第17話
辰の虚像が他の虚像に牙を突き立てる度に、人の声とも獣の声とも取れない、奇妙な叫び声が聞こえる。そして辰の虚像は他の虚像を飲み込む度に、その体躯を肥大化させていく。そんな姿を呆然と見守っていた3人が気付いた時には、辰の虚像は仁王と比べても遜色のない大きさまで肥大化していた。
肥大化した辰の虚像が一鳴きする。大気は振動し、木造の寺院はその衝撃に耐えかねるように軋みを上げる。次の瞬間、寺院の天井がメキメキと大きな音を立てて、まるで紙切れのように飛ばされていった。
その暴風に、先ほどまで少年を苦しめていた煙はかき消えていたが、今度は猛烈な暴風により上手く息が吸えなかった。余りの状況に身体も思考も追いつかない兄貴と少年。
辰の虚像が口からボッと小さな火を吐くと、その口から出てきたのは意外なものだった。
「我が孫よ、ここいらで手打ちといかんか。」
今まで碌に会話らしい会話の出来ていなかった虚像が、初めて意思疎通の取れるような言葉を発したのだ。
「そうはいきません、お爺様。貴方がた…今は貴方1人でしょうか。貴方のそのひた隠しにしている物は、きっと見てはいけない物なのかも知れません。」
着物の少女は、今までの雰囲気とはガラリと変わり、人を食ったような物言いとは違い、どこか厳かな雰囲気を醸し出していた。
「好奇心は猫をも殺すぞ。」
「承知の上です。」
風に飲まれそうになりながらも少年は交わされている会話を聞いていた、しかし目の前で行われている会話に全く付いていけてなかった。だが着物の少女と虚像には何か接点があるという事は理解出来た。
「なるほどな、あの嬢ちゃんがジジイどもと言ってたのは、俺みたいに虚像達の中身を知ってのこともあったが、本当に嬢ちゃんにとってのジジイだったってことか。」
「それってどういう事だよ兄貴!」
1人だけ風の影響を強く受けている少年は語気を強める。
「要は嬢ちゃんにとって虚像は、家族なんだよ。」
少年はその言葉を聞いてピクッと身体が強張る。
少年にとって家族とは、兄貴や着物の少女のように、頼り、頼られ、心の底から一緒に居たいと思える、そんな存在だと認識していた。しかし今家族と呼ばれる集合体が、この様に争う形になるというのが信じられなかった。
「おい、お前!それで良いのかよ!」
少年の短い言葉でも意図を察した着物の少女は、蜘蛛型の機械の足を少年の肩にしっかりと食い込ませ、力強く言い放つ。
「構わん!元よりそのつもりでここに来ておる!それよりも来るぞ!」
辰の虚像が大きく息を吸い込む、そして吐き出された息は灼熱となって3人に襲いかかる。
反射的に少年と兄貴は分かれる様にして真横に飛び退く。その炎は虚像の様に、薄ぼんやりとした粒子を纏っていた。
「いかんな、これは恐らくお主も、お主の兄貴もどちらも焼く事の出来る炎じゃ。」
少年はすぐさま兄貴にこの事を伝えようと大声で叫ぶ。
「兄貴、この火は危険だ!兄貴も危ない!」
兄貴もその事を悟っていたのか、こちらを見ずに親指をグッと立てる。少年はその姿を見て安堵のため息を漏らす。
「取り敢えずこの化け物をどうにかしないと、あの爆弾も使えないんだろ?こんなデカイの殴れるのか……?」
そんな少年の疑問に答える間も無く、辰の虚像が間髪入れずに巨大な身体をうねらせ、巨大な鞭の様な尻尾を振り回す。
少年はその攻撃を空中に飛び上がりながら身を翻し、回転しながら着地する。そして勢いそのまま尻尾の付け根の部分に拳を振りかざす。
その光を帯びた拳は確かに辰の虚像を捉えたのだが、確かに拳1つ分鱗は剥がれてはいる。しかしこんな事を繰り返していては埒が明かない。
兄貴の方も、ウイルス入りの銃弾を何発も打ち込んでいるが、数多に覆われた鱗に着弾し、僅かながらに穴を穿つものの効果的には見えない。
「こりゃ駄目だ、あの身体を覆っているやつを剥がさない事にはお手上げだ。」
その間に兄貴の方に合流した少年も、この途方もない敵に対してやや尻込みしていた。
「兄貴、こんなデカイのどうすりゃ良いんだよ。」
兄貴は短い間をおいて、端的に答えた。
「戦うのは諦めるか。」
「はぁ!?正気かよ兄貴、ここまで来て諦めるってのかよ!」
少年が驚いて兄貴の方を見やるや否や、辰の虚像が一声鳴く。すると空を曇天が覆い尽くし、天が唸り声を上げ始めた。すると空から無差別に雷が降り注ぎ、少年達の辺りに爆発の様な衝撃が走る。
「お主、わしをボロ切れの中に隠せ!雷は金属に引き寄せられるぞ!」
着物の少女の指示に従い、少年はすぐ様蜘蛛型の機械を懐に仕舞い込む。そして吹き飛ばされず僅かに残った屋根の下へと急いで駆け込んだ。
少年達が人為的な天災に手を焼いていると、一際高い所に姿を置いていた仁王に一発の雷が直撃した。すると仁王はその衝撃で左右二つに裂けて、燃えながら地面に倒れ伏した。そしてその足元にあったのは地下へと続くであろう重々しい扉の姿だった。
「天は我に味方せり。いや、これはジジイが勝手にやった事じゃがの。あやつの足元にあるのが恐らくサーバールームへの隠し扉じゃ。」
ボロ切れの隙間からこそっと顔を覗かせている着物の少女がしたり顔をしているのがよく分かった。
「問題はどうやってあやつをあそこから退かすかじゃな…」
雷が収まったと思うと、辰の虚像はまたもや炎を口から吐き出し辺り一帯を燃やし尽くす。最早手当たり次第だ。
炎を避けるように少年達は走り回る、狙いが正確では無いのか案外容易く避けることが出来た。
「もしかして爺さん…もう理性が無いんじゃないか?自分の手でサーバールームに招待したり、こうやって俺たちが隠れている場所を的確に狙ってこないのもそうだ。他の虚像を取り込んだことで、人間が持てる許容量を超えてるのかも知れない。」
「最早人間を辞めてしまったジジイの末路としては、当然と言える結果かもしれんな。」
着物の少女は吐き捨てるようにそう言った。ただ少年にはそれが何か憂いを帯びているようにも聞こえた。
「虚像を…あの人を助けてあげよう。人として死ねなくても、あのままじゃ可哀想だ。」
少年は少女の気持ちを重ばかり、つい口についてそんな言葉が出てしまった。当然それを聞いた兄貴と着物の少女は驚いた、そして兄貴はそんな少年の頭をくしゃくしゃと撫でて、着物の少女に視線を送る。
「家族、だもんな。」
着物の少女にとって、最早あの虚像のことを家族とは思っていないかもしれない。しかし少年は失う悲しさは分かっているつもりだ。今はこうやって兄貴が側にいるが、もしかしたら二度と会えていなかったかも知れない。例え袂を別っても虚像は着物の少女の家族だった筈だ、だから少年は自分の持てる精一杯の提案をしたつもりだった。
「お主は…馬鹿じゃのう全く。わしのことなんぞ気にせんでもええのじゃがな、それでもお主の言葉、嬉しく思うぞ。」
辰の虚像がまたも一声鳴くと、辺りは暴風に見舞われた。少年は吹き飛ばされないように身体を低く構える。すると辺りには粉々になった木の破片やらが巻き上がり、建物の中は様々なものがぶつかり合い、いつ何が当たってもおかしくない状況だった。
「おい相棒、作戦を考えてる時間もない!次この風が止んだら俺をあいつの口目掛けて投げつけろ!」
少年は兄貴の唐突な提案に、ただただ疑問符を浮かべるだけだった。
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