第1話

 今が盛りと咲き誇る白木蓮の向こうに、腕を組み歩く一対の男女がいる。嗣志シーズィは男の方に見覚えはなかったが、この宮殿の主以外の男が居るのは珍しいが、子供とはいえ嗣志の例もあって無いことではなく、さして気にも留めなかった。ここで研究されている技術は、女だけでは実践できない。滅多に男の出入りがないということは、厳しい条件が付されているであろうと想像はできるものの、禁止されてはいないのだ。彼らの事情は、自由に会えぬ恋人との後朝きぬぎぬの別れであろう。


 庭を抜ければ川がある。河原に降りて小石を探す。嗣志の目当てはここにある玉髄だ。この河原は二本の流れが合流する地点であり複数の種類の石が拾える。嗣志はこれから行う実験の為に、この数日、できるだけ多くの材料を集めていた。

 適当な石を見繕う嗣志の背に(狐狸精フーリーチンのところの童子よ)というひそひそ声が聞こえた。師が他の女仙達からあまり尊敬されていないことは嗣志もよく知っていたので、とくに不快に思うこともなかった。


 自室に戻った嗣志は、先程の石を含めた収集物を床一面に広げた。色とりどりの石や糸、革、金属。文机には何かを書き付けた紙と書物、瑪瑙の玉を連ねて作られた環がある。

「やぁだ、散らかしすぎじゃなくて?」

 気の抜けるような声の主は宵雪シャオシュエである。作業に没頭していた嗣志は、師が起きてきたことでいつの間にか昼過ぎになっていたことに気がついた。花の飾られていない室から寝間着のまま這い出てきた宵雪は、わかりやすいように並べていた品々を勝手に退かして座る場所を作っていた。嗣志はこれには少し眉を顰めた。

「何をしてるの?」

「術具を作ってみようと思いまして」

ふーんという宵雪の気の抜けた返事は、後半は欠伸になっていた。

「それ、わたくしが作ったのね」

宵雪が机の上の環を指して言う。宵雪が嗣志に鳥を撃つために与えたものである。

「はい」

嗣志が環を腕に通し印を結ぶと、一寸ほどの光球が現れ、窓の向こうの木に飛んでいき、木を少し揺らして消えた。

「これと似たものを作れないかと」

「それじゃ駄目なのかしら?」

「改良できるのではと」

その環はこのような術具である。体内のエネルギーを一定量取り出し、光球の形で射出する。術者の力の多寡に関わらず光球のもつ破壊力は常に一定である。光球は、術者が標的を視認さえしていれば真っ直ぐに飛んでいき、必ず頭に当たる。元はと言えば、手加減も当てることも苦手な宵雪が、鳥肉を食べたいと思ったときに自分で鳥を取れるようにするために作ったものである。過不足なく鳥の頭だけを砕く事が出来れば、食べられる肉が爆ぜて消える損をしなくて済む。製作者の考えはそれだけであったが、視認さえすれば必ず頭に命中するということがどれだけ凄いか、嗣志は理解していた。

「わたくし、術具作りは得意じゃないから」

つまらなそうに宵雪は脚を組み替える。凝脂のような脛がちらりと見えた。

「……我が師よ。いくつか質問が」

嗣志は自分の研究の方向性を決定づけるために、この先達から情報を引き出さねばならなかった。彼女が己をどのように評価していようとも。

「光球の制御は『目標地点を設定し最短距離で繋いでいる』のでしょうか」

「いいえ。標的の頭頂から出る気を感知しているのよ。ちなみに動く標的を狙えば光球の軌道は合わせて曲がるはずよ?」

必中の理由は自動追尾であった。そこは予想の範囲内であったため嗣志は顔色を変えない。

「光球の強さが一定なのは、なんらかの制御が働いているのでしょうか」

「ええ。環に気を通すのにね、一度に一定の量しか通らないようにできているのよ。通し始めて一定時間で自動的に遮断するからいつも同じ強さの球ができるのよ」

なるほど。流量と時間で強さの調整ができそうだ。

「光る理由は?」

「それはわざとじゃないのよね。勝手に光るのよ。昼間に使う分にはそれほど目立つものではないからどうにかする必要性を感じなかったのよね」

光らせるための回路はなさそうだ。光らせないための工夫や明るさを変える工夫を入れる余地はあるかもしれない。明るさを変えられなくても、色味を変えれば目立つ目立たないの変化はつけられそうだ。

「なるほど」

得心したふうな嗣志に宵雪が四つん這いでにじり寄る。宵雪の膝や尾に混ぜられ、床の上のものはもはや滅茶苦茶であった。大柄な宵雪が側に寄ると、嗣志の目線の高さに宵雪の胸がくる。宵雪の乳房は片方が嗣志の顔ぐらい大きい。

「これが標的の気を感知するの。この糸が気を通すところで……この玉で流れる速さを、この色違いの玉で流れる量を調整しているの。気はこちら向きに流れて、一周すれば自動的に射出されるのよ」

環の意匠は美しさよりも合理性を突き詰めたものであったらしい。宵雪が道具作りは得意ではないと自称し敬遠することもあり、弟子である嗣志もあまり詳しくはなかった。

 宵雪の首をふと見遣る。そこに嵌まる金環は極めて豪奢である。宵雪の首がほっそりと長くなければこれだけの高さはもたせられまい。表面に緻密な模様が見えるが、厚みもかなりあるようだ。

 嗣志の視線に気づいた宵雪は、ハッとして身を引く。宵雪にとってその首環は好もしいものではないからだ。

「……これはわたくしの知識じゃ理解しきれないのよ。取れないから直接見ることもできないわ。見てもわからないのでしょうけど」

宵雪は首環を指先で揺する。皮膚にぴったりと食い込んでいて回すこともできないようだ。

「これの効果は全部はわからないけれど。ここの結界と連動していることと、『月が上るとわたくしの体はこれをつけられた時の状態に戻る』というのだけはわかっているの」

「……よくよく存じ上げております」

  嗣志はそれを作った者がどういう人間かは知らない。恐らく、ここに宵雪を閉じ込め、時々彼女から気を吸い上げに来る男がそうであろう。察する事が苦手な嗣志は、宵雪のほうが彼をよく思っていないのだ、という事しか確信していない。房中術というのは女性の方に心がなければ効果が薄いというのに……。

「俺にもそのぐらいの物が作れれば……」

嗣志は、それを外すことができるのに、と言いかけてやめた。


 結局、今日は素材の仕分けで終わった。男女の片方から一方的に気を奪うのを玉女採戦の法と言い、奪われた方の消耗は激しい。嗣志は宵雪のために、彼女の好物である鶏卵を使ったあつものを作った。腹を満たした後は導引――体を撫で擦って労ったのだが、嫌でも目に入る情交の痕跡に嗣志は心乱された。宵雪が午睡に入った後、庭の海棠を眺めながら静坐し瞑想していたら、思わず刻が経っていたのである。

 狼とは情の深い獣である。嗣志にとって宵雪は、養母であり師であるが、心理的な距離は姉のようであった。世話を焼いてばかりであることを思えば、妹がいればこのような心持ちかもしれぬとも思う。

「……早く、大人になりたいものだ」

大人の世界を覗きながらそこに干渉できない理不尽に、嗣志は静かな怒りを感じていた。

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