。美咲さんが、みんなの間をかき分けて私のところへ来てくれたのだ。
「美咲さん!」
私は何も考えず美咲さんに抱き着いた。その目からは一瞬で涙が溢れてきて洪水のようになっている。
「こら、せっかく用意してもらった衣装が濡れちゃうじゃない。もう、あんたってそんなキャラだったっけ」
何を言われてもいい。今は時間が許す限り、このままで居させて欲しい。
そんな私を抱きしめながら美咲さんが囁く。
「色々と頑張ったんだってね。柏木さんとか藍子から聞いたよ。自分のことだけじゃなくて、グループ全体のことを考えて一生懸命にできることをやってるって。立派なセンターになったじゃん。あんたが頑張ってるのを聞くと私も嬉しいんだから。ありがとね」
そんなことを言われたら、いつまでも涙が止まらなくなる。
「美咲さん、今日はどうして来てくれたんですか。大人の事情がって言われたから、仕方がないって諦めてたのに・・・」
美咲さんが少し笑みを浮かべながら答える。
「その辺の裏事情は、こっちのお姉さんに答えてもらおうかな」
隣には藍子さんが立っている。
「奏と電話で話した時は本当にダメって言われてたのよ。驚かせようと思って黙っていたわけじゃないから、そこは信じてね」
藍子さんがこんな大事なことでふざけるとは思えないので、さすがに私もそんな風には思っていなかった。
「そうそう、私も最初に事務所から言われたのはそういうオファーがあったけど、スポンサーの関係で断っておいたからってだけだったし。知ってればCMなんて降りてもいいから出たいって言うところだったのに、私のそういう性格もバレてるようで先に断ってから私に伝えられたみたい」
たしかに美咲さんならそう言いそうだな。本当にCMが減ることになったとしても、そのために自分を曲げるような人じゃないし。
「それで私も残念だけど諦めようと思ってたのよ。でも、このまま美咲抜きで麹町のコンサートに私たちが出たら、これから会う度にそれを思い出してこの子が暗くなっちゃうような気がして。なんとかできないか考えてみたの」
「そうそう。暗くなるっていうか、私たちのせいじゃないのに文句を言われそうだしね。一生恨むから、とか」
葵さんが後ろから会話に入ってきた。この三人がアイドルのステージ衣装を纏っているスリーショットを見ることができただけでも、今日という日の価値は恐ろしく高い。
美咲さんがふざけて怒りながら葵さんの肩を叩く、お決まりの光景を横目に藍子さんが説明を続ける。
「そうは言っても、今回ばかりは私が頑張ったところでどうにもできないって思ったから、ある人に相談してみたの。大人の事情を解決できるのは、大人だけでしょ」
私たちも一般的にはもう大人の部類に入ると思うけど、そんな藍子さんが大人って言う人って誰だろう。
「実は長瀬さんに相談してみたんだ。どうなるものでもないかもしれないけど、何か方法はないですかって。そしたら長瀬さんが、事務所とか広告代理店に出ていいかって訊けば、彼らも自分の立場があるからいいとは言えないし、スポンサーにそれを確認するだけでも失礼と思われてしまうかもしれないから、その可能性を模索することもしてくれないだろうって。当然と言えば当然の話だよね」
その当然が、どうしてひっくり返ったんだ。
「それを聞いて私がガッカリしていたら、実は長瀬さんのところに柏木さんからも相談があったらしくて、既に長瀬さんの方でもそこをなんとかできないか動いているところだって教えてくれたの。あっ、柏木さんが長瀬さんに相談していたのは内緒の話ね。彼にも立場があるからさ」
たしかに、斯波さんが知ったら物凄く不愉快な気持ちになってしまうだろう。特に長瀬さんの世話にだけはなりたくないって思っていそうだし。
「それで後日、長瀬さんがスポンサーの自動車会社の役員の人と直接会って、美咲が出演することを許してもらえないかって直談判してくれたみたいでね。それも、美咲がCMに出てる方と麹町が出てる方の、両方の会社にだよ。ホント、長瀬さんには頭が上がらないな」
親会社の役員とはいえ、今は直接は関係のない仕事をしている長瀬さんが、私たちのためにそこまでしてくれていたなんて・・・。全然知らなかった。
「そしたら、どっちの会社の人もそういう打診があれば検討はできるって言ってくれたみたいで。それで今回の件は美咲にも麹町にもプラスになるだろうし、ひいては自社の商品のイメージアップにだって繋がるからって言って、最後は承諾してくれたんだって。要は間に入っている人たちが決定権のある人の機嫌を損ねないように慮って確認できなかっただけで、筋を通して話を持っていけば考えてくれるのよ」
そうなんだ。まぁ、そればかりは現場の人たちにそうしてくれというのも酷だし、長瀬さんだから実現できたことだろうな。
「それで急転直下、美咲も出られるようになったっていうわけ。そんなにコンサートまで時間もなかったから、フォーメーションを作って踊るのは一曲だけになっちゃったけどね」
そんな、一曲だって全然構わない。美咲さんが出てくれるだけで雰囲気が全然違うんだから。
「そのことを後から奏に伝えるよりも、いっそ当日に知ってもらった方が喜びが大きいだろうって思って、今まで話してなかったの。ごめんね、驚かせちゃって」
たしかに驚いたけど藍子さんの言う通りその分、感動も大きかったと思う。真面目な人なのに、そういう計らいができるのが藍子さんの凄いところだ。
「藍子の説明に私が付け加えることは何もないんだけど、とにかくそういうことだから。普段は大人なんてって思うことも多いだろうけど、こういう粋なことをしてくれる人たちもいるんだったら、大人も悪くないでしょ?」
本当に私は出会いに恵まれている。先輩たちだけでなく、長瀬さんや、直接会ったわけではないがスポンサーの役員の方々だってそうだ。その全員が、今回の奇跡の立役者なんだから。
そこまで話したところで、先輩たちはそれぞれ後輩や同期のメンバーたちに連れ去られてしまった。みんな話したいことや訊きたいこと、一緒に写真を撮ったり抱き着いたりと、この束の間の再会を心ゆくまで満喫したいのだろう。私が独り占めするのは申し訳ない。
少し部屋の外の空気を吸おうと楽屋を出た私は、廊下で思いもよらない人と出会うことになる。
「加古さん!それに西条先生も!どうしてここに?」
会場に居るのもそうだし、一応、ここは関係者エリアなんだけどな。
「いや、実は今日のコンサートに柏木さんって言ったっけ、彼に招待してもらっていてさ。先日の記事のお礼ってことだったんだけど、それなら記者仲間を誘うより都合がつけば西条先生に見てもらうべきだろうと思ってご足労いただいたんだ。終わったら柏木さんが楽屋に寄っていってやってくれって言うんでここまで一緒に来たんだが、彼はキミを呼びに行ったままだな。まだ探してるんじゃないか」
そうだ。西条先生には楓子のことをお礼してない。ちゃんと言わないと。
「西条先生、阿久沢の件は本当にありがとうございました。ご覧になっていただいた通り、彼女は今までと全然違ってステージ上でキラキラしたアイドルとして振る舞うことができるようになりました。これも全部、先生のおかげです」
私がそう言うと、西条先生が意味深に笑った。
「私のおかげか。そうだな、もう一人のセンターさんについては私の施術がきっかけで、今では立派にアイドルができるっていうのを見させてもらったけど、阿久沢さんの方はそうじゃないかもね」
えっ、どういうことだ。
「彼女と会って、たしかに色々と話したのは事実だけど、実はあなたの時と違って私は特に何もしていないんだよね。だから、私のおかげで彼女が今日みたいなパフォーマンスができているのかっていうと、それは違うんじゃないかってこと」
でも事実、楓子は以前とは違うパフォーマンスを披露できるようになっているし、それが自分ではできないということを私や和泉に宣言していたはずだ。
「どんなやり方でもいいって、あなたが言ってくれたから。実は彼女には何かする前にあなたがどうやって今みたいになって、今もどうやってそんなにキラキラしているかっていうのを全部話しちゃったのよ。それこそ、初めて私のところに来た日のことから全部。そしたら阿久沢さんは勝手に衝撃を受けちゃったみたいで、私の前で泣きながら自分の想いとか今後に向けた決意とかを語ってくれちゃって」
あっ、えっ、話しちゃったんだ。私のこと。それはそれで恥ずかしいな。たしかに何でもしてくれってお願いしたのは私だけど・・・。
「それで、頑張りたいからどうすればいいかを教えてくれって言うのよ。元々、演技は好きで舞台に上がった時に役に入り込むのは得意だって言うじゃない。それなら、せっかくアイドルグループに居るんだから間近で見てる先輩とかで憧れている人がいれば、その人を一つの役だと思って真似して演じてみればって言ったの。その結果が今の状態みたいね。ちなみに彼女が憧れているのって、誰だか知ってる?」
楓子にそういう人がいるのか。まぁ、自分にできないとは言っていたけど、アイドルが好きじゃないとか、憧れてないとかは言ってなかったしな。
「勝手にバラしちゃって申し訳ないんだけど、あなたにだけは特別ね。本人に確認すれば了承してくれるのは間違いないから。以前は由良美咲さんで、そして今は新田奏、あなたに憧れてるんだって。そんな憧れの人の誰にも知られていない衝撃的な成長秘話を聞かされてしまったら、それは人間、変わるわよ。特にそれが真面目な子なら、尚更そう」
ちょっと待って、楓子って私に憧れていてくれたの?一緒に食事に行った時も、そんな素振りは全然見せてこなかったのに。いつの間にか相思相愛だったんだ、私たち。なんか照れくさいな。
「そういうことだから、彼女に関してはあなたの時みたいにパタッと今の状態が終わることはないから安心して。それにしても初めてアイドルのコンサートって見させてもらったけど、けっこういいものね。そういう成長とか、変わっていく姿を見させてもらうのって。自分に子供がいないからよくわからないけど、習い事の発表会とか学校行事とか見に行くのに近いのかな。楽しかったよ」
そう言ったと思うと、西条先生は彼女らしいお洒落な春モノのコートに袖を通した。
「それじゃ、私はこの辺でお
そう言って西条先生は振り返って歩き出す。そして加古さんも一緒に帰ってしまうようだ。
「そしたら俺も帰るから、同じく柏木さんによろしく。あと里見さんなんかにも」
加古さんが駆け足で西条先生の後を追う。私は二人が角を曲がるまで頭を下げて見送った。二人とも、本当に良い人たちだ。ここにもまた悪くない大人がいることに、私はあらためて自分の運の良さを実感した。
私が頭を上げると、後ろから和泉の声が聴こえてきた。
「かなちゃん、何やってるの!早く支度しないと、今日は遅くなっても打ち上げに行くって先輩たちも言ってくれてるんだから。置いていかれちゃうよ!」
打ち上げにも参加してくれるんだ。これは席の取り合いが大変なことになりそうだな。急がないと。
「うん、今行く!」
私は慌てて楽屋に戻り、遅れをとっている分、急いで身支度を整えることにした。
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