第9話 破綻
サダオは、ようやく自分がどういう状態になっているかを把握し、両手を使って首を元の位置に戻した。すると首の皮は、瞬く間に繋がり、背面に顕現していたアヤの姿も無くなっていた。
サダオは、何事も無かったかのように、平然と立っていた。思考を整理し、今起きた諸々の出来事を理解した。
彼らは、元々、不定形の生き物である。粘度の高い緑色のアメーバ、それがニーウ星人なのだ。彼らが地球人に変化する際には、その体を自在に変形させ、人間の形を作る。そして、表層の組織を変色、変質させて、外見を作っていく。肉体のみでなく、服やアクセサリーも、彼らの身体の一部でできているのだ。
この時に重要になるのが、集中力である。変化後の形、色を強く思い描き、自分の外見に反映させていく。この作業には、地球人には想像もできないような集中力が必要となる。さらに、変化している間は、常にこの集中力を維持しなければならない。それが途切れた瞬間に、変化が解けてしまうのだ。寝ている間ですら、表層部への意識を途切れさせない、特殊な訓練を受けたエリートのみが、調査員として他星に派遣されるのである。
先ほど、身体に包丁を刺し入れられた時、サダオの集中力に乱れが生じた。筋肉や内臓があるわけではないので、包丁で刺されたところで、肉体的なダメージは無い。しかし、意識を集中させていた表層部の一部が突如として切断されたため、そこにノイズが走り、瞬間的に、かすかな混乱、驚きが生じたのだ。集中力を立て直そうとした刹那、サダオがイメージしたものは、アヤの姿であった。初対面時に、自分を睨めつけていた、血走った目。昼間の廊下で見た、血塗られたワンピース。サダオの心に強く焼き付けられていたそれらのイメージが、包丁を刺された背中側に、一気に再現されてしまったのだ。それが結果的に、奇しくも、あの日の犯行を再現することになったのだ。
自分が人間ではないことは、ばれてしまっただろう。サダオが視線を投げかけると、不動産屋は、尻もちをついたまま後ずさった。
「ひっ!」
小さい悲鳴を上げた後に、声にならない声が出た。
「ば、化物!」
この期に及んで、自分が人間であると言い張るのも無駄だろうと思ったが、正体を明かすわけにもいかない。ここはひとつ、誤魔化すのに便利な言葉を使わせてもらおう。
「いえいえ、それほどでもないですよ。私、病気なんです」
そんな病気があってたまるか。もはやそんな言い訳が通用するはずもなく、不動産屋の恐怖は収まらない。
十数秒の沈黙の後、わずかに冷静さを取り戻した不動産屋が言う。
「あ、あんた、一体……何なんだ」
誰何されたサダオは答える。
「知ってるでしょう。高橋サダオでございます」
サダオの的はずれな返答を無視して、再び問う。
「い、一体、何の目的で……ここに」
地球調査のため、と答えるわけにもいかないので、当面の目的を素直に話すことにする。サダオは、一際大きく口角を上げ、渾身の笑顔を作って、言った。
「今は、アヤさんの無念を晴らそうと思っています」
不動産屋は、一目散に逃げ出していた。
間違いなく殺される。絶望的な恐怖に駆り立てられ、夜道を全力疾走していた。全身の鳥肌が収まらず、震えが止まらない。追ってきているのかも分からない。後ろを振り返る余裕は無い。
あいつは、全てを知っている。あの化物は、犯行時の状況を再現して見せた上で、狂気じみた笑みを浮かべながら、アヤの無念を晴らすと言い放った。あんな化物につけ狙われたら、命がいくつあっても足りない。
サダオには、悪意も殺意も全く無かったのだが、身に覚えが有る者にとって、それは命の危険を感じさせるに充分どころか、余りある破壊力であった。
息を切らしながら、それでも走ることをやめられない。止まったら、死。生を求めて走り続けた。
サダオは追わなかった。不動産屋が飛び出していった、開け放たれた寝室の出口を見つめていた。しばらくすると、後ろを振り返り、押入れの前まで歩いて行くと、身を屈めて、先ほど切り落とされた髪の毛――自分の一部を拾い上げ、体内へと吸収した。
もう、この寝室に来ることも無いだろう。サダオは寝室の電気を消し、部屋を出ると引き戸を閉めた。
「事故が発生し、人間でないことがバレました」
「何!? だから言ったじゃないか。同棲はまだ早いと」
「いえ、バレたのは彼女にではないのです。その辺は追って説明します」
「分かった。早急にその場を離れ、回収ポイント向かえ。迎えをやる」
包丁を片手に、猛烈な勢いで駆け込んできた不審者に対し、交番は一時騒然となった。複数の警察官達により、間もなく取り押さえられた不審者は、息も絶え絶えに繰り返した。
「アヤを殺した……。俺がアヤを殺した……」
不穏な告白に、交番は再び騒然となる。
詳しく事情を聞こうとした警察官に向かって、その不審者は、顔を歪ませて懇願した。
「早く捕まえてくれ! 俺がアヤを殺したんだ!」
「なんで殺した?」
取調室で、刑事が尋ねる。
「……誰でも良かったんです。良い包丁を手に入れてしまいましてね、切れ味を試したくなってしまったんですよ。それで、自分の物件に住んでいた、手頃な女を狙ったんです」
「なんで凶器を捨てなかったんだ?」
「ふっ。言ったでしょう。良い包丁なんですよ。有名な刀鍛冶が作った、言わば業物でしてね。警察に見つかって、足がつくのが怖かったのもありますが、何より、捨てるのが惜しかったんです」
「現場の天井裏に凶器を隠していたらしいが、事件直後、うちらが捜査した時には、そんなものはなかったがね」
「その時には、別の物件に隠してありました。幸か不幸か、人が住んでない物件はたくさんありましたから」
「なんで、わざわざ、現場の天井裏に隠し直したんだ?」
「あそこのほうが安全だと思ったんです。一度捜したところは、もう捜さないでしょう?」
「死ぬまでそこに置いておくつもりだったのか?」
「ほとぼりが冷めた頃に……また使おうと思ってました」
「お前は、病気だな」
と言われ、ついつい口から出る。
「いえいえ、それほどでもないですよ」
瞬間、サダオの笑顔が脳裏に浮かび、不動産屋は恐怖のあまり失禁していた。
警察が、高橋サダオ宅に捜査に来た時、すでに家はもぬけの殻だった。家の中を検めたところ、二階の寝室の前で、赤黒く錆びた包丁が発見され、それ以外は何も見つからなかった。
家の中には、人が生活していたような痕跡が見られず、捜査員達は、高橋サダオなる人間は実在しないのではないかと疑った。犯人が、罪の意識から幻覚を見たか、何かを隠すために嘘をついているのではないか、と。しかし、その疑いはすぐに晴れることになる。
近隣に聞き込みをしたところ、あからさまな不審人物が、ここ2ヶ月ほど、この家に出入りしているのを、近所の奥様連中が目撃している。また、現場の家からは、昼夜を問わず大音声で、被害者女性の名を連呼する男の声が聞こえたと、何人もが口を揃えて言っていた。その内の数人は、その様子があまりに不気味で、通報しようかと思ったくらいだったとも。
そして何より、ひとつの決定的証拠が見つかった。被疑者が凶器を隠していたという天井裏を検めたところ、そこには一枚の紙が置いてあり、こう書かれていた。
「アヤさんへ
借りは返します。あなたの無念を晴らしましょう
高橋サダオ」
復讐の代行を宣言するかのようなその手紙は、大いに警察を悩ませた。高橋サダオなる人物は、一体何者で、いかにして犯人を特定し、どこへ消えたのか。警察の捜査では、その疑問の内、どれひとつとして解決することはできなかった。
その後、刑務所へと収監された犯人は、周りの囚人や看守の中に化物が潜んでいて、自分を殺そうと狙っているのではないかという妄想に取り憑かれ、日に日に衰弱し、一年も経たない内に心が壊れてしまったという。
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