第19話

 偽りの暖かな日差しが差し込む朝。少年はいつも通りの時間に起床し、畑仕事の格好になり土にまみれながら畑を耕す。

 死んだ地上では既に失われた四季が、この地下世界には存在していた。

「なんでわざわざこんな寒くする必要があるんだよ……」

 枯葉舞う時期は過ぎ、今は冬と呼ばれる時期を再現しているこの地下には、手が悴むような寒風が吹いている。流石に地下のこの狭い空間では雲は作れんから、雨も雪も降らせれんのが残念じゃと着物の少女が言っていた。

 その代わりにと言ってこの冷風を流しているらしい。少年からしてみれば、あの寒さに震えていた地上よりももっと寒い環境を何故わざわざ作り出すのか、全くもって理解に苦しむところだった。

 家畜達は外に出る事も無く、じっと身を寄せ合い寒さを凌いでいる。少年も仕事の手を止め、閉じた両手にハーッと息を吹き掛け僅かばかりの暖をとる。

「さっさと終わらせてコーヒーでも飲むか。」

 少年は先ほどよりもせっせと身体を動かし、少しでも身体に熱を帯びるよう意識的に力を込める。


 少年が家に戻ると、白衣の男が待っていたかの如く少年にコーヒーを差し出し、それを受け取った少年は薪ストーブの方に椅子を動かし、苦そうにコーヒーを啜りながら暖をとる。

「何であんたの入れるコーヒーはこんなに苦いんだよ。」

 少年は不味そうに舌を出して嫌味を吐き出す。白衣の男は相変わらず煙草を吹かしながら物げ無い様子でコーヒーをゴクリと喉に流し込む。

「それは君がまだ子供だからさ。」

 それを聞いた少年はムッとし、勢いよく残りのコーヒーを飲み干す。やはり苦い。少年は顔には出さないように少し背けながら空の容器を机に置いた。それを知ってか知らずか、少年が口の中に広がる苦味と奮闘しているところに別の話題をふる。

「それじゃあ今日も一応検診をしようか。あれから逆に元気になっている君を見ていると、診る側としては仕事のやり甲斐が無いけどね。」

 少年は例の件から這々の態で帰って来てから、着物の少女は1週間寝たきりと言っていたが、人間の限界を超えるように造られた強化服の効果は、その程度で済むものでは無かった。全身が激痛により指先一つ動かす事が出来ず、無理矢理にでも動かそうものなら、その瞬間失神するのではないかという衝撃が走る。それでも意識を手放さない少年の尋常ならざる天性の丈夫さが、この時ばかりは仇となってしまった。しかしそれは少年がこの一件のことを深く考えるのを辞めさせる、という点に於いては悪い事では無かったのかもしれない。

 着物の少女は、少年が戻ってきたその日から、まるであの時少年を心配していたのが嘘のように、持ってきたお宝を奪って自分の住処に籠ってしまった。

 少年は多少なりとも恨めしい思いも沸いたが、兄貴の命をかけて手に入れたお宝が何なのかを寝食を惜しまずにやってくれているかと思うと、小言の1つも口から出る事は無かった。

「本当に君の身体には驚かされるね。恐らく自分の身体の限界を脳が理解した事で、自分の能力の最大値ギリギリまで身体を動かす方法を身に付けたのかも知れない。今ならあの強化服が無くても、同じくらいの事は出来るかも知れないね。まぁ今では農作業ぐらいにしか使われてないけれども。」

 白衣の男はニヤリと笑いながらそう言う。多少の冗談の類いも混ざっていたのかも知れないが、少年からしてみればこの生活は、もう自分にとっては切っても切り離せないものになっているし、それでいいのだと思っていた。

 家の中とはいえ、この寒い時期に脱いだ上着を急いで着直し、薪ストーブの前に陣取る。すると柱に掛かっていた時間を知らせる時計の鐘が鳴り、食事時だという事を知らせてくれた。今日は少年の食事当番の日だ。

 今日の献立はサンドイッチと、適当な野菜を煮込んだスープだ。少年は手際良く包丁を使い野菜を切ると、雑な味付けで鍋の中に調味料を突っ込んでいく。それを後ろで見ていた白衣の男は、酷く落胆した様子でそれを見ていた。

「君は包丁の扱いだけは上手なんだけど、料理の腕はどうにもならないものかな。」

 背中に刺さる言葉を、知らない振りをして払い落とす。

 少年はサンドイッチを4人分作った。余分に余ったものは、後で着物の少女の住処へ持っていく分。もう1つは着物の少女の所へ行く前に、家の裏手へと持っていく。そこには簡素に造られた十字の木の棒が刺さっていた。

 話によるとこれは墓というものらしく、死んだ人間のために生きた痕跡を残す物らしい。ただし普通はその土中には本人の死体であったり、生前使っていた物などを埋めるらしい。残念ながら兄貴の身体も持ち物も、全て手元に無いため、そこには悲しげに木の棒が立っているだけだった。

「兄貴、俺が唯一まともに作れる料理だからさ、飽きてきたかも知れないけど食べてくれよな。」

 そこに兄貴がいないと分かっていても、少年にとってそこは兄貴の場所だった。だからこうして少年が得意な料理の時には欠かさず墓前に添えている。すると少年の横からヌッと手が伸びてきて、そのサンドイッチを無造作に掴み、咀嚼する音が聞こえる。少年が唐突の出来事に驚いて後ろを振り返ると、そこには着物の少女が立っていた。

「今日の供え物は食い物じゃ無くて、こいつにせい。」

 そういって投げて渡したのは、仁王の瞳だった。


「このお宝がなんだったのか分かったのか?」

 少年が急く気持ちを抑えて、着物の少女から視線を外して仁王の瞳を兄貴の墓の前へと置く。

「お主に言っても分からんと思うが、簡単に言えばDNAじゃな。」

「は?何だそれ。」

 少年は兄貴がこの世の中をひっくり返すようなもの、と言っていたのが、その一言で表された事に頭が混乱する。

「そのDナントカって奴が世界をひっくり返すのか?」

「この二重螺旋構造には人の情報が詰まっておる。誰かと誰かが親子だとか、兄弟だとか、それとも全く関係の無い人間だとかな。それから分かった事は、わしら人間は皆同じDNA構造だった、という事じゃな。」

 着物の少女は、2個あったサンドイッチのもう片方に手を伸ばし、一口で頬張る。余程腹が減っていたのか、あっと言う間に飲み込んでしまった。

「わしも、お主も、兄貴も全員同じ人間だという事じゃ。」

「そりゃそうだろう、俺らが人間じゃなかったら誰が人間なんだよ。」

 着物の少女な軽く眉間に抑える。

「あー……、つまりは……わしらは誰かによって造られた同一人物だと言う事じゃ。」

 少年は全く意味が分からなかった、見た目が違うし考えも違う俺達が同一人物な訳が無いだろう、そうとしか思えなかった。

「もう良い。要はわしもお主も、わしらの全員が家族という事じゃ!これで納得せい!」

 考えるのを放棄した着物の少女は、自分用にも用意されていたサンドイッチも奪い取り、ムシャムシャと咀嚼し始める。

 納得も何も出来る状況では無いが、少年は着物の少女から自分が着物の少女にとっての家族と言われたことが、凄く嬉しかった。

「ここから先は独り言じゃ。多分そう遠く無い未来にわしら人間は全員死滅するじゃろう。それは同じ人間だからという言葉で片付けられるものでも無いが、要因の一つではあるな。悔しいがそれに抗おうとしたのがジジイどもじゃ。あの虚像の姿になれば永遠に死ぬことがない、人を捨てることで人類を救おうとしたんじゃろうが、それは道を踏み外したのと同じじゃろう。しかしトドメに他の虚像や兄貴を喰ろうた事でウイルスも効かない、新たな生命体が生まれた。人類の進化系をわしらの手で摘み取ってしまった、という事じゃな。」

 早口で捲し立てられた上に、内容も理解出来なかったが、着物の少女がそれでも良いと思ったのだろう、一呼吸置いて満足そうに頷く。

「お主は何も分からんでも良い、お主みたいな奴が案外この世の中には必要なんじゃろう。わしのように無駄に賢しい奴は道を示すだけで歩みだせんからの。」

 少年の方は見ずに独白を続ける着物の少女。その表情は光を浴びてよく見えない。

「じゃが最後の勇気の準備は出来たわい。後はお主に仕上げをして貰うだけじゃ。」

 着物の少女は表情が見えないまま何かを差し出す。それは少年が使っていたナイフだった。そう言えばいつからか見なくなっていたが、着物の少女が持っていたらしい。しかし今それを差し出す理由が分からなかった。しかし次の言葉で、少年は凍りつく。

「お主の兄貴を殺したのはわしじゃ。」

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