第7話:お守りを代償に

 霞子はそれをしっかり見定めた。


 蜘蛛女と、藤の木々。蜘蛛の糸と藤の蔦がレウの手足に絡みついている。


 蔦はレウの手足を這って、衣服の下をするするくぐっていく。


 着物がはだけ、顔を隠すためのぼろきれも奪われ、武器もない。


 戦うすべを失っている。


 宙づりにされて、着物の裾がめくれている。足もつぎはぎだった。




 蜘蛛女は口端をつり上げて、なにもできないレウを見つめている。


 細く白い指先がレウの顎をなぞり、真っ赤な唇がレウの首にすいつく。


「……っ!」


「――――」


 蜘蛛女が何かをつぶやいている。だが霞子には聞き取れなかった。なにをいっているの? レウがあぶないよ。




 レウはそれでも体をねじって拘束から逃れようとする。だがそれを阻むように、蔦も糸もレウにきつくまとわりつく。


 挑発するように、誘い込むように、蔦がレウの中を浸食していく。


 歯を食いしばって耐えている。




「――――」


「っ、あぁああっ!!」


 レウが突如悲鳴を上げる。体がのけぞり、つま先が痙攣している。


 息を詰まらせて、呼吸もままならない。




「やだ、いやだ……!!」


「――――」


「やめて、やめて、ぇ……っ!!」


 蜘蛛女の声は聞き取れない。霞子の知らない言葉でレウにささやいている。


 レウの顔が赤く染まる。きつく目をとじて歯をくいしばる。


「いやぁ、ああぁっ!! こないで、抜いてぇ、えっ!」


「――――」


「ひっあ、ぁあ……ッ、んんっ」




(レウが――)


 蔦も蜘蛛の糸もレウの内部への侵入を止めない。


 操っているのは蜘蛛女だ。何とかしないとレウが異形になってしまう。




 でもどうしたら? 霞子は自分がなんの役にも立たないことはわかっていた。


 首に下げたお守りを無意識に握りしめた。そしてはっとする。


「お守り……」


 ジョーの言葉を思い出す。困ったときに使ってください――。




 霞子はぐっと息をのみこんだ。


 お守りをにぎりしめ、ひも部分をぶちっとちぎる。




 レウの醜態をあざけるように飛んでいる蝶が、こちらにきづく。霞子はそれを気にせず駆けだした。




 地面の冷たい感触が蹴り上げるたびに足へ伝う。




 ざっ、と距離をつめて走行を止める。霞子のむき出しの気配は蜘蛛女にしっかり伝わった。




 霞子の心臓が高鳴る。顔が熱くなる。お守りを握りしめる力が強くなる。


「レウを、かえして」


 前髪で目は見えないが、蜘蛛女から表情は消えていた。レウから体をはなし、霞子の方へ体の向きを変えている。


 これは好機だ、と霞子は本能で悟った。このチャンスは絶対に逃さない。




 ぐっと体をねじって、片足をふっと浮かせる。


 だんっ、と浮いた足を地に着かせ、そのいきおいで肩を強く回す。




 ぶんっ!! と、霞子にとっては最大の力でもって、握りしめていたお守りを蜘蛛女へ投げつけた。


 大きく息を吸い込む。




「あっちいけぇ!!!」


 腹の底から、生まれて初めての大声を出し切る。


 喉が張り裂けそうだった。心臓が飛び出てきそうだった。


 足がすくんで動けなかったのに、お守りを握っていなければなにもできなかったのに。




 それでも霞子は動いた。レウをたすけたかったから。




 霞子の怒号は、霞子が思ったよりも大きな効果を持っていた。




 霞子の言葉は波となり刃となり、お守りを中心として蜘蛛女を激しく痛めつけた。




 お守りの発する衝撃は蜘蛛女の胴を貫き、めちゃくちゃに生まれ出た風の刃はレウを拘束していた蜘蛛の糸と蔦を無惨に切り裂いた。




 蜘蛛女の声にならない悲鳴が耳をつんざく。霞子は一瞬だけ耳と目をふさいだが、それもすぐに無理矢理ねじふせる。




 蜘蛛女がひるんでいるすきに再び走り出し、宙から支えを失ったレウが落ちてくるのを、霞子の体すべてで受け止めた。


「ぶっ!」


 レウの背中が霞子の顔に当たる。鼻につーんとしたいたみが走る。


 レウの体は重く、霞子一人では支えきれない。


 レウの胴に腕を回して、抱き起こそうとする。


「レウ!」


 ぐったりしたレウは、うめいただけで霞子のよびかけに答えない。


 重いレウを抱えて走るのは無理だ。蜘蛛女は胴体を貫かれ、手足を切り裂かれているが、それもすぐに治ってしまう。そうしたら霞子には対抗する手だてがない。




「かすみ、こ」


「! レウ!!」


「じっと、して、て」


 レウが途切れ途切れに言葉を発する。気がついてくれただけでも、霞子は胸をなで下ろす思いだった。




 レウが霞子の手を握る。そして霞子には聞き取れない言葉を漏らした。




 すると二人の中心に大きな黒い円が広がった。


 浮遊感が霞子を覆う。座り込んでいたはずの地面が消えていた。レウが地面を一部切り取ったのだ。




「え」


 重力に従い、霞子とレウは、黒い円の中へと、真っ逆様に落ちていった。




「うわああっ!」


 落下の違和感を全身に受け止めながらも、霞子はレウを決して離さなかった。




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