やりなおし

「そんなに気になるなら戻ってみたらいい」

 八合はこともなげにそう言った。

「意外と、なんでもないかもよ」

「……俺は爺ちゃんが死んだときすら帰らなかった」

「でも、気になるんだろ?帰ってみたらいいじゃん」


 やはり話さない方が良かったのだろうか、と律は少し後悔した。

 その日は妙に酒が進んだ。八合の取っておきだという居酒屋の魚料理が絶品だったこともあるかもしれない。

 それでつい話してしまったのだ。あの村であったことをかいつまんで、いや、ほとんど全て。

 八合は口を挟むことなく最後まで聞いて、短く「大変だったんだな」と言った。

 

 こんなオカルトじみた話絶対に信じてもらえないと思っていた。それに、律が起こしたわけでないにせよ、間違いなく律が原因で、人まで死んでいる。八合は律のどうしようもない生き方を知っているが、だからと言ってほとんど人殺しのような自分までもが簡単に受け入れられるとは思わなかった。八合は否定も非難もしなかったのだ。

 八合はただ黙っている。律が続きを話すのを待っているようだった。それならと、あの村がどうなっているのか気になる、と漏らしたところ、八合から返ってきたのはこの答えだったわけだ。

 律は声を落として笑った。この店に入った瞬間から律は例のごとく注目を浴びていた。個室だが、ずっと人の気配がする。まさか聞かれてはいないと思うが、それでも。


「戻って何ができるわけでもないし。それに俺が起こしたことは皆知ってるはずだ。どのツラ下げて」

「俺がついてけばいいんじゃないか?」

「へ?」


 八合は手酌で日本酒を注ぎ、うまそうに飲み干した。


「律は顔でも隠してればいいよ。今検索したら近くに温泉とかあって、観光客が来ないわけじゃなさそうだし。観光客を装ってフラーッと行って墓参りとかテキトーにして帰ってくればいいよ。見付かっても俺がどうしても行きたいって言ったって言えばいいじゃん」

「そうかな」

「そうだよ」


 八合が笑うとただでさえ小さな瞳が消えて、絵文字の笑顔マークのようになる。律はそれを見るのがとても好きだった。


「その死んじゃった女の子のお姉さんは十年って言ったんだろ。じゃあもう過ぎてるし、約束を破ったことにもならないでしょ」

「死んじゃったっていうか、俺が殺したんだって」

「それは絶対に違うよ」


 八合は律の目を真っ直ぐに見つめて言った。


「自分を罰するためにワザワザ好みじゃない男にばかり体を売っている自縄自縛のりっちゃんの考え方なんて分かるんだよね。ぞんざいに扱ってたのに、ぞんざいに扱ったその子が自分のために身体を張ったのが信じられないんだよね。でもさよく考えてみてよ。そんなのその子が勝手にやったことじゃん。それにルカだっけ。そいつ、バケモノなんでしょ。バケモノの不思議なチカラで洗脳されてたんだからそいつ命になっちゃっても仕方ないよね。オマケに突然親の都合で転校させられて、娯楽もなくて、突然わけわかんない理由で孤立させられたらますます依存するよね、相手がバケモノでもさ。律の話を聞く限りなんの非もないと思うけど」


 パタパタと音がした。どうやら雨が降り出したようだった。


「そんなに自分を責めてさ、ボロボロになってさ。悲劇のヒロインごっこかよって思うよ。厳しいこと言うようだけど。わざと先に進まないようにしてるように見える」


 またパタパタと音がする。机が濡れている。


「泣かせたいわけじゃないんだよ。ごめんね。でもさ、いつまでもそんな生き方できるわけないから」


 律の喉からくぐもった嗚咽が漏れた。それは次第に雨音よりも大きくなる。

 店員が飛んできて、おそらく私物のタオルを手渡し大丈夫ですか、と律の肩を撫で摩った。八合のことを親の仇を見るような目で睨みつけている。八合は大きくため息をついた。

 律は美しいのだ。彼が望むと望まざると、多分、世界で一番美しい。

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