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まるで
きらきらと
「いやしかし本当に、お
先ほどまで特注のカフスの
その華やかな美しさと玉を転がすような声に、周囲を囲む男たちが顔面の筋肉を
「もし失礼でなければ
「父が都会に出て見聞を広めてこいと言ってくださったのです。ご存知かもしれませんが、
「オードランの一族ともなると、ご息女といえど多くのことが求められるのですね。我が家の妹にも見習わせたいものです。そうだ、もしよろしければ近いうちにご招待しますよ。妹に会ってやってください」
「
「下心とは失敬な。ただ私はアンリエット様がお
「それよりもアンリエット様、オードラン夫人はお元気ですか? 領地で静養されるようになってから社交界でお見かけしておりませんので、母が心配しておりました」
「ああそういえば私の母も気にかけておりました」「私の姉も」「うちは
もちろん、心の中で
(全員下心が丸見えよ)
と毒づくのは忘れない。
美しい銀を産む小国ドヴィージュ。この国には王の治める王領以外に十三の領地がある。オードラン家はその中でも代々北東の国境沿いであるアウループ領を治める
上流階級に生まれ、本来ならば十六で社交界デビューしているはずのアンリエット=オードランが十八のこの年まで社交界に現れなかったのは、ありていに言えば、それどころではなかったからだ。
「皆様、お
それというのも、アンリエットの故郷──アウループ領の財政難が原因だ。
アウループというのは、もともとその広さに比べて領民が多いことで知られている領地である。理由は、他領地に比べて安い税金と、多方面に展開される
領主であるオードラン家の当主には代々
貧困層に手厚いアウループ領の財政には常に
そのバランスが
戦争の結果生まれた難民や孤児がドヴィージュに──その国境沿いの領地であるアウループ領に流れてきたのだ。ソニボスとの友好条約があるから彼らを追い返すわけにもいかないし、よしんば条約がなかったとしてもお
のほほんとした両親に代わり、その
(この中で一番自由になるお金を持ってそうなのは伯爵家
──金であった。
もう少し正確に言うならば、去年設立したオードラン基金への寄付である。もし十分な寄付が集まって基金が
そうなれば、オードラン家の破産への道も遠のくはずだった。
「もし困ったことがございましたら、いつでも我がラベル侯爵家をお訪ねください。アンリエット様のようにお美しい方がお一人で暮らしておられるのかと思うと心配だ」
「何、このルスツ=ハイールもお忘れなく。私には妹が三人おります。アンリエット様のよいお話し相手になるでしょう」
「もしご
我先に自らを
「皆様、ご親切にありがとうございます。実はとても不安でしたの。いろいろと教えていただけると心強いです」
すると男たちがはっとした顔をする。もし不可視のものを見る者がその場にいたならば、彼らの胸を
(お金のためなら、この外見だって武器にするわよ)
アンリエットは、自らの容姿について正確に理解していた。
白い
美しく華やかな外見の下に、現実的で
アンリエット=オードランはそう疑っていなかった。
まずは、積極的に社交界に出て人脈を作る。そして少しでも多くの寄付者を見つけるのだ。
(お金のことで頭を
そう心の中で決意を新たにするアンリエットなのであった。
「おい、ブノワ
その時さざ波のように広間にざわめきが広がったのは、今夜の
「今日のお連れは
「知らないのか? アゼマ将軍だよ。ほら例の戦地
「ああ、聞いたことがあるな。なんでも、戦場では
「まさか。
男たちが小さな声で言葉を
連れというからには、彼らが話題にしているのは公爵夫人の
夫であるブノワ公爵が数年前に
「まぁ、戦地派遣というと、隣国ソニボスの?」
アンリエットは微笑んだまま言った。答えてくれたのはハイール男爵であった。
「ええ。二年前当時は北のシェールで起きた
「無名の軍人が、貴族となって
「ソニボスには
「国と
「ははぁ。お高く止まっていることだな。実際、契約金も安くはないんだろう? 協会は
「我が国にも魔術師を置くという話は出たんだぞ。二十年以上前だがな」
「二十年以上前? ああ。皇太后
「おいっ」
はっとした男たちがアンリエットの方を
「男の方は難しいお話がお好きですのね」
「いや申し訳ない。ご婦人にはつまらない話でしたな」
「あの、ちょっと失礼してよろしいですか?」
アンリエットは持っていた
「ええ、はい」
「どうぞ」
「では、失礼いたします皆様」
アンリエットはスカートの
(無能な王、ね。こんな
男たちの
(
その
難民対策のため領地財政がいよいよ
(……でも皇太后殿下は、一度だけ視察に来てくださったわね)
資金援助の申請を出して少し
彼女はアウループの孤児院や治療院をいくつか回り、議会に
(とにかく、寄付よ寄付! 王城は頼りにならないんだもの。自分たちの力でなんとかしなきゃ)
雪深いアウループの領民は
(化粧を直して戻ったら、さりげなく基金について持ち出すのよ。がっついちゃ駄目。足元を見られるわ。あくまで、相手の善意に働きかけるの)
『アンリエットは
ふいにあの
アンリエットは首を
「アンリエット様」
すると背後から声をかけられる。振り向くと、小走りで彼女を追いかけてきていたのは特注のカフスが自慢で妹が三人いるルスツ=ハイール男爵であった。
「こちらのお屋敷は初めてでいらっしゃるでしょう? よろしければ私がご案内しますよ」
ハイール男爵は
(化粧室についてこようなんて、どういう神経をしているのかしら)
そう思ったが口にはしない。アンリエットはにっこりと笑顔を返すと、
「まぁ。お
「さぁ。遠慮は無用です。ご存知ですか? ブノワ公爵夫人はとある分野では有名な収集家でいらっしゃるんですよ。この屋敷の中にも秘密の宝物室があって……」
ペラペラと
(平静になるのよ。平静に……)
そう自分に言い聞かせる。
ここでハイール男爵を
「まぁ、さすがハイール様。なんでもよくご存知なのですね」「そんなこと信じれらませんわ。初めて聞いたお話です」「
発話者が気持ちよくなる「さしすせそ」を
「アンリエット様」
ハイール男爵が
「あら、こちらがお化粧室ですの?」
そうは見えない扉にぱちくりと
室内に明かりはなく、バタンと扉が閉められてしまうと中は真っ暗になる。アンリエットはこれはまずいことになったかもしれないと眉を寄せた。
「アンリエット様。初めてお会いした時から、私はあなたの
近づいてくる男の
「おやめください、ハイール様」
「どうかこの
男が首筋に鼻先をこすりつけてきた
「知人に聞きましたよ。慈善事業のためのオードラン基金を設立されたとか。私ならいくらでも用立てましょう。あなたが手に入るなら、金など
ハイール男爵が間抜けな声を上げて
「この私を金で買おうなんて、本気で思っているの?」
金のために男と寝るような女だと思われたのならとんだ
「──
部屋が震えるような怒声に心臓が呼応した。
どくん
という
それがやってきたことを、アンリエットは理解した。頭の奥が熱くなる。
もともと、アンリエット=オードランはかっとなりやすい性格なのだ。グラス一杯のワインをかけられれば、ひと
全身の
「ご、ごめんなさい~!」
女の罵倒に
この感覚を、どう表現したらいいだろう。
存在が
息苦しさに
一度死んで生まれ変わっているのかもしれないと思ったこともあった。
世界に一枚の
やがてその熱は彼女の内側のただ一点に集中するように収縮していき、視界から赤が消えた時、アンリエットは変化が終わったことを知って瞬きをした。
『アンリエット。僕は絶対に
『いつかきっと君を、その
いったいそんな日は来るのだろうか。
薔薇の呪いを受けた八歳のあの日から、アンリエットは自問自答を
正確には、彼女はもう半分諦めていた。
あの、
今ある不幸のせいで後ろを向いて生きていく気など毛頭ない。
幸運が足りないというなら勝ち取ればいいのだ。そのために、ついてしまった傷からは顔を上げて進み続けるしかない。
「にゃあ」
(まったく、あの男を調子に乗せすぎたわね)
アンリエット=オードランは少し
飴色の毛並みに
「にゃにゃにゃにゃあ。……にゃにゃあ」
(仕方がない。この部屋に隠れて、人に戻るのを待つしかないわ。
呪いを受けた最初の頃は、変化が起きるたびに目を回したものだがもう慣れた。人間の高い視界に比べ、四つ足のその小動物の視界は低いが広く、むしろ人間である時よりもずっと気配には
(誰か来る)
アンリエットははたと扉の外から聞こえてきた足音に気づくと、室内を
今さら扉を閉めれば余計な注意を引く可能性がある。まずは床に落ちているドレス一式を
(通り過ぎてくれれば一番いいのだけれど……)
そう願ったが都合よくはいかないらしい。やがて足音の主が部屋の前で足を止めたのを知って耳をぴんと伸ばす。
(入ってこないで!)
心の中でそう命じるが通じることはなく、それどころか信じられないことが起きた。
足音がまっすぐ寝台の方へ向かってくる。次いでにょきりと寝台の下に入り込んできた腕が、アンリエットの首根っこをむんずと掴んだのである。
「ぎゃにゃ!」
寝台の下から引きずり出されてぐんと視界が高くなる。
「おお。
アンリエットは
「もしかして隠れてたのか? それなら
男は垂れた目尻に皺を寄せてにかっと笑う。
熊をも倒す野獣将軍。
その
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