第9話

 少年は闇から闇へと、より深く沈み込みながら、監視の目を潜り抜けてスルスルと進んでいく。

「あー、あー、聞こえておるかの。」

 そんな少年の命がけの潜入に水を差すように、気の抜けた声が少年の耳に入る。少年の肩の上には、蜘蛛の形をした機械が乗って、頻りに話しかけて来る。

「だからさっきから何度も言っているだろ……嫌ってほど聞こえてる!」

 小声ながらも少年は蜘蛛に向かって怒鳴りつける。この蜘蛛型の機械は、着物の少女が少年を手助けするために用意した、遠くから話す機能や小型のカメラとやらを搭載したロボットという奴らしい。

 しかし手助けと言っても、少年は勝手知ったる庭の如く、仮面達の住処を影のように進んで行く。その為、着物の少女は特にすることも無く、暇を持て余していた。

「そうは言ってものう、これではわしが着いてきた意味が無いではないか。」

 着いてきたも何も本人が来ていないので、少年からすれば耳元で集中力を削ぐ邪魔な存在でしかなかった。

「お前らが作った装備だけで十分役に立ってる。だから少し黙っててくれ。」

「そうじゃろうそうじゃろう!今回のからくりは少々手が込んでおっての!まずその手首に仕込んでおるのが……」

 選ぶ言葉を間違えた。少年はうんざりしたまま、また影の中へと溶けていく。

 着物の少女が作り変えた地図は、一応懐に忍ばせているが、その全容は頭の中に入っていた。着物の少女の長ったらしい説明を右から左に聞き流し、着物の少女が描き上げた無茶苦茶な経路を進んでいる。

 無茶苦茶と言っても、少年にとってはやり甲斐のある障害であり、尚且つ着物の少女が作ったというこの服、これが少年の動きをよりしなやかにさせているのだ。装備が役に立っていると言うのは世辞ではなく本心だった。

 よく分からなかったが、身体に微小な電気を流し筋肉がどうとか……まぁ役に立ってくれるなら仕組みなんてのはどうでも良かった。

「……という訳じゃ、どうじゃ?為になったろう。」

 しまった、全く聞いてなかった。

「あぁ、その通りだな」

「……お主、全く聞いておらんかったな。」

 よく分からないが、また選ぶ言葉を間違えたことだけは分かった。


 中心部に近づくにつれて、少年は緊張度合いが高まっていくのが自分で分かる。今まで軽快に進んでいたが、途端に進む歩みが重たくなる。

 それを機微に察知した着物の少女は、やや重たい声で少年と通信する。

「お主が警戒しておる十二支のじじいどもは、まだ気付いてはおらんはずじゃ。わしの方でも偽の情報をを流しておる。お主の動きは早々察知されることは無い、臆せず進むとよい。」

 少年は今の言葉に違和感を感じる。じじいども、と言った事だ。

「おいお前、あいつ等の事何か知ってるのか?」

 少年が訝しむと、着物の少女は先程の重たい口調から一変し、またいつもの軽快な口調に戻る。

「なぁに、強いて言うなればお互いが天敵みたいなもんじゃ。今回はお主という切り札がおるからな、わしの支援があれば鬼に金棒、あのじじいどもを出し抜くなど容易いことじゃ。」

 結局何を知っているのかを話すことはなく、煙に巻かれた気がするが、少年は疑問を喉の中に押し込んだ。少なくとも少女とそのじじいどもとやらは敵対している、それだけ分かればやる事は一つ、仁王像から目ん玉を盗み出すだけだ。そして少年はそれを着物の少女の元へ持って帰り、そして……

 少年が未来の事へ目を向けていると、現実の着物の少女に声を掛けられる。

「お主、何をぼけっとしておるのか知らんが着いたぞ。」

 少年は無意識に歩を進めていたらしく、眼下には見覚えのある景色が広がっていた。そこは仮面達の住む無機質な建物とは違う、古めかしい朽ちた建物だった。

「とうとう寺院まで来たか、ここから先は敵の腹の中じゃ、正直何が起こるかわしにも分からん。今まで以上に注意して進むのじゃ。」

 前に虚像に襲われた場所だ、少年は言われるまでもなく気合を入れ直す。

 服の手首から合成繊維とやらで出来たロープを地面に打ち込み、音もなくするすると降りて行く。しかし便利なものだ、この高さから下に降りるのは少年でも容易では無いが、着物の少女が用意したこの装備は、少年の身体能力の更に上をいく性能だ。少年は改めて心の中で感嘆すると、静かに地面に降り立つ。

 辺りは人の気配も無く、不気味なほどに静かだった。到底お宝が眠っている場所とは思えない、何の警備も無い場所だった。

 しかし少年は感覚が鋭く尖り、警鐘を鳴らしている。ここは危険だと。

「……これはやばいな。」

 少年は自然と声を潜めて、地べたを這いつくばるように姿勢を低くする。

「お主の言うやばいと言うをわしにも分かりやすく説明せい!勝手に1人で納得するでない!」

 少年は殊更声を潜めて、怒鳴るわけでもないのに、叱りつけるように声を絞り出す。

「あいつ等の気配がする……お前も少し静かに話せ。」

 一度虚像と相対している少年は、あの時の肌が騒つく感覚を忘れてなかった。

 あの時は唐突に虚像が現れたのと、兄貴の計画を潰してしまったと言う後悔の念に駆られ、正確に敵の力を把握していなかった。しかし今なら分かる、あいつ等は化け物だと。

「彼奴等は思念体じゃ、肉体から魂を抜き出し具現化しておる。最早人間を捨てた化け物共じゃ。お主のように感覚の鋭い人間にはそれを感じることが出来るようじゃな。」

 思念体だの魂だの、訳の分からない事を言っているが、相手が化け物という事だけは一致していた。

「いくら面妖な物の怪とは言え、彼奴等も全部で12人しかおらん。お主もその化け物じみた身体能力で搔い潜ってみせい。」

「しか」じゃない「も」だろう。しかも俺まで化け物扱いしやがった。

 頭の中で毒突くが、着物の少女を責めた所で道が開ける訳では無い。

 少年は意を決して、普通の人間なら届かないであろう寺院の壁の縁へ、壁を駆け上るようにして飛び上がり、鳥が舞うが如く、ヒラリと壁の向こう側へ消えていく。


 仮面達の住まう建物の物陰から、そんな少年の事をじっと見つめる一つの影があった。

 その影は少年が壁の向こう側へ消えると、その姿は霧のように掻き消えた。

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