第1話
今が盛りと咲き誇る白木蓮の向こうに、腕を組み歩く一対の男女がいる。
庭を抜ければ川がある。河原に降りて小石を探す。嗣志の目当てはここにある玉髄だ。この河原は二本の流れが合流する地点であり複数の種類の石が拾える。嗣志はこれから行う実験の為に、この数日、できるだけ多くの材料を集めていた。
適当な石を見繕う嗣志の背に(
自室に戻った嗣志は、先程の石を含めた収集物を床一面に広げた。色とりどりの石や糸、革、金属。文机には何かを書き付けた紙と書物、瑪瑙の玉を連ねて作られた環がある。
「やぁだ、散らかしすぎじゃなくて?」
気の抜けるような声の主は
「何をしてるの?」
「術具を作ってみようと思いまして」
ふーんという宵雪の気の抜けた返事は、後半は欠伸になっていた。
「それ、わたくしが作ったのね」
宵雪が机の上の環を指して言う。宵雪が嗣志に鳥を撃つために与えたものである。
「はい」
嗣志が環を腕に通し印を結ぶと、一寸ほどの光球が現れ、窓の向こうの木に飛んでいき、木を少し揺らして消えた。
「これと似たものを作れないかと」
「それじゃ駄目なのかしら?」
「改良できるのではと」
その環はこのような術具である。体内の
「わたくし、術具作りは得意じゃないから」
つまらなそうに宵雪は脚を組み替える。凝脂のような脛がちらりと見えた。
「……我が師よ。いくつか質問が」
嗣志は自分の研究の方向性を決定づけるために、この先達から情報を引き出さねばならなかった。彼女が己をどのように評価していようとも。
「光球の制御は『目標地点を設定し最短距離で繋いでいる』のでしょうか」
「いいえ。標的の頭頂から出る気を感知しているのよ。ちなみに動く標的を狙えば光球の軌道は合わせて曲がるはずよ?」
必中の理由は自動追尾であった。そこは予想の範囲内であったため嗣志は顔色を変えない。
「光球の強さが一定なのは、なんらかの制御が働いているのでしょうか」
「ええ。環に気を通すのにね、一度に一定の量しか通らないようにできているのよ。通し始めて一定時間で自動的に遮断するからいつも同じ強さの球ができるのよ」
なるほど。流量と時間で強さの調整ができそうだ。
「光る理由は?」
「それはわざとじゃないのよね。勝手に光るのよ。昼間に使う分にはそれほど目立つものではないからどうにかする必要性を感じなかったのよね」
光らせるための回路はなさそうだ。光らせないための工夫や明るさを変える工夫を入れる余地はあるかもしれない。明るさを変えられなくても、色味を変えれば目立つ目立たないの変化はつけられそうだ。
「なるほど」
得心したふうな嗣志に宵雪が四つん這いでにじり寄る。宵雪の膝や尾に混ぜられ、床の上のものはもはや滅茶苦茶であった。大柄な宵雪が側に寄ると、嗣志の目線の高さに宵雪の胸がくる。宵雪の乳房は片方が嗣志の顔ぐらい大きい。
「これが標的の気を感知するの。この糸が気を通すところで……この玉で流れる速さを、この色違いの玉で流れる量を調整しているの。気はこちら向きに流れて、一周すれば自動的に射出されるのよ」
環の意匠は美しさよりも合理性を突き詰めたものであったらしい。宵雪が道具作りは得意ではないと自称し敬遠することもあり、弟子である嗣志もあまり詳しくはなかった。
宵雪の首をふと見遣る。そこに嵌まる金環は極めて豪奢である。宵雪の首がほっそりと長くなければこれだけの高さはもたせられまい。表面に緻密な模様が見えるが、厚みもかなりあるようだ。
嗣志の視線に気づいた宵雪は、ハッとして身を引く。宵雪にとってその首環は好もしいものではないからだ。
「……これはわたくしの知識じゃ理解しきれないのよ。取れないから直接見ることもできないわ。見てもわからないのでしょうけど」
宵雪は首環を指先で揺する。皮膚にぴったりと食い込んでいて回すこともできないようだ。
「これの効果は全部はわからないけれど。ここの結界と連動していることと、『月が上るとわたくしの体はこれをつけられた時の状態に戻る』というのだけはわかっているの」
「……よくよく存じ上げております」
嗣志はそれを作った者がどういう人間かは知らない。恐らく、ここに宵雪を閉じ込め、時々彼女から気を吸い上げに来る男がそうであろう。察する事が苦手な嗣志は、宵雪のほうが彼をよく思っていないのだ、という事しか確信していない。房中術というのは女性の方に心がなければ効果が薄いというのに……。
「俺にもそのぐらいの物が作れれば……」
嗣志は、それを外すことができるのに、と言いかけてやめた。
結局、今日は素材の仕分けで終わった。男女の片方から一方的に気を奪うのを玉女採戦の法と言い、奪われた方の消耗は激しい。嗣志は宵雪のために、彼女の好物である鶏卵を使った
狼とは情の深い獣である。嗣志にとって宵雪は、養母であり師であるが、心理的な距離は姉のようであった。世話を焼いてばかりであることを思えば、妹がいればこのような心持ちかもしれぬとも思う。
「……早く、大人になりたいものだ」
大人の世界を覗きながらそこに干渉できない理不尽に、嗣志は静かな怒りを感じていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます