第8話 私たちのやり方

 静まり返った会議室では、空調の無機質な音だけが我が物顔で鳴り響いている。


 そんななか私がこの後の展開を確認するように視線を送ったところ、柏木さんは久方振りに言葉を発してくれた。


「とりあえず事実関係はわかった。今日はここまでにしようか」


 そうそう、今日は何が事実だったかを確認する場であって、それについてどうこう言う必要はない。


 柏木さんも、これ以上は誰にとっても有意義な時間にならないことを感じたのだろう。賢明な判断だ。


「あとは俺から斯波さんに説明して、早い段階で今後どうするかを決めるから。それまで二人はいつも通りにしておいてくれ。ただ、この件については自分が間違えていないと思っている部分も含めて誰にも何も話さないこと。いいな?」


 最上と瀬名が小さく首を縦に振る。


「長岡と奏もな。それと悪いけど今日は二人を送っていってやってくれ。今、西尾にタクシーを呼んでもらうから」


 それにしても衝撃的な場に立ち合ってしまったものだ。こんな場面に出くわすことはそうそうあるものじゃない。気持ちの良いものではないけど。


 しかし、斯波さんはどういう判断をするんだろう。


 記事には憶測も多かったけど僅かとはいえ事実も入っていたわけだし、中途半端に否定するとかえって藪蛇になったりしそうだな。


 出来ることならファンの人を安心させてあげたいところだけど、今の情報だけであればそこまで二人に対して疑心暗鬼にもなっていないだろうし、放っておくのも一つの手か。


 そのうちに忘れてくれるかもしれないし。


 でも、それが本当にファンの皆さんに対して誠実と言えるかは・・・。どうだろう。


 白黒をはっきりさせて、そのうえで気持ち良く応援を続けたいってファンもいるんだろうな。


 もちろん、ほんの少しでも黒い部分を認めることで離れていってしまうファンもいると思うけど、それは仕方がない。そういうことをしてしまったんだから。


 たとえ一滴の泥水であっても、それが混じってしまった瞬間にその樽のワインは全てがダメと、泥水と看做されてしまう。そんな話を何処かで聞いたな。


 もったいない。すぐにその部分をすくい取ればいいだけなのに。


 でもホント、私たちアイドルもワインみたいなものだよね。


 ファンからはその一滴の濁りも許さないという厳しい目で見られるし、年代による良し悪しみたいに脚光を浴びる時もあれば、今は、この期間はダメだと烙印を押されてしまうこともある。


 そういう意味では、これからが旬の二人を完璧なまま売り続けることを望むであろう、斯波さんをはじめとする運営の人たちの選択肢は沈黙を貫く、つまりスルーすること以外にはないのかもしれない。


 でもそれだと、二人はいつまでもその負い目を感じながらファンと接することになる。二人のアイドル人生にとって良かれと思ってそうすることが、本当に良いのかは誰にもわからない。


 私の頭のなかは堂々巡りをしていて、何が正しいか、どうするべきかは簡単にはわかりそうになかった。


 数日後、私は和泉から柏木さんが斯波さんたちと協議した結果を聞かされることとなる。


 やはりスルーでいくみたいだ。


 そうなるよね。特に最上は今、二曲続けてセンターを務めている新エースの呼び声も高い金の卵だし。


 次の春曲だって、誰かの卒業とかがなければ最上が最有力候補だったんだから。今回の件を受けて運営がどうするかは知らないけど。


「奏、そこまで一緒に帰ろうよ」


 その日の仕事の帰り、私は珍しい人に声を掛けられた。


 結菜さんだ。


 私と結菜さんは今でこそ選抜の仕事で顔を合わせることが多く、フロントだけしか参加しない現場でも一緒になるため、その際に立ち話をすることなんかも少なくはない。しかし、その前は何年も同じグループに居ながら長いことまともに口をきいたことすらなかったのだ。


 仲が良いとか悪いとか、そういう問題ではない。そのくらい選抜とアンダーは接点がないし、まして同期でもないと本当に会う機会も稀なのだ。それでも社交的な子は何かのきっかけで話すようになり、そのままプライベートでも遊びに行ったりするようになるのだが、私に限ってそんなことは起こらないのは言うまでもない。


 そんな私と結菜さんが仕事場でとはいえ普通に、時には冗談を言ったりもできるようになったのはある大きな出来事があってのことなのだが、いずれにしても職場以外で声を掛けられるのは今でも珍しい。


「こうしてお話ししながら歩いたりって、あまりなかったですね」


 私はどこか喜んでるみたいに結菜さんから見えただろう。実際に嬉しいのだが。


「そうだね、仕事では一緒になること多いけど」


 でも逆に言えば、何か話したいことがあるってことか。あえての私と。


「奏はさ、今回の三期生の子たちのこと、あれで良かったと思ってる?」


 やっぱりその話だよね。私も、結菜さんとか一期生の先輩たちがどう感じてるかは気になるし。


「私は・・・。考えてみたんですけど、よくわからなかったです。グループにとって、本人たちにとって、どうするのが一番いいのか。答えが見つけられないなって思いました」


 私は正直に思っていたことを言ったのだが、それは結菜さんの期待していた回答ではなかったのかもしれない。結菜さんは私の答えを聞いてから、何やら考え事を始めたようだった。


 そして少し間を空けて結菜さんが言葉を返す。


「まぁ、正解があるような話ではないかもしれないし、それも一つの答えなのかもね。でも正直に言うと、私はちょっと違和感があったかな。ウチのグループらしくないっていうか・・・」


 結菜さんがやんわりと私の考えを否定したのを受けて、私は少し喋りづらくなってしまった。


 ひょっとして私、何か大事なことを見落としているのかな。


 しばらく黙り込んだまま道を歩いていき、交差点に差し掛かって信号が赤になったところで、私たちは二人揃って歩道の端に立ち止まる。


 その時、たまたま角のコンビニの方に目を向けた私は、そのガラス越しに見える雑誌コーナーの、ディスプレイ用に外側に向けて立てかけられているファッション誌の一つに目を奪われた。


 なぜかはわからないが、あっちの方から呼び止めてきたのかと思うくらい、そこに並んでいた文字たちは私の瞳に鮮明に映った。


「あっ、今月はよく知ってる人が表紙じゃん。『里見さとみあおいの冬コーデ特集』だって」


 結菜さんも私の視線を追っていたのか、同じ雑誌に気付いたようだ。


 表紙を飾っていた人気モデルの葵さんは、私も結菜さんも知りすぎているくらいに知っている人だ。


 当時のキャプテンだった藍子さんと一緒に、同期の葵さんが卒業してからはまだ一年も経っていない。それなのにその空白の時間の寂しさがそう思わせるのか、私はそこに居る葵さんを妙に懐かしく感じた。


「前までのウチのグループだったら、同じような判断をしたのかな。もちろんトップが長瀬さんから斯波さんに代わったのもあるんだろうけど、それだけってわけじゃなくて。ウチは真面目で大人しそうな子が多い、アイドルとしては珍しいくらい地味なグループだけど、そんなところもファンの人たちは好きになってくれていて、そんなファンを大事にしてきたからここまで来れたんだと思うんだよね」


 あっ、何かわかった気がする。私が気付けなかったこと。


「そんな私たちが、グループのためとか、本人たちのためとかって理由でスルーするとか決めちゃって、本当に大丈夫かな。前なら、誰かがファンのために何がいいか考えようって声を上げてた気がするんだよね。その表紙のモデルさんとかさ」


 葵さんは口数の多いタイプではなかったが、ここぞという時には鋭い意見を言う人で、彼女が口を開くとその内容には皆が一目置くような存在だった。


「葵と私って、二期生とか三期生はほとんど知らないだろうけど、実はけっこう仲良しだったんだよね。一期生でも知らない子の方が多いかもしれないけど」


 そうだったんだ。それは私も知らなかった。


「葵って不思議な人だったでしょ。掴みどころがないっていうか、何を考えてるかわかりづらいっていうか。周りが騒いでる時とかもあまり関わろうとしないくせに、話の内容だけはしっかり聴いててさ。誰かと誰かが揉めそうになってれば、こじれる前に口笛吹いてその子たちの間に紙飛行機を投げたりして。私もよく、知らないところで話を聴かれてて後で冷やかされたりとかしてたなぁ」


 結菜さんの語る葵さんの姿は私にも容易に想像ができる。


「葵さんっぽいですよね、そういうとこ」


「ねっ。でも、そんな葵のポリシーっていうか、何があっても絶対に譲らなかったところって何だか知ってる?」


 なんだろう。私は首を捻るだけだった。


「いつでも誰にでも、公平であること。それだけは一貫してた。喧嘩の仲裁に入っても、自分がどっちと仲が良いとかそういうのは絶対に持ち込まなかったし。そういうフェアじゃないのは嫌なんだって」


 たしかに、葵さんってそんな感じだったな。


「そんな葵だったら、今回のことをどう思ったかな。たぶん、ファンに対して不誠実だって怒ったんじゃないかと思うんだよね」


 私は自分がグループの先行きとか、最上と瀬名のこれからとか、要は自分たち側の都合ばかりを考えて、自分たちを支えてくれているファンのことを何も考えなかったことを恥ずかしく思った。


「それに優等生で生真面目な藍子がキャプテンだったら、絶対に認めるところは認めて、謝るところは謝るべきだって言い出すと思うし」


 私たちのグループをゼロから創り上げてきた先輩たちがどう思うか。その人たちに胸を張って会えるか。それは同期の結菜さんが一番よくわかっているのだろう。


「それに、もっとそういうのにウルさい人も居たしね。めちゃくちゃ怒っただろうな、きっと」


 私も同じことを考えていて、思わず思い出し笑いをしてしまった。


「葵とか藍子が最後まで気に掛けていた奏なら、同じようなことを思ってるかもしれないなって思って今日は話したかったんだ。選抜の前の方に同期も減ってきちゃったしさ」


 私はせっかくの結菜さんの期待に応えられなかった自分が情けなくて仕方ない。


 そうだ。この激動の時代を生き抜いていくためには、変化を恐れていてはいけないし、世代交代、新陳代謝も必要なのは事実だろう。しかし変えていかなくてはならないものと同時に、変えてはならないものもある。私たちにとっては、バカが付くくらい真面目であること。真摯な姿勢で健気に様々な活動に取り組むこと。そしてファンを何よりも大事にすること。これらがそうだったのではないか。


 いつの間にかグループが大きくなり、世の中に知られるようになり、メンバーが入れ替わるなかで、その大事なことを見失ってはいなかったか。


 女優や歌手と違い、アイドルには明確な定義がない。そんな私たちをアイドルたらしめているのは唯一、ファンの存在だ。ファンの皆さんがアイドルをアイドルとして認識し応援している事実が、私を、私たちをアイドルにしてくれているのだ。そのことを忘れてしまった瞬間に、私たちは何者でも無くなってしまう。


 私は今回の運営の判断が大きな誤りであったような気がしてきた。そしてこの代償をどこかで払わされるのではないかと、急に怖さを感じるようにもなっていた。


「すみません、結菜さん。私、大切なことを忘れてました。スルーするのは麹町っぽくないです。ファンが忘れるのを待って、それまで黙って居ようなんて私たちのすることじゃないと思います」


 結菜さんが少し安心したような顔を見せる。


「だよね、やっぱり。良かった、そう思うのが私だけじゃなくて。でも、もう方針は決まっちゃったしね。こういう自分たちらしくないことをしていると、いつか自分に返ってくるような気がするんだよね。大丈夫かな」


 本当にそうだ。何もなく過ぎればいいんだけど・・・。


「あっ、奏はあっちだよね。じゃ、またね」


「ありがとうございました。今日、結菜さんと話せて本当に良かったです」


 結菜さんは私が言い終わるのを聞いて、手を振って去っていった。


 私も振り返って帰ろうとしたところに、冷たい北風が一つ吹き抜ける。


 寒い、早く帰ろう。


 私は小走りで家路を急ぐ。


 この日、私は結菜さんと話せたことであらためて自分の居るグループの原点を思い出し、それを誇らしくも感じていた。


 しかし、そんな私をあざ笑うかのように結菜さんの悪い予感は現実のものとなってしまうのだった。

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