月下香

 高遠瑠樺に触れたのは彼が転校してきてから一週間後の体育の授業だった。

 相変わらず高遠と俺は避けられている。教室の机は知らない間に離れ小島のように他の生徒の席と離されている。もはやイジメの域だ。生徒だけでなく教師も俺と高遠をセットで扱うのだ。絶滅危惧種のつがいにでもなったような気分だった。

 高遠は相変わらず目も合わせられないほど美しい。こちらが話しかけると曖昧に答えることはあっても、自ら話すということはほとんどない。たまに俺の方を見てうっすら微笑んでいる。あんずの放った「嘘くさい」と言う言葉を思い出す。たしかにそうかもしれない。高遠瑠樺は俺のために美しいのかもしれない。

 秋だというのにひどく暑い日だった。その日の種目は野球で、さすがに人数の問題か、俺たちを排除することはできなかったようで、別々のチームに入れられた。高遠は外野を守っていて、俺はベンチで攻撃の順番を待っていた。俺の前のバッター、大倉義文が大きくバットを振り、球が弧を描いて飛んでいく。そして次の瞬間、高遠瑠樺が倒れた。大倉が小さく悲鳴を上げた。遠目からも高遠の白い肌に映える血の赤さが良く見える。反射的に駆け寄って高遠を抱き起した。こんなときでさえ、田舎者たちは何もせず、に縛られて凍り付いたように動かなかった。

 「大丈夫か」

 そう聞くと高遠は小さく頷いた。球は直撃したわけではなく、グローブを跳ねて顔に当たったようだった。しかし、高遠の高く整った鼻からは、血が止めどなく流れ落ちている。

 「俺、保健室に連れていきます」

 体育教師は曖昧な笑みを浮かべてよろしく頼む、と言った。目はきょろきょろと落ち着かない。俺は不快感を隠さずに立ち上がった。

 高遠の腕を引いて立たせ、肩を組むような形でゆっくりと歩を進める。高遠の肌には金色の産毛が生えていて、陶器のように白かった。こうして並んでみると、俺よりずっと背が高い。骨格が華奢なので気付かなかった。高遠の息が耳にかかる。今少しでも頭を動かせば唇が当たってしまうかもしれない。体全体が心臓になったかのように脈打ち、頬が上気しているのが自分でもわかった。

 「ねえ」

 校舎の裏口に差し掛かったところで高遠が囁いた。

 「いたいのがすきなの?」

 はっとして振り向くと、高遠は今までにないほど煽情的な笑みを浮かべている。血が、彼の艶やかな唇から顎にまで滴っている。今すぐにでも舐め取りたい気持ちを必死にこらえて、俺は首を横に振ることしかできなかった。

 「じゃあ、いたくするのがすきなの?」

 高遠は俺から体を離して、地面に落ちた大きめの石を拾い、俺にそれを握らせた。

 「たたいていいよ?」

 動けないでいると、高遠は石を自分の顔に向かって叩きつけ始める。一回、二回、三回、四回―――

 「やめろっ!!」

 俺は強引に高遠の手から石を奪い取り、遠くへ放り投げた。高遠は微笑んでいる。血まみれの顔面で微笑んでいる。顔を乱暴に手で拭き取って、俺の顔に張り付けた。湿った感触と鉄の臭いが鼻腔を抜ける。俺はひどく興奮して、それで、

 「やっぱりすきなんね」

 高遠がはっきりしない声で言った。

 「ちがう、俺はちがう、俺は」

 「いいよ」

 高遠は俺の腹をゆっくりと撫でた。


 保健室には誰もいなかった。もうこうなることは予定調和でしかなかった。彼は当然のようにベッドに横たわり、俺は彼にのしかかった。まずは彼から流れる血を舐め取った。ずっとそうしたかったのだ。口に錆の味が溢れた。今まで味わったものの中で一番美味しい。

 ずっと見てたんだよ、と言われて腹から背中までぞくりと震えが走った。全てが俺を興奮させた。俺はあんず――唯一肉体関係を結んだ女が気持ち良いと言っていた部分をひたすら愛撫した。腹、首筋、乳首、脇の下。そして陰部に手を伸ばす。高遠はくすぐったそうに身をよじってくすくすと笑った。悲しくなってしまった。俺は男をどうやったら悦ばせることができるのか知らない。それを見透かしたように彼は俺の陰茎に手をかけて、自分の中に招き入れた。

 電流が走ったような快感が脳を突き抜ける。しっとりとしめっていて絡みつくように熱い。一心不乱に腰を動かすことしかできなかった。

 高遠の声が耳を擽る。女とは違う、女よりもずっと甘い声が、ますます脳を浮腫ませた。俺は今日この美しい生き物と死んでしまうのかもしれない。

 高遠、高遠、高遠、高遠、高遠、高遠、いつの間にか獣のように彼の名前を呼んでいた。

 「うえのなまえは、きらいっ、した、の、なまえで、よんで」

 切なく途切れた声で彼が言う。

 「瑠樺っ」

 彼の唇が俺の唇を吸うと同時に、俺は果てた。


 しばらく抱き合ったままお互いの体をこすりつけていると、外から足音が聞こえ、慌てて服を着た。カーテンの影に隠れて息をひそめる。足音はそのままドアの前を通っていった。瑠樺は鼻をガーゼで押さえながらまたしようね、と呟いた。俺は瑠樺の手を強く握り返して、早く瑠樺と一緒に死にたいとぼんやり考えた。


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