第8話
あれから更にどれくらいの太陽と月が巡ったか分からないが、少女は相も変わらず穴蔵から出てくる気配は無かった。
落とし穴に落とされてから、一度もあの着物の少女の顔を見ていないが、白衣の男は定期的に着物の少女に飯を運んで行っているらしい。
着物の少女の様子を見に行きたい気持ちも有ったは有ったが、それで自分が何か出来る訳でも無く、況してや今の少年の心理状態では、着物の少女の進捗状況を良くも悪くも飲み込める自信が無かった。
もし進捗状況が芳しく無かった場合は、兄貴の事を忘れてしまいそうになる。もし芳しい場合には、ここでの生活が終わりを告げるかも知れない。少年の気持ちは大いに揺れていた。
勿論兄貴の悲願を達成した後に、ここに戻ってくるという選択肢も考えてはいた。しかしそれは少年の勝手な都合であり、着物の少女や白衣の男が、自分を受け入れてくれるとは限らない。そう考えると少年は気持ちが沈み、聞いてみる事が出来ないでいた。
しかしある日の事、白衣の男が少女に作る栄養剤という物の調合で、時間が取れないらしく、少年に着物の少女への給餌を頼んで来た。少年は心と言葉が伴わない、両方の上での渋々といった様子でそれを了承した。
これで2度目となる着物の少女の穴蔵への道。その経路は既に頭の中の道と合致していたので、暗闇を進む不安は無かった。しかし徐々に迫り来る着物の少女の穴蔵へと進むトロッコの速度が、気持ち遅くなっていくのに少年自身は気付いていなかった。
見覚えのある緩い曲がり道を進み、煌びやかな部屋へと向かう。そこで見たのは前見た時には無かった、あの時より更に増えていた絢爛豪華な光を放つの山の中で、鼾をかいて気持ち良さそうに寝ている少女であった。
もしかしてこいつは自分のやる事をそっちのけで、蒐集でもしていたのではないかと疑問が頭によぎる。
その明らかに量が増えている物は、少年には分からないが、着物の少女にとっては大事な物である事は、白衣の男から聞いていた。
「前は初めて行ったから、特に何のお咎めも無かっただろうけど、もしまた彼女の穴蔵に訪れる事があったなら覚えておくといいよ。あそこにあるガラクタは、彼女にとっての命よりも大事なお宝なんだ。下手に触れて壊しでもしたら……僕が怒られるから、絶対にそんな事しないでおくれよ」
白衣の男の情けない顔を思い出しつつ、着物の少女の呆れたような寝顔を見て溜息を吐きながら、中央にあるコンピューターのところに食事の入った風呂敷を置きに行く。
少女を起こさないように、周りの何に使うかよく分からない物たちを踏まないように忍び足で着物の少女の横を通る。その瞬間着物の少女は寝返りを打ち、堆く積まれたよく分からない物たちが、雪崩になって着物の少女を襲う。
大量の物にすっぽりと包まれたた為、着物の少女の姿は確認出来なくなった。流石に不安になった少年は、着物の少女に対して一声かけてみた。
「おい……、生きてるか……?」
するとその山の下からぬるっと手が伸びてきて、少年の足首を掴んだ。少年はとっさのことに驚いて、足を後ろに引きバランスを崩して後ろにある山に倒れこむ。
足を引き摺られるようにして倒れ込んだ為、山に体を打ち付けて呻き声をあげる。そして足元を見ると、今度は小さな悲鳴をあげる。その視線の先には、少年の足を女とは思えない力で握りながらも、まるで足で釣り上げられた死体のような着物の少女がいた。
前に垂れ下がった髪で表情は見えなかったが、それは恰も埋められた死体が地面から這い出てきたような光景だった。
少年が恐怖に慄いているとボソリと呟く声が聞こえる。
「……たぞ。」
「ななな、なんだってんだ!」
「完成したぞ、お主だけの地図がな……!」
言うのが早いか頭を垂れるのが早いか、着物の少女はその一言を大声で張り上げると同時に、また鼾をかいて寝てしまった。
その異様な一連の動きは、確かに驚くところではあったのだが、少年の心は瞬時に別のところへ飛んでいた。自分はまた、あの仮面達の所へ行かなくてはならないこと。兄貴の仇を討つこと。あの住処を離れなければならないこと。
少年の装備品に関しては、白衣の男が予め用意していたらしい。日々の生活に順応しているうちに感覚が鈍ってしまったのか、さっぱり気付いていなかった自分に驚く。
しかし一度、少年の身体に合わせたぴちっとした服を身に纏うと、妙な高揚感があった。初めこの服を目にした時は、こんな身体に纏わり付いて動きにくそうな服で大丈夫かと心配になったが、それは全くの杞憂であり、物凄く身体に馴染んでいた。
「お主にはこれが似合うと思っての、準備しておいたぞ。」
そう言って着物の少女が渡してきたのは、少年が羽織っていたボロ切れによく似た、質感の良い外套だった。
「見た目はお主の薄汚い服にわざわざ似せておるが、性能はピカイチじゃぞ、まぁ効果は追々説明しておくとするかの」
他にも暗い中でも良く見える眼鏡だったり、相手を昏倒させる銃だったりと、色々な物を渡されたが、それらに関しては断っておいた。
「俺は暗い中でも目が効くんだよ、自分の身体に頼らないといざって時に動けなくなる。あとこの銃ってやつは好きになれない。これが人を傷付けないと分かってても、似たようなもんに殺されかけたことを思い出すと、とてもじゃないが使う気になんてなれないね。」
「落とし穴に落ちた時に、暗くて見えないと嘆いていた奴とは思えんのう。銃だって使えと言っておる訳ではない。もしもの時にあれば便利かもしれん、程度に思っておけ。お主の言った通り、それに頼りすぎると痛い目を見るからのう」
少年は渋々といった様子で、渡された装備を身に付ける。それもこれも一時前までは、兄貴以外に信頼出来る奴などいないと思っていたが、今は……心の何処かでこいつらを信用しているところがあることを否定出来ないでいた。まだその気持ちに整理がつかず、複雑な思いを胸に抱えたまま、少年は外套を肩に掛ける。
少年は無言のまま向かおうとすると、着物の少女が少年を呼び止める。
「これから命がけの仕事をするというのに、何をしけた顔をしとるんじゃ。ほれ、気合入れていってこい」
そう言って背中をポンっとひと叩きする。強く叩かれた訳でもないのに、背中がじんわりと暖かくなった気がする。
「作戦開始地点まで僕が送ってあげよう。僕に出来ることと言えば、ここまでくればそれくらいなものだからね。」
そういって白衣の男はトロッコに乗り込む。
「お主からの朗報、心待ちにしておるぞ。」
そういって満遍の笑みを浮かべる着物の少女を見ていると、不思議と力が湧いて来る感覚を覚えた。今の少年の心には、先程の複雑な思いが薄れていた。ここからだ。兄貴の弔い合戦だ、どうか見ていてくれよ、兄貴。
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