第6話 彼女との日々

 彼女との同棲が始まった。

 彼女に憧れていた頃の私にそう聞かせれば、きっと仰天するに違いない。

 あ、別に今は彼女に憧れていない、とかそんなわけではない。補足しておく。

 彼女は相変わらず美しく、そして私は彼女に今も憧れ、魅了されている。

 それと同時に、彼女は手の届く存在にもなり、それは親しみを湧かせるのだった。

 彼女と付き合うことで、関係を深めることで、彼女のことを知っていく。

 深く。深く。

 澄んだ海であろうと、水底へと進めば、それだけ光は少なくなる。

 彼女も、そういった存在だった。

 同棲して最初の頃は、私たちはお互いに『親しい他人』としての距離感を保っていたと思う。二人別の布団で寝起きし、二人それぞれ学校やバイトに行き、夜は部屋で仲良く過ごす……。そんな感じだ。

 彼女と私のスキンシップと言えば、テレビを見ながら彼女が抱きついてきたり、私が彼女の手を握ったり、あるいはをしたりと、そんな感じである。

 しかし。

 ある日、私が寝ようとすると、寝間着姿の彼女が私の布団の上に座っていた。

「……どうしたの?」

 彼女の独特な価値観を知っている私は、落ち着いて問う。その直後、私は彼女が普段とは違うことに気づいた。

 彼女は枕を抱え、上目遣いで私を見ている。結んだ黒髪が、肩から胸にかけて垂らされていた。

「……えっと、その」

 彼女らしくない歯切れの悪い切り出し方。どうしたのだろうか、と思い続く言葉を待つ。

「一緒に寝て欲しい」

「あー、なるほど。一緒に……寝て……えっ」

 彼女の申し出に目を丸くする。いや、今まで一緒に寝たことはあったけれど、それはなんていうか、そういうときだけだったし。

「えーと、そういう、お誘い?」

 探るように私が問うと、彼女は首を横に振った。

「違う。……ただ、一緒に寝たいだけ」

 そう言う彼女は、まるで幼い少女のような不安定さをその瞳に浮かべていた。そんなものを見てしまうと、その申し出を拒否するわけにもいかないよなあ、と思ってしまう。

 もっとも、拒否する気は皆無だったのだけれど。

「……あ、そういう……。うん、別にいいけど」

 私が申し出を承諾すると、彼女はぱあっと明るい表情を浮かべる。その様子もまた、幼い少女のようだった。

 幼い少女のように無垢で天真爛漫に見え、そして幼い少女のように見ていて不安になる。

 彼女の価値観が、人間性が独特だということは知っていた。しかし、これは何かが違う。その何かを言語化できずにいる私がいる。

 けど、何かが違うのだ。これだけは断言できる。大事なボタンをかけ間違えているような、そんな据わりの悪い感触を覚える。

 そんな私を知ってか知らずか、彼女はにこにこと笑顔を浮かべたまま布団に入る。その後、布団の中から手を伸ばし、自身の隣をぽんぽんと叩くのだった。どうやら、早く入ってこい、ということらしい。

 私はおそるおそる布団の中に入る。中は、彼女の体温を帯びている。

 率直に言って、私は結構動揺しているというか、かなり緊張しているというか、そんな感じである。

 そういう行為とはまた別ベクトルの何かが、この一連の行為にはあった。

 布団の中に入り、「おやすみ」と彼女に言って目を閉じる。寝ようとする。

 しかし意識は覚醒していた。必死に寝ようと努力する私である。

 そんな私の努力をあざ笑うかのように。

 彼女が私の腕に手を伸ばし、抱きついてきた。いや何で、という疑問が頭の中を駆け巡り、体温は上昇し意識は覚醒する。

 寝れるわけないだろう。

「えっと、どうしたの?」

 彼女に問う。

「あなたに抱きつきたかったから。あなたの体温を感じたいから」

 彼女はそうさらりと言って、少ししたあと寝息を立て始めた。

 寝ている彼女を起こすわけにもいかず、彼女の体温を感じながら全力で寝ようとする私。こういう場合は羊を数えると良いと聞く。

(羊が一匹、羊が二匹……)

 私は頭の中で羊をカウントしつつ、寝ようと試みた。


 結局この日はほとんど寝られなかった。私は三時間近く羊を数えていたような気がする。

 おそらく、数えた羊は一万匹近いだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る