第9話

 嗣志と厳威の戦いは、嗣志のジリ貧であった。

 気を無駄遣いさせるための回復の隙など、もう厳威は与えてくれない。傷が癒える前に次の傷を負わされていく。嗣志は都度癒やしの術を使うのではなく、遅効性で持続的に回復する術を使用していた。

 嗣志は防御で手いっぱいであった。自動追尾しない光球を上方に出現させ、撃ち下ろして金棒の軌道を逸らせる。厳威はそれを、金棒を垂直方向に回転させて受け流し、前後を入れ替えついでに打撃を加える。嗣志はそれを大きく避けるしかない。金棒本体よりも、そのそれが纏う高温が厄介であった。間合いをとった嗣志を紙の弾丸が襲う。気を練って変じた盾でそれを受ける隙に厳威が間合いを詰める。体勢を整えられないうちに下から振り抜かれた金棒を顎に受けて嗣志は吹っ飛んだ。が、視界の端に宵雪の姿を捕えた。


 厳威の猛攻がピタリと止む。

 厳威には覚えがあった。宵雪の術だ。影に幾つかの鍼を刺して動きと術を封じる術である。だが、こんな花曇りの昼では、薄く短い影しかできないはず。嗣志に夢中であったとしても、そんなに接近されればわかるはずだ――。

 動けない厳威が眼球を巡らせて地面を見やると、嗣志の影が見えた。

 夏の晴天のように黒々と、夕方のように伸びた影を。


 嗣志は砕かれた顎を癒やし、鮮血混じりの唾液を吐いて口を開く。

「楼の屋根を御覧じろ」

 厳威が見たのは、メリメリと剥がれるように崩れる楼であった。


 そこにあったのは空ではなく、夏の空と同じ光量をもつ、薄青い巨大な光球であった。それはゆっくりとこちらに近づいてきている。

 嗣志が気を節約しながら時間を稼いでいたのは、空を覆うほど大きな光球を練り上げるのに時間と大量の気が必要だったからだ。


 嗣志が厳威に勝てるところと言えば、仙界に並び立つ者がいないほどの、ずば抜けた気の総量である。ならばそれを見せつけてやればいい。ただ気の大きさだけで勝てる相手ではないが、避けきれないほど大きく、防げないほど強い攻撃をぶつければひとたまりもないはずだ。


「今までの戦いから俺の光球の性質はおわかりであろう。あれはあなたの脳天を追い、当たれば消える。背の高いあなたの頭を砕いても、我々には当たらない。地面に頭を擦り付ければ、我々を巻き添えにできるであろう。そうなれば俺は自分の身を守らなければならない」

そして、厳威が体を動かすには、宵雪の術が邪魔であった。

 厳威が助かるには嗣志と宵雪の両方に命乞いをせねばならない。つまり、厳威に負けを認めさせ優位に立つことができる。

 ここまでが嗣志と宵雪の策であった。厳威からは見えないが、宵雪は地面に座っている。宵雪は鍼の術式を集中を乱さないように呼吸を整えながら言う。

「お願いあなた。わたくしの話を聞いて。わたくし、あなたと対等に話し合いたいの……!」

厳威を恨んでいるが同時に感謝していること。これ以上夫婦でいられないこと。話し合いに応じてくれるなら術を解く、と……宵雪が言葉を紡ごうとするのを遮り――。



 厳威の懐から小さな陶器の人形が、蟹のようにわらわらと這い出た。人形は宵雪の鍼に取り付いては赤熱し、ぼんやりと光って厳威の影を薄くしていく。

 宵雪は慌てて鍼を追加していく。が、人形は鍼を上回る速度で増えてゆき、影を消すとともに鍼を弾いてしまった。


 嗣志は厳威の表情を見て色を失う。

 邪悪で獰猛な笑みだった。

 勝利を確信した弱者をどん底に突き落とし、蹂躙することが楽しみで仕方ない。そんな顔であった。


「宵雪。お前さえ殺せば儂の勝ちだ。頭をすり潰されようが構うものか」


「あ……あぁ……」


あああああああああ!!


嗣志の耳をつんざくような女の金切り声。厳威がゆっくりと動き出したのを見て宵雪が半狂乱になって叫びだしたのである。

 宵雪を守らなければ。まだ少しは気が使える。


 宵雪は辛うじて防護の結界を張っていた。そのために遠隔操作で首環の術式を起動させられる事はなかった。


 失敗した。

 勝てなかった。

 嗣志の存在もバレた。

 なにもかも終わってしまう。


 腰が抜けて立てず、這って後退る。

 その背に金棒が打ち下ろされ、弾かれて甲高い音が鳴る。嗣志は籠手の術式を起動し、三十六の光球を練る。


「(交渉など甘かったのだ! もう殺すしか手はない)」

「嗣志!  この人を殺して!」


 宵雪の懇願と嗣志の判断のどちらが早かったかはわからない。

 嗣志が残りの気のほぼすべてを圧縮して過剰なほどの殺傷力を籠めた光球が、まだ動きの鈍い厳威の後頭部を襲い、三十数個によって防御を突破。残る数個が厳威の頭の上半分を砕いた。

 厳威は下顎の歯列と舌を晒して倒れた。

 陶器の人形がカラカラと軽い音を立てて転がるのを見て、嗣志は上空の光球の術式を停止した。


「(終わった。我が師を守ることができた。だが、我々の勝利ではない)」


 宵雪は泣いていた。頭から厳威の血と脳漿を被っていた。肩を上下させ、肌着の中で大き過ぎる乳房を揺らしながら、幼子のように声を上げて。彼女の中の名付けられない感情を、慟哭によって押し流さねば正気を保てぬとばかりに。

 嗣志は見ているしかできなかった。無力な自分には、彼女の背を撫でる資格がないような気がして――。


 ひとしきり泣き喚き散らしたあと、宵雪はしゃくりあげながら立ち上がり、嗣志の血塗れの顔を撫でて唇に吸いついた。

「わたくしの首環を外して。二人で逃げましょう」

嗣志は宵雪のぐちゃぐちゃの髪を撫でて抱きしめた。気が枯渇ぎりぎりで意識の混濁を感じる。だがそのやわらかさで戦闘の緊張が解け、脳が思考を始める。

「それはなりません我が師よ」

宵雪の体がこわばる。

「だったら……すぐにあなただけでも逃げて」

「我が師よ。俺は逃げません。逃げられるはずがないのですよ。あの男を殺した事はすぐに知れ渡る。仙界にいればどこまでも追われ、かと言って下界に降りれば尚更追われる」

「では……では、どうすればいいの?」

「裁かれ、償うしかありません。すぐに結界の外に連絡を取って自首を。首環を外せば抵抗と見られる。首環はこのままで、ここで待つのです」


 嗣志はずっと以前から、宵雪の計画が失敗したときの事を考えていた。彼女の願いはあまりに甘く矛盾に満ちていた。

 だから、最初から厳威を殺す覚悟を決めていた。殺さざるを得ない場面が来たら、宵雪が手を下すより早く自分の手で行うために。

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