読み取る。彼女の日課。その2
翌日、鹿島にまた会った。
「おはよう。いや、こんにちは、かな?」
その時間は昼休みだったので、廊下は食堂に行く者でごった返していた。
ちょっとでも前に行こうとすると、後ろに押し返される。さっきから数歩ずつ後ろに押されてる気がしてならない。
「……っ!?」
「うおっ!」
僕と鹿島の方に、人が一斉に雪崩れ込む。
避けることも出来ずに、飲み込まれた。
「きゃっ……!」
「か、鹿島っ…!」
足が絡まって転倒しかけた彼女を、
「くっ…!」
胸に抱きとめる。頭を守るようにして腕で包み込む。
「ひ、ひゃうっ! お、尾上くん……?」
彼女が驚きの声を上げた。
ちょうど彼女の頭に手が乗っかっている。そのまま墨色の髪を優しく、円を描くように撫でる。
「ふ、ぁ……ん、っ……」
鹿島からどんどん力が抜けていく。どうやら弱点は頭にあるようだ。
「ま、って……くすぐ、ったいよ……」
墨色の目が、僕を見上げてくる。涙まで浮かんでいた。
「うっ……」
心臓がドクンと跳ねる。
さすがにこれ以上は危険だと判断して、頭を撫でるのを止めた。
でも、抱きとめる腕は危ないので解かなかった。
「っ~~~!」
恥ずかしさからか、鹿島が僅かに身じろぎする。
「動くな。キミを解放するにはまだ早い。もう少し待ってから、な?」
至近距離で目が合う。お互いの呼吸が鮮明に聞こえるような近さ。
そこで彼女は伏し目がちに、自信無さげに言う。
「分かった。……でも、イヤじゃないの?」
僕は驚いた。昨日の放課後の時もそうだったけど、髪に隠れて見えないだけで、鹿島は雨宮に引けを取らないほどの美人なんだ。
「んっ……」
彼女の白い手が伸びてくる。あ、今読み取られるのはマズイ!
「ふっ!」
首を右に曲げる。
ちょうど手を避けた感じだ。
「避けちゃ、ダメ……」
「そ、そんなこと言ってもな……」
彼女の瞳が僅かに揺れている。
仕方ない、と、僕は大人しく彼女の手を受け入れた。
額に白い指先が接触する。
──────それだけで、僕の思考は丸裸になった。
「……!?」
彼女の目が限界まで見開かれ、顔がみるみる紅潮していく。
「わ、わたし、そんな、美人なんかじゃっ……!」
そんなことない。みんな気づいてないだけなんだよ。
また読んだのか、力なく僕の胸に顔を預けてくる。
「や、やかましいっ……」
いつもは叫ぶように発するその言葉も、今は消え入りそうなくらいに小さな声だった。
***
その後、何とか食堂に入れたものの、座席は全て埋まり、売店には長蛇の列が出来ていた。
「鹿島。どこで食べよう?」
「……」
鹿島が横目で睨んでくる。なるほど、言いたいことは分かる。
「一緒のクラスじゃないのに、どうして昼休みを共にしなくちゃならないんだ、ってところかな?」
「……っ!?」
鹿島が驚きの声を上げる。
「す、ごい。考えてたことと、おんなじ。どうして、分かったの?」
若干舌ったらずなのは、この際置いておく。さっき抱きしめたのが原因なのか、まともにこっちを見てくれない。
しかもしきりに『見られた。顔、見られたっ。もう、お嫁に行けないっ……』とか散々呟いていたのだ。キミは大昔の人間かと突っ込みたくなった。
「……」
「……っ」
二人並んで、大人しく順番を待つ。話が無いのは苦痛なので、話題を振ろうとしたその時、彼女が口を開いた。
「……屋上で、食べる」
今にも消え入りそうなその一言は、彼女の今の感情を表しているのではないかと思えた。それほどに、彼女の声音と表情は分かりやすい。
「……僕も、ついて行っていい?」
少し屈んで、下から彼女の表情を覗き込む。チョップで阻止された。
「……」
「いったー!」
悪いのはお前だ、と言わんばかりに口角を釣り上げる。なんと、ドヤ顔しやがった。
もう一度覗こうとすると、今度は足を踏みつけられた。
「……」
またドヤ顔。少しイラッと来た。
「いいよね~?」
そして、お返しだとばかりに、頭に頭に置く。
「……んんっ!」
彼女の体がビクッと震えた。構わず、優しく撫で回す。
「……ん、む、うぁ……」
必死に声を我慢しようと顔を赤くしながら、懸命に口を閉じる。でも堪えきれてなかった。
「……っ!」
ふるふると首を振りながら、僕の顔を見上げてくる。彼女はすっかり涙目だった。
「……って」
「うん? 何、どうしたの?」
「良いって、言ってる、のにぃ…… 」
さすがにやり過ぎた。反省だ。
「ごめん。ありがとうね、鹿島」
こくんと頷く。その表情はまた読み取れなくなっていた。
***
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます。」
おばさんから袋を受け取り、先に会計を済ませて待ってくれていた鹿島と合流する。
「待ったかい?」
鹿島は無言で首を振る。
その手には、おにぎりが二つ。
「えーと、明太子にツナマヨか。それ、足りるの?」
彼女はその発言に、ただニヤリと笑うだけ。前髪が隠れててかなり怖いけど。やっぱり切った方が良いよね。
「……他の子は、どうか知らない。けど、わたしは、燃費が良いから……」
「なるほど。でも足りないなら言ってくれ。余分に買って来たから」
「……うん」
こくんと頷く。
鹿島が僕に背を向ける。そして、一言、
「……ありがとう」
超小声で言われたその言葉は、彼女が恥ずかしいと感じている証拠なんだと思った。
***
「はむっ、んぐっ……」
鹿島が笑顔を浮かべながら、美味しそうに明太子おにぎりを頬張る。
屋上に上がった僕達は、室外機に鹿島、持参のクーラーボックスに僕がそれぞれ腰掛けた。
「あ、そうだ。鹿島、飲み物あるんだけど、何が良いかな?」
そう言って、クーラーボックスの中を漁る。
ガタガタと中々デカイ音が屋上に響く。セミの音に紛れて聞こえていないことを祈るばかりだった。
「んーと、中身は。炭酸水、オレンジジュース。リンゴジュースに、コーラ。あっ、ミネラルウォーターとかスポーツドリンクもあるな。
鹿島はどれが良い?」
「……」
「鹿島……? って、え……」
今まで素顔を見せることをあれだけ恥ずかしがっていた彼女が、前髪を自分で掻き上げていた。
「鹿島、前髪…」
「……見てもいい?」
彼女に、僕の声は届かなかったようだ。
「あ、うん。いいよ…」
こっちこっち、と手招きする。
こくんと頷き、ひょいっと室外機から飛び降りて、クーラーボックスから2メートル先にしゃがみ込む。
「そこじゃ遠いよ? もっと寄って」
体をペンギン見たいに左右に揺らしながら、器用に歩いてきた。しゃがみ歩きとは、中々器用だな。
「うん。どうぞ」
僕は満足気に頷いて、クーラーボックスを鹿島に渡す。
彼女は満面の笑みを浮かべて、リンゴジュースのボトルを手に取った。
「それにする?」
「うんっ」
それならと、僕は麦茶を手に取った。
「いただきます」
「どうぞどうぞ」
そして、二人仲良く一気に飲んだ。
「……美味しい」
「良かった」
その後は、二人黙って食事をした。互いに食事に夢中になっていたからだ。決して話す内容が無かったわけじゃない、と思いたい。
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