第8話
「ゆうちゃん、起きてる?入るよ」
お姉さんの声が聞こえる。
「お姉さん、なんか寝てた。」
僕はお姉さんに起こされていた。
「もう一度寝たら男に戻ってるかなと思ったけど、
都合良くそういうことにはならなかったね」
お姉さんの一言で僕は自分の身体をみたが女性のままであった。
もう戻れないのかなと僕は少し諦めかけていた。
「お母さんが帰ってきたよ。ご飯を食べるから降りておいで」
お姉さんの優しい声が僕の心を優しく包んでくれるようで、
とても心地よく、そして嬉しく感じた。
「お母さん、お帰りなさい」
僕はお母さんにそう言うと、母は驚いた顔で僕のほうを見た。
母が驚くのも無理も無い。
昨日まで(男の身体のときまで)僕は母親に挨拶をしたことが無い。
おはようも、ただいまも、おやすみも言ったことが無いのだ。
小さいときはちゃんと挨拶は言っていたと思う。
しかしいつからだろうか。僕が母親と話をしなくなったのは。
母の事をうるさい、ムカつく、イライラすると感じてから、
僕はお母さんの顔も合わせるのがイヤになった。
はっきり言うと顔も見るのもイヤになった。
そしてお母さんと話をすることも一切無くなった。
「ゆうちゃん、ただいま。もうすぐご飯が出来るから座っていてね」
しっかりと会話が出来ていることに僕も実は驚いている。
お母さんってこんなに優しかったんだ。
僕はお母さんの事をしっかりと見ていただろうか。
なんかすごく痩せてしまってる気がした。
もちろん今日になっていきなり痩せる訳がない。
僕が見ていたお母さんは、
小学校のときのお母さんの姿で止まっているんだ。
だから今日、お母さんを見たときすごく痩せたように見えたんだ。
「ゆうちゃん、お母さんをじっと見てどうしたの?」
お姉さんに言われて僕はハッとした。
そしてお姉さんに言った。
「黙っていてくれる?なんかお母さんが急に痩せたように見えたんだ。
でもたった一日であんなに痩せたわけじゃない。
僕は今までお母さんを見ているようで、
実際には何も見ていなかったんだということに気が付いた」
僕の言葉でお姉さんは少し涙ぐんだ。
「お姉さんの『もうちょっとお母さんには優しくしてあげなよ』
今ではすごく判る気がする。なにをやっていたんだろうね、僕ってさ」
今、身体が女性になったから、
女性の頭でそのように見えているわけじゃない。
今日一日、自分に起きたことを考え、
どうしようもないことに気が付き、
どうしたらいいのか全く判らない日を過ごして
辛くて苦しいときにちょうど良いタイミングで僕に電話をしてくれた。
そして優しいお母さんの声を聞き、そして母の前で初めて泣いた。
『泣いても仕方がない』お母さんに言われた言葉。
(何でこういう時って女って冷静で居られるのかな?)
僕は小さいときから急に熱を出す子だった。
幼稚園から帰ってきてお友達と遊びとても上機嫌だったその日の夜、
急に身体がだるくなって僕は眠った。
急に騒がしくなったことを覚えている。
そして朝、目が覚めるとお母さんが僕の傍で横になっていた。
夜の間ずっと僕の看病をしていたのだった。
頭を動かすと氷枕から聞こえるゴロゴロという音。
僕はずっとこの音が好きだった。
僕が熱を出すと氷枕を作ってくれる。
だから僕の家の冷蔵庫はとても大きい。
冷凍庫のほとんどがいつ熱が出るか判らない僕のために、
常に大量の氷が作られてあるからだ。
「ねえお姉さん、僕って本当に馬鹿なんだね」
お姉さんは僕をじっと見つめていた。
「ぜんぜん馬鹿じゃないよ」
お姉さんの一言が僕の心に染み渡っていった。
☆彡
テーブルの上に次々と作られていくおかずの数々。
僕が余分に買ったお弁当も夕ご飯のおかずに作り変えられていた。
そして何年振りの三人での夕食。
三人が揃わなくて何年振りの三人の食事になったのではない。
僕が三人での食事を嫌がったために一緒に食べなかった。
お母さんやお姉さんは大嫌いだった。
顔も合わせたくなかった。
だから食事も一緒に食べたくなかった。
だけど今日、お母さんとお姉さんと一緒に食べる食事は、
とても心地が良くてすごく楽しい食事だった。
優しさと笑顔が溢れる食卓だった。
家族との
強制されるものほど嫌なものはない。
食事は家族一緒に食べるものだ。
だから常に一緒に食べなくてはならない。
このように強制された食卓には、団欒と言う文字はない。
団欒になり得ないのなら、家族との楽しい食事にはなり得ない。
しかし今、僕が居る食卓には笑顔がある。そして優しさがある。
本当の家族の絆というものの団欒と言うものがそこにある。
強制されるものではなく、
一緒に居たいと言う気持ちが僕にはあるのだ。
一緒に食べたいと思う僕がここに居るのだ。
「お姉さん、やっぱり僕は馬鹿だよ」
お姉さんは僕の顔を見て言った。
「もうそういう話はやめよう」
僕はお姉さんの顔を見て微笑んだ。
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