第18話

「兄貴!?一体全体どう言う事なんだよ!」

 荒れ狂う暴風の中、少年は飛ばされまいと必死に踏ん張りながら大声を張り上げる。

「今から俺にウイルスを打ち込んで、爺さんの口の中に入り込んでやるんだよ!」

 そういって兄貴は少年からボロ切れを奪い取り、それを纏って頭からすっぽりと被さった。少年のサイズに合わせて作られたボロ切れなだけに、丈が合っていなくて少々不格好になっていた。

「幾ら兄貴が痩せてるからって俺1人で兄貴を投げ飛ばせないって!」

「お主、首の後ろの仕掛けを押せ!」

 少年は最早考える事もなく反射的に首の後ろに手を回して、押し込める手触りの仕掛けを力強く押し込んだ。すると少年の体はビクッと跳ね上がったと思うと、全身の筋肉が脈打ち筋肉が僅かに肥大しているのが分かる。

「お主の筋力を電気信号を通して一時的に限界値まで引き上げた、これでお主の兄貴程度なら軽々と投げれるじゃろう!ただしこれは劇薬ぞ、帰ってきたら1週間は動けんと思え!」

 少年は自分の両手を何度も握り感触を確かめる。それはとても自分の身体とは思えない程に身体中に力が漲り、全身を何かが駆け巡るようだった。

「お主ら兄弟、纏めて薬漬けじゃ!わしのジジイ……家族の不始末の処理、頼んだぞ!」

 少年が兄貴の方を見やると、ボロ切れの懐から仁王の瞳とバルス爆弾を取り出して、こちらの方をニヤリと笑いながらしっかりと手渡す。少年がそれを受け取り、蜘蛛型の機械に掴ませて物陰にそっと置く。

 兄貴は注射器のような物を取り出し、それを自分の腕に力強く打ち込む。すると兄貴の輪郭が徐々にボヤけてきた、ウイルスが回って来たのだろう。ニヤリとした笑いに苦痛が浮かぶ。

 それを確認した少年が辰の虚像の方を見やると、今まさに炎を吐かんと息を吸い込んでいる所だった。

 少年が兄貴の襟元をむんずと掴み上げると、兄貴は軽々と持ち上げられ、物凄い勢いで投げられていった。

 投げ飛ばされた兄貴目掛けて炎が噴射される。兄貴はそれを少しでも防ごうとボロ切れをギュッと掴み、丸くなって少しでも炎から身を捩るようにして飛んでいった。

 兄貴が辰の虚像の口に飲み込まれるように入っていった。辰の虚像は喉に詰まった物をゴクリと飲み込む。それから数秒経つと、先程まで炎や雷で暴れまわっていたのとは違い、地に平伏しのたうち回って暴れる辰の虚像の姿があった。

 先程置いた蜘蛛型の機械をそっと肩に乗せ、その様を目に焼き付けるようにじっと2人で見つめていた。

 辰の虚像はピクリとも動かなくなった。しかし他の虚像のように消滅する事も無かった。少年は警戒しつつも辰の虚像に近づき、顔の側にひざまづく。

「よう……兄弟。」

 少年は驚きを隠せなかった。辰の虚像の口からは、絶え絶えながらも確かに兄貴の声が聞こえて来たのだった。

「兄貴、なんでだ!?」

「これは……ジジイが他の虚像を喰ったのと同じ原理かも知れんの。お主の兄貴がジジイを喰ったのじゃ。」

「爺さんからは……もう意識なんてものは無かったからな……案外簡単だったぜ。」

 そう言いながら兄貴は表情こそ分からないものの、明らかに苦しんでいるのが分かった。本当は先程の辰の虚像のようにのたうち回る程の苦痛の筈なのに、兄貴は押しとどめるように荒く息を吐く。

「だけど……かはっ!このウイルスですぐに死なないって事は……もしかしたらって事もあり得る……兄弟……止めを刺してくれ……!」

 少年は確かに兄貴の死を覚悟してここまで来た。しかし自分の手で、姿形は変わろうとも、あろう事か兄貴に手を掛けるとは考えてもいなかった。

 これにはさしもの着物の少女ですら、息を飲んで押し黙ってしまった。しかし少しの間をおいて着物の少女は言葉を紡ぐ。

「じゃが、サーバーさえ無力化してしまえば、何も直に手にかけんでも……!」

「分かる……だろ……これは想定外なんだ……ウイルスでも死ねないこの身体は……もうデータなんかじゃなくて、1つの生物になろうとしてるんだ……もしここで俺が意識を失ったら、どうなるか分からないんだ……」

 その言葉を聞いた着物の少女は、また押し黙ってしまった。そして少年の方に目を向けると、少年は涙を流しながら、右手を薄ぼんやりと光らせていた。

 着物の少女は少年の決意がここまでの物とは思っていなかった。誰よりも敬愛していた兄弟を手に掛けるという、ともすれば一生その事実を抱えながら生きていくしかないかも知れないという事に。

「すま……ないな、兄弟……お前を2度も同じ悲しみに……させちま……かはっ!……なんてさ……」

 1度目は目の前で兄貴が銃殺されるのを目撃し、2度目も兄貴が死ぬところを、しかも自分の手で殺さなければならない事を。

 少年は涙を拭って、それでも零れ落ちる涙に地面を濡らしながら、穏やかな笑顔を携えて兄貴に最後の言葉を掛ける。

「俺、兄貴と一緒にいれて幸せだった。ありがとう。」

 感謝の言葉を聞いた兄貴は、辰の虚像となったその姿でも、確かにニヤリと笑ったような気がした。

 少年は叫び声を上げながら、鱗の無い部分、眼にその光った手を深々と突き立てる。すると辰の虚像は全身をくねらせて、少年ごと暴れ出す。少年は振り回されてもその腕は抜かずに、更に奥まで突っ込み内部で腕を折り曲げる。そして肩までその腕をねじ込むと、脳があるであろう部分で拳を握り、出力を最大まで上げた。

 すると辰の虚像は尻尾の方から徐々に鱗が剥がれ、同時に身体が消滅していった。少年にはその姿が、兄貴が虚像という仮初めの姿から解放されたようにも感じた。

 少年は辰の虚像の頭まで消失し、自由落下していく最中にも涙を流し続けた。そして受け身を取る事もなく上空に向かって消えていく虚像を目に焼き付けていた。

「バイバイ、兄貴。」

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