第8話 再現
「引き続き住みますので、ご安心ください」
笑顔で告げるサダオに対し、不動産屋はひどく意外そうな顔をして言った。
「そ、そうですか。まあ、高橋様が大丈夫なのであれば……」
数秒の沈黙が流れた後、サダオは本題を切り出した。
「アヤさんのことを、何か知りませんか?」
不動産屋であれば、彼女のことをもっとよく知っていて、何か教えてもらえないかと考えたのだ。
「え……アヤさん?」
「私の同居人のアヤさんですよ」
不動産屋の顔が、見る見る曇っていく。
「何か知らないかと言われても……。どうしてそんなことを聞くんですか?」
「先日、寝室の天井の上で、包丁を見つけたんですよ。彼女、その包丁にすごく興味があるようなんですが、何か心当たりはありませんか?」
不動産屋の顔が、びっくりするくらいに歪んだ。
「な、何ですかそれ……。それに、興味があるって何ですか。一体、彼女が……何か言ったんですか?」
サダオはここぞとばかりに、笑顔を浮かべ、答えた。
「いえ、最近は彼女と少しずつ仲良くなってきてるのですが、まだ会話はできていないのです。なので、あなたから何か聞けたらなと思いまして。あなたなら、何か知ってるでしょう?」
不動産屋は青ざめながら言った。
「高橋さん! あなた、引っ越したほうが良いよ! おかしいって!」
想定外に興奮する不動産屋を見ながら、サダオは笑みが浮かんだままの顔で言った。
「いえいえ、それほどでもないです。私、病気なんです」
その日の夜、サダオが居間で、上司への定時報告を終えた直後、チャイムが鳴った。
おや、誰だろう。この家に住み始めてから、チャイムが鳴らされたのは初めてのことであった。サダオがゆっくりと玄関へ向かうと、二度目のチャイムが鳴った。
玄関のドアを横に滑らせると、そこには革の鞄を片手に提げた、不動産屋が立っていた。
「どうしましたか?」
「外で話すようなことでもないので、中でよろしいですか?」
そう言って、不動産屋はサダオの返事を待たずに玄関の中へと入った。サダオもそれを追い、中へ入る。
サダオが玄関のドアを閉めたことを確認してから、不動産屋は言った。
「今日の昼にお話をした時に、包丁を見つけたとか言っていたじゃないですか。まだ、警察には連絡してないんですか?」
サダオは質問の意味が分からなかった。包丁と警察がどう結びつくのか。警察とは、市民が危険や困りごとに遭遇した際に呼ぶものではないか。
「いえ、連絡してません。警察は包丁の錆落としもやってくれるんですか?」
「はは。面白いことを言いますね」
と笑声を発しながらも、不動産屋の顔は笑っていない。
「いえいえ、それほどでもないですよ」
「警察に連絡する前に、包丁がどこから出てきたのかを、一応、私にも確認させていただけませんか? これも仕事でして」
不動産屋とは、そんな仕事もするものなのだなと納得し、サダオは快諾した。
「どうぞ。こちらです」
サダオは階段を上る。不動産屋も後に続く。寝室への引き戸を開けて、中に入り、紐を引いて電気を点ける。
「包丁は、この寝室の、天井の上から出てきました」
「高橋様は、なんでまた、天井裏なんかに行ったんですか?」
「天井の方から音が聞こえたので、アヤさんが居るのかなと思いまして。最初、どこから天井裏に行けるのか分からなかったんですが、なんと押入れの天井が開いたんです」
言いながら、サダオは押入れへと向かい、ふすまを開けようとした。次の瞬間、サダオの身体を衝撃が襲い、サダオの背中には深々と包丁が突き刺さっていた。
「あんたが悪いんだぞ」
ふすまを開けようと、サダオが背中を見せるなり、不動産屋は、手に持っていた革の鞄の中から、銀色に鈍く輝く包丁を取り出した。それを左手にしっかり握ると、右手に持っていた鞄を捨て、前傾姿勢になり、大きく足を踏み出し、そのまま全体重を預けるようにして、包丁の刃をサダオの背中に押し込んだ。
「あんたが悪いんだぞ」
驚くほど簡単に根本まで突き刺さった包丁に力を込めながら、不動産屋は言った。
サダオの内臓に致命傷を与えるべく、包丁の柄を握った左手に力を込め、捻り上げる。そして、サダオの後頭部に囁きかけるように、続けた。
「あんたが、変に嗅ぎ回るから――」
そう言った瞬間、不動産屋は言葉を失い、思考すら停止してしまった。
サダオの後頭部に、血走った二つの目が開き、不動産屋を凝視していたのだ。
身動きすらできずに硬直していると、サダオの後頭部から毛髪が消え失せていき、そこに人の顔が形成されていく。呼応するかのように、頭頂部や側頭部の髪の毛は伸びていき、五十センチほどの長さへと変化した。同時に、サダオのTシャツと短パンが白のワンピースへと、まるでCGのように滑らかに、その装いを変える。
そこには、あの日の姿の、アヤが顕現していた。あの日同様、その右腹に包丁が刺さっていた。あの日同様、不動産屋の左手に握り締められた包丁が。そして、あの日同様、白いワンピースの右腹部分は、鮮血で染められ、湿度の高い光沢を帯びていた。
あの日と違う点は、アヤがサダオの背面に出現している点と、アヤの左右の肩から生えている腕が互い違いになっている点と、刺創から実は鮮血ではなく、粘度の高い緑色の液体が漏れている点だったが、今の不動産屋にとって、その違いはあまりにささやか過ぎて気づくことはできなかった。
「ア、アヤ!」
不動産屋が叫ぶ。
「え、アヤさんが居るんですか!」
サダオも叫ぶ。が、不動産屋の意識に、その声は届かない。
アヤの目は、瞬きすることも無く、不動産屋を睨んでいる。
何が起きているのか分からず、不動産屋は、しばらくの間、硬直していた。しかし、やがて、自分に向けられているその視線に堪えられなくなり、反射的にアヤの右腹から包丁を引き抜き、アヤの首をめがけて、左に薙いだ。
ほとんど手応えは無かったが、髪の毛もろとも、アヤの首はばっくりと裂け、頭が後方にごろんと転がり落ちた。そして、その切断面が、粘度の高い緑色の液体で満たされていることに、今度こそ不動産屋も気が付いたのであった。
不動産屋は、パニックに陥った。眼の前で起きた一連の出来事は、あまりに常識からかけ離れている。
サダオも軽いパニックに陥っていた。一体何が起きたのか。視界が錯綜している。とりあえず、体勢を立て直さなければ。どちらが前で、どちらが上なのか。
サダオの身体が、自分の方に向き直るのを見た不動産屋は息を飲んだ。首の皮一枚つながった状態で、サダオの頭は、胸の辺りにぶら下がっていた。そして、その後頭部では、上下逆さになったアヤの顔が不動産屋を睨めつけている。
「ひいっ! か、勘弁してくれえ!」
不動産屋は腰を抜かし、床に尻もちをついた。
「不動産屋さん、どうしましたか? あと、私、どうなってますか?」
気遣いつつ、サダオが尋ねた。しかし、不動産屋には、それに答える余裕など無かった。
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