第4話 思わぬ収穫
ある月曜の昼、サダオは家の外に出てみた。Tシャツにデニムのパンツという、あまり目立たない服装を選んだつもりだった。玄関を出たところで、近所の奥様連中の井戸端会議に出くわした。
「はじめまして。わたくし、高橋サダオでございます! 先日こちらに越して参りました」
サダオは大きく腰を折って、大声で自己紹介をし、彼女らを凝視した。
「あ、よろしくお願いしますねえ」と、銘々から簡単な返事があったかと思うと、彼女らはそそくさと散ってしまった。
妥当な反応があった。自分の自己紹介に問題が無いことが確認できたサダオは、多少の安堵を覚え、その場を後にした。二十メートルほど歩いてから、ふと振り返ると、先ほど散っていった奥様連中が、再び集まり、何やら話し込んでいるようだった。
サダオが意識を集中したところ、ある一言が聞こえてきた。
「あの人、働いてるのかしらねえ」
怪しまれてはまずいと思ったサダオは、くるりと身体の向きを変え、奥様連中のもとへ駆け寄り、大きな笑顔を作って、言った。
「これから仕事に出かけるところでございます!」
「ひっ。そ、そうなんですか。大変でしょうけど頑張ってくださいね」
彼女らは、銘々に激励の言葉を発し、再びそそくさと散っていった。
「ありがとうございます!」
礼の言葉を残し、サダオは再び歩き出した。
励ましの言葉ももらえたのだ。それほど怪しまれてはいまい。
サダオの心は軽くなった。自らの対応にミスが無かったことに満足感を覚えると同時に、調査員として上手くやれそうな手応えを得たためである。家で同居しているはずの彼女には、自己紹介を無視され、その後は会うことすらままならない。先行きに不安を感じていたサダオにとって、奥様連中からの激励は、心温まるものであった。
「いらっしゃいませー!」
サダオは、家のすぐ近くで見つけたラーメン屋に入ってみた。地球人の食生活を調査するためである。しかしそれ以上に、サダオの個人的な好奇心に因るところが大きかった。
この、ラーメンなる食べ物は、ニーウ星の調査員達が愛してやまない食べ物なのである。先達が残した調査報告を読むと、実に多くの調査員がラーメンの虜となっていたことが分かった。それを見たサダオは、自分も地球に行ったら、是が非でもラーメンを食べようと思っていたのである。今回、サダオが日本への潜入を強く希望したのも、これが目的であった。意図的に日本を選んだとはいえ、家のすぐ近くにラーメン屋があったのは僥倖であった。ここでラーメンを食べない手はない。
そこは比較的小さなラーメン屋で、店の中には厨房と相対するカウンター席が八席と、その後ろに四人がけのテーブル席が一つあるのみだ。店内に他に客はおらず、厨房には店主と思われる男性が一人居るだけだった。
ラーメンを注文すると
「あいよー!」
威勢の良い返事がある。やはり、返事があるというのは良いものだ。
「へい、お待ちー!」
待望のラーメンを目の前にしたサダオは、箸を使うことも忘れ、ラーメンを貪り食った。左手で丼を持ち、右手を箸代わりに、ラーメンをかきこみ、数秒で平らげてしまった。ニーウ星人は、体内で消化しながら味わうため、まずは食べ物を全て体内に入れてしまうのが普通の食べ方であった。そして、百度程度の液体には難なく耐えられるため、ラーメンを一飲みすることは造作も無かった。むしろ、一飲みにしてこそ、真のラーメンを味わえると、先達は書いていた。
なるほど。確かに美味い。たっぷりの塩分に、たっぷりの動物性油脂、植物性蛋白質のハーモニーが見事である。
サダオが腹でラーメンを味わっていると、店主が目を見開きながら言った。
「お、お客さん! 大丈夫っすか! 火傷してないっすか!」
店主の表情が何を意味するのかは分からなかったが、言葉から察するに、驚いているのだろう。しかし問題は無い。この食べ方をすると、十中八九こういった反応をされることは予習済みなのだ。地球人がこちらの行動に吃驚した時、それを誤魔化すのに便利な言葉がある。
サダオは、少し笑みを浮かべて答える。
「すみません。病気なんです」
この顔を作って、こう言っておけば、大抵の地球人は納得し、それ以上の追及をしてこない。
数秒の間があったあと、店主は少し笑って言った。
「へっ! ちげえねえや」
案の定、納得した様子の店主に対し、サダオは笑顔で言った。
「とても美味しかったです」
「ありがとうございます。でも、あんなに早く食べて、味なんて分かるんすか?」
「分かりますよ。今も、お腹でしっかり味わってます」
店主は吹き出しながら言った。
「あんた、本当に病気だねえ」
この店主とであれば、会話ができそうだ。
「私、最近、近くに引っ越してきたんですよ」
「おや、そうなんすか。じゃあ、これからも来てくださいよ」
「はい。こんなに美味しいラーメン、毎日でも食べたいですよ。家も本当にすぐ近くで、すぐそこの角なんです」
一瞬、店主の動きが止まった。
「もしかして、すぐそこの茶色い壁の戸建てですかい?」
「はい。そうです」
店主の顔に当惑の色が浮かぶ。
「ご家族で引っ越してきたんですか?」
「いえ、一人です」
「一人なのに、なんでまたあの戸建てを?」
「家賃が安かったので」
「まあ、それもそうか」
納得顔の店主を相手に、サダオは続けた。
「一人暮らしのはずだったんですが、いつのまにか女性と同居することになってたんです」
「へえ。羨ましい限りっすね。一体どういうことですかそれは?」
サダオは、寝室での彼女との出会いや、足音のこと等、自分の体験を主人に話した。主人は真顔になり言った。
「それは……アヤちゃんだねえ」
「彼女のこと、知ってるんですか?」
予想外の返答にサダオは驚いた。
「ああ、うちの店にも何回か来たことがあるよ。……本当に無念だったろうなあ。きっと、自分の無念をあんたに伝えたくて、出てきたんだと思うよ」
「無念? 一体彼女に何があったんですか?」
「まあ、俺もあまり無責任はことは言えないけどさ。結局、家族はあの家から出て行っちまって、アヤちゃんだけが、一人でまだ残ってるんだねえ。ひどい話だよ……」
店内に、少しの間沈黙が流れた。店主は、悲しそうな顔をして黙り込んでしまった。一方、サダオの顔には笑みが張り付いたままだった。そして、その笑みに相応しく、サダオは思いがけない収穫に、密かに喜んでいた。
彼女の名前はアヤというのか。そして、何やら無念を抱えているようだ。彼女の無念を晴らす手助けをすれば、彼女と仲良くなれるのではないか。
「ごちそうさまでした。ありがとうございました」
彼女との仲が進展するかも知れない。そう考え出すと、サダオは矢も盾もたまらず、家へと戻ることにした。
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