第3話

 少年は目の前に並べられた大量の飯をかっ喰らっていた。普段からまともなものを食べていないのと空腹が重なり、更に見たこともない旨そうな匂いのする食べ物に、少年の胃袋は正直な声を上げていた。

「慌てんでも大丈夫じゃ、飯は逃げたりせんし、備蓄はいくらでもある。」

「そうそう、医者としてもそんな食べ方は勧められないね、身体はエネルギーを欲しているとはいえ、その食べ方は非効率的だと思うね、僕は。」

 そんな言葉など聞く耳も持たず、余りの美味しさに手と口が止まらない。今まではよく分からない味のついた固形物を食べる生活で、食事とは腹を満たすためだけの作業だった。しかし何だこの食い物は。少年は人生で初めて食の喜びを味わい、只々貪り続けた。腹がはち切れそうになると少し休み、また食べ始める。それを繰り返して、今まで知り得なかった人としての幸せを、何回にも分けて噛み締めていた。

 暫くして少年は多量の幸福感と満腹感に包まれた。しかし同時に疑問が生まれる、この美味い飯の正体は何なんだと。

「なあ……この……緑色とか茶色いのって何なんだ?」

 少年の疑問に対して自慢げな笑みを浮かべた着物の少女は、唐突に椅子から立ち上がり、少年の手を掴んで外へと駆け出す。少年はまだ身体の至る所から悲鳴の声を上げ、反射的に声にならない悲鳴を上げたが、そんな事も御構い無しに少女は少年を引っ張り出す。

 診療所の裏手には様々な野菜が栽培されており、色取り取りの色彩が目に眩しかった。

「この野菜たちはわしが品種改良してここまで育てたんじゃ、勿論土壌も除染済みで、ほぼ天然物の野菜じゃぞ?」

 その言葉を聞いて少年は一瞬吐き気を催した。何故ならもうこの地上では作物が育たなくなって久しく、地上の土で育ったものを食べると身体が腐って死ぬと言われていた。

 実際にそのような人を見たわけではないが、聞き及んだ話によるとおおよそ人間が食べて平気な物ではないということだけは、地上に住む人間の共通の認識だった。

 しかし少年が食べた野菜は、味付けなどされていないため多少エグみが刺激で食べ難かったものの、味気のない固形物と違い瑞々しさがあり、不思議と食指が伸びた。

 そしてそんな少年の考えも気にせず、着物の少女は近くにある小さな鶏小屋に少年を連れ込む。

 その中には数羽の鶏とひよこがクワックワッ、ピィピィと元気に動き回り、少女の足元に寄ってくる。

「さっき食べた茶色い食い物はこいつらじゃ。」

 着物の少女はそんな鶏たちを慈しむような目で眺めながら、餌を自らの手で撒き与えていた。

 少年はそれを聞いて、またもや気持ち悪さが反芻してくる。

 少年は昔、兄貴が飯を持って来るまで我慢しきれず、そこら辺を走っている鼠を捕まえ、生で食したのだ。その時は下痢と嘔吐を繰り返し、1週間近く兄貴に看病をして貰って迷惑をかけていた。この世の中にある食えるものは、仮面の奴らが食べている味気のない栄養食だけだと思っていたのだ。

 しかし少年がさっき食べたものは、少年が生きてきた中で、と言っても栄養食と鼠だけなのだが、それらよりも段違いに美味しかった。少年の胃袋が食べ物を戻そうとする反応よりも、脳が感じた幸福感の方が優っていた。

「なんでこいつらはこんなに美味いんだ?俺が食べた鼠って奴よりも全然美味かったぞ。それに生き物ってのは食えば血が出るだろう、こいつらは……お前が作ったのか?生き物じゃないのか?」

「なんじゃお主、調理ってものも知らんのか。」

 着物の少女は餌撒きを中断し、やれやれと言った口調で少年の方を見やる。少年は明らかに馬鹿にされていると感じ、少しムッとするが。そんなの御構い無しに着物の少女は続ける。

「こいつらも切れば血が出るし、鳴き叫びもする。じゃがその後にチャチャっと火を通せばさっきのようにご馳走に早変わりじゃ。まぁ今の地上では調理するものなんぞ残っとらんか。」

 少女は勝手に喋って勝手に納得し、少年の感情などに気付くこともなく鶏小屋から出て行く。何となくこの生き物たちと一緒にいることを躊躇われた少年は、着物の少女に続いて急いで小屋を出る。するとさっきまであった作られた太陽の位置がさっきよりも視線に近い位置まで降りてきており、やけに赤みを帯びていた。

 余りの眩しさに少年が目を顰める。世界が赤い。少年にはまるでこの世の終わりのように感じて寒気を感じた。少年の知る赤は非常灯の赤色で、警戒色でしかなかった。しかしその光は暖かく、少年の寒さを解きほぐすには十分な温もりだった。

「なんだこの……太陽だったか、何で急に赤くて、しかも低いところに降りてきてるんだ。」

 着物の少女も人工的な夕焼けの方を見やり、少年に当たり前のことを伝えるように語りかける。

「この世界はな、太陽を中心に重力に引っ張られ回転しておるんじゃ。流石にこの部屋を回転させるわけにはいかんから、仕方がなく太陽を動かしておるがの。」

 少年は何を言ってるのかさっぱり分からなかったが、取り敢えず太陽が不本意ながら動いているということだけは分かった。

 着物の少女は軽く伸びをした後、さて帰るぞと言い、先ほどまでは気付かなかったが、白い外装をした家の方へ歩き始める。少年の帰る家は光を灯さないと何も見えない、暗くじめじめした下水の中だった。白は仮面達が住む世界の忌まわしき建物だったが、夕焼けが差し込む白い家は妙な温かみを感じた。少年は自分は頭が良くないので、着物の少女が言っていることややっていることが殆ど理解出来なかったが、それでも着物の少女が帰るぞと言ったことに、不思議なほど安心感を覚えた。

「何ぼーっとしておる、お前は散々飯をかっ喰らったから満足しておるかも知らんが、わしらはこれから晩飯じゃ、お主も居候するからには手伝ってもらうぞ。」

 そう言った着物の少女の顔はにこやかに笑っていた。

 そして少年は思い出す。仕方がないなという風に笑って出迎えてくれた兄貴の事を。自分1人がのうのうと生き残ってしまった事実を。

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