第10話 要継続

 サダオ――その時はすでにサダオではなくなっていたが――を回収したパイロットは言った。

「よお、遅かったな。脱出準備に手間取ったか?」

「少し……ね」

 そう答えたサダオは、小さな、しかし確かな達成感と幸福感に包まれていた。その理由の内のひとつは明確だった。サダオは、その体内でゆっくりと、ラーメンを味わっているからだ。

 高速艇に揺られながら、サダオはもうひとつの理由を思い出していた。


 上司への報告を終え、バッグを抱えて家を出ようとしたサダオは、最後に一つやらなければならないことを思い出し、浴室へと向かった。

 浴室で、錆取り製品を回収し、バッグに詰めた後、あの日以来、浴槽の縁に置きっぱなしになっていた包丁を手に取った。

 サダオは階段を上り、寝室の引き戸を開けた。

「アヤさん、失礼します!」

 そこに、アヤは居た。暗闇の中、サダオの方を向いて立っていた。

 穏やかな目で、サダオを見つめている。髪の毛も整っており、その端正な顔立ちがよく見えた。ワンピースは純白で、一点の曇りも無く、かすかに光を放っているかのように見えた。

 サダオは、その変貌ぶりに驚いた。今までに見たアヤと同一人物とは思えないほどに、その外見が異なっていた。地球人は、これほどまでに外見が変わる生き物ではないはずだ。だからこそ、その外見に依って個体を識別するのだ。

 しかし逆に、外見に依らずに個体を見分けるニーウ星人だからこそ、眼の前の存在が、アヤであることがはっきりと分かるのだった。

 気が付くと、自然と言葉を発していた。

「今日は……綺麗ですね」

 サダオの本音であった。暗闇の中で、薄光を纏って立つ地球人の少女に、美しさを感じてしまった。しばし、呆然としながらアヤの顔を見つめていたサダオの目には、アヤの口角がほんのわずか、上がったように見えた。

「…………」

 しかし、とうとうアヤの唇から言葉が発せられることはなかった。アヤの身体は段々と暗くなっていき、やがて、周囲の闇と同化してしまった。

 包丁を、元あった場所――天井裏に戻そうと、ここへ来たサダオであったが、アヤが、たった今消えたばかりの寝室に入ることが憚られ、寝室の前に包丁を置いた。

 サダオは、最後の最後で、アヤと少しだけコミュニケーションを取れた気がして嬉しくなった。


「お、兄さん! いらっしゃい」

「あの家を出ていくことになりました。最後に、ここのラーメンを食べたくて、来ました」

「……そうかい。まあ、しゃあねえわなあ。でも、最後なんて言わずに、引っ越してからもまて来てくれよ」

「いえ、多分もう来られないと思います」

「そうかい。遠くに行っちまうんだな。寂しくなるねえ」

「そうですね。すごく遠くへ行きます。ここのラーメンがもう食べられないかと思うと、私も寂しいです。ただ、最後にひとつ、嬉しいことがありました」

「なんだい?」

「ついさっき、アヤさんが少しだけ喜んでくれた気がしたんです」

「へえ。もしかして、アヤちゃんの無念、晴れたのかね」

「だと良いです」

 サダオの前にラーメンが置かれる。

「あれ? じゃあ兄さんが引っ越すのは、何か別の理由が――」

 店主が言いかけた時には、サダオはラーメンを平らげて店を出ていた。

「ごちそうさまでした」

 店外からそう聞こえた。サダオの居た席には、二万と数百円が置かれていた。店主は、サダオを追いかけて外に出たが、もうサダオの姿は見えなかった。

 店主が、本当にアヤの無念が晴らされたことを知るのは、その翌日のニュースを見た時であった。


「ヘマをしたな」

 上司が、笑いを含んだ声で言った。

「申し訳ありません」

「まあ、良いさ。とりあえず、報告書をまとめてくれ」

「はい」

 と言ってから、サダオは今どうしても確認したかった。

「聞きたいことがあります」

「何だ?」

「今回のミスで、私は、もう二度と地球の調査はできないのでしょうか」

「こんなミスくらいで調査員を更迭してたら、人手がいくらあっても足りん。むしろ、これからも嫌というほど地球を調査することになるぞ。地球は、上層部のお気に入りだからな」

「ありがとうございます」

 言いながらサダオは、自分の体内に何か異物があることに気付いた。


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◆地球人の特性について

 今回の調査にて、過去の調査資料に記載されていなかった特性が多々確認できたため、以下に記す。


 ・物質を透過しての移動が可能

 ・己の質量を制御し、ゼロにまで減らすことができる模様

  音を立てての移動も、無音での移動も自由自在

 ・己の肉体の出現、消滅を自在に制御できる模様

  光の制御により上記を実現している可能性は有る

  暗所にて、その肉体が明滅する様を目視した


その他にも、多数の能力を有している可能性が高く、その潜在能力は計り知れない

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 サダオは、最後にもうひとつの特性を書き加えるべきかを悩んだ。確信が持てなかったためだ。自分は確かに体験した気がしたが、それが実際に起きたことなのか。地球人がその能力を有するのか。

 考えながら、ふと視線をずらすと、そこには一本の髪の毛があった。アヤの髪の毛だ。

 包丁で切られた髪の毛――自分の身体の一部を回収した時に、絨毯に落ちていたアヤの髪の毛も一緒に取り込んでしまったらしく、母艦まで持ち帰ってしまったのだ。

 一筋の髪の毛を見ている内に、記憶が鮮烈に蘇り、やはり、あれは確かに有ったことなのだと思い、追記することにした。

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 ・音(空気の振動)を利用した言語でのコミュニケーション以外に、意識に直接語りかけるコミュニケーション、いわゆるテレパシーが可能な模様

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 最後にアヤが消える前、口角がかすかに上がった、その口は最後まで動かなかったが、サダオの頭の中には確かに聞こえたのだ。

「ありがとう」と。

 サダオにとっては、初めてアヤが返事をしてくれた、記念すべき瞬間であった。

 報告書の、その他の項目を埋めていき、備考欄に「残存していた二万円あまりの所持金は、離脱時に紛失」と記載した。

 報告書の最後に、「要継続調査」と結び、無意識に独りごちた。

「アヤさんは、元気にしているだろうか」

 サダオは、異星の調査対象に思いを馳せながら、少しだけ寂しさを感じている自分に気付いた。



 こうして、コミュニケーションにおいて空回りし続けた、ある宇宙人の調査は終了した。

 地球では、ひとつの殺人事件が解決し、哀れな少女の霊が救われた。

 ニーウ星では、全く誤った地球人の特性が、広く伝播することとなった。

 ニーウ星人の地球調査はまだまだ終わりそうにない。

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サダオ 鏡水 敬尋 @Yukihiro_K

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