第2話 発覚

「というわけで、自己紹介はしてみたんですが、相手は無反応でした」

 昨夜の出来事を上司に報告すると、上司はきつい口調で問い質してくる。

「君の自己紹介が、マニュアルを逸脱していたんじゃないかね?」

「自己紹介の文言はマニュアル通りだったはずです。ただ……」

「ただ?」

「自己紹介は、通常立って行うものなので、横になったままやったのがまずかったかもしれません」

「礼儀というやつか。地球人は”形”にこだわるからな。我々にとっては、横だろうが縦だろうがどうでも良いことだが。まあ、地球人の特性は非常に多様で、正しい挨拶にも応じないことがあるという。過ぎたことを気にしても始まらん。で、結局その女はどうした?」

「それが……」

 サダオが口ごもる。

「どうした? 何かまずいことでもあるのか」

「覚えてないんです」

「何! どういうことだ」

 実際にサダオは何も覚えていなかった。初対面の女性に対して、とりあえずは自己紹介をしたものの、気付けば女性は消えており、朝になっていた。一体、何が起きたのか分からなかった。ことの顛末を伝えると、上司は言った。

「しっかりしてくれよ。同じ家の中に地球人が居るとあっては、我々の任務に支障が出る。もしかして君、ルームシェアの物件を選んだんじゃないかね?」

「ルームシェア? なんですかそれは」

「一つの物件に複数人で住み、家賃を分担する方式のことだ。だからその家の家賃は安いのかも知れん」

 なるほど、とサダオは思った。

「ということは、あの女性が家賃を払ってくれているおかげで、この物件は広さの割に安かった、と」

「可能性はあるな。もう一度よく確認しろ。ただ――」

「ただ?」

「いや良い」

 そう言うと通信は切れた。


 サダオは、地球人の生態を調査するためにやってきたニーウ星人であった。もちろん、高橋サダオという名も、この度の調査用に用意された偽名である。上司は、宇宙空間に停泊する母艦にて、各地の調査員からの報告を取りまとめている。サダオ以外にも、調査のために地球に降り立った同志がいるということだ。

 過去の調査結果から、地球人という生き物には、さほど危険性は無いという見方が大勢を占めており、最近ではかなり大規模な潜入調査が実施されている。そんな中、サダオは、自らの希望により、日本のとある場所に潜入調査をすることとなったのである。

 地球人の生態を調べてどうするのか、その目的は上層部にしか分からない。侵略なのか、友好関係の構築なのか。

 過去数回の調査により、地球の技術水準が、ニーウ星のそれよりは低いことが判明している。それ故か、地球人は、宇宙からの知的生命体を受け入れるための、精神的な準備ができていない。過去に、ニーウ星人が、人間の姿に変化しないまま地球に降り立った時は、大変な拒否反応を示されたことが記録に残されている。

 地球人が、安心して会話ができる相手は地球人のみのようであった。そして、地球人は姿形に重きを置く。ニーウ星人は、その外見を自由に変えることができ、地球人に変化(へんげ)することは容易であった。人間の外見さえ作ってしまえば、地球に潜入すること自体は造作も無かった。言語によるコミュニケーションを取ることもできた。しかし、彼らには、地球人とのコミュニケーションにおいて、致命的とも言える欠点が有った。それは、表情を作る、読み取るという行為が苦手なことである。

 地球人は、誰に教わるわけでもなく、自然と自分の感情に応じた表情を作るようになる。嬉しい時には笑顔になり、怒った時には目がつり上がる。多くの場合、こういった表情の変化は、感情に呼応して無意識的に行われる。そして地球人は、他者の表情から、その感情を読み取る力をも自然と身につけていく。しかし、ニーウ星人の場合、変化が自在であるが故に、その外見は常に意識的に作るものであって、感情に応じて、無意識的にその外見が変化してしまうということは無い。そのため、表情という概念がそもそも無いのだ。表情という概念すら無かった彼らにとって、地球人同様の表情を作り、相手の表情から感情を読み取るという行為は至難の業であった。

 地球人の生態を理解し、彼らとより深いコミュニケーションを取れるようになることが、当面の課題である。地球人の内面を理解し、より親密な関係を築くことができれば、その後でニーウ星人が正体を明かしても、良い関係を維持できるかもしれない。そういう意味では、この調査は、地球人との友好関係の礎となるのだろうか。

 上層部の目的が何であるにせよ、今、自分にできることは、自分の調査任務を全うすることである。自らの目的を再認識したサダオは、現状を明確にするべく、不動産屋へと向かった。


 地球人とのコミュニケーションにおいては、笑顔を作っておけば、円滑にことが進むことを、ニーウ星人は学習していた。ただ、彼らにとっては、自然な笑顔というものは分からず、とりあえずは、目尻を下げ、口角を上げるという二点を重視し、マニュアル化している。

 サダオは、マニュアル通りの笑顔を作り、言った。

「寝室に女性が居ました」

「……やっぱり、出ましたか」

 またか、という顔で不動産屋は答えた。

 サダオは、笑顔を維持したまま、問う。

「やっぱりとはどういうことですか? 私は、あの家で女性が殺されたとは聞きましたがが、女性が居るとは聞いてませんよ」

 異様な笑みを浮かべながら問うてくる、サダオの心中を計りかねた不動産屋は、負けじと引きつった笑みを浮かべて返す。

「高橋様、面白いことを言いますね」

「いえいえ、それほどでもないです」

 今の会話のどこが面白かったのかがサダオには分からなかったが、それを考えるよりも先に、マニュアル通りの反応が口から出ていた。

 サダオは、意図的に笑顔を引っ込めた。会話の中で、多少の表情を変化を付けるほうが――と言っても、そのバリエーションは、真顔と笑顔の二つしかないが――地球人として自然だというマニュアルに則ってのことである。そして、改めて事実確認をすることにした。

「あれは、人間なのですか?」

 真顔で言うサダオに対し、不動産屋は少し驚いた顔をして言う。

「高橋様、不思議なことを言いますね」

「いえいえ、それほどでもないです」

 今の反応からすると、あれは地球人に間違いないということか。この質問を続けると、訝られる恐れがある。質問の方向を変えてみるか。

「あの女性が居るから、家賃が安いということなんですね?」

「まあ、平たく言うとそういうことですね」

 何ということだ。上司の指摘どおり、ルームシェアだったということか。そういう契約ではなかったはずだが、契約時にコミュニケーションの齟齬があったのだろう。地球人とのコミュニケーションに難が有ることはサダオも自覚していたため、これは自分のミスであろうと判断した。ここで不動産屋を追及しても、事態は好転しないであろう。

 少し控えめな口調で、不動産屋が尋ねてくる

「あの、どうされますか。出て行かれますか? まあ……いつものことですので、違約金等は要りませんし、別の物件を探す際にはご協力します」

 いつものこととはどういう意味だろうか。そろそろ引き上げようかと思っていたところだったが、サダオは聞かずにはいられなかった。

「あの家に住んだ人は、みんな短期間で出ていくのですか?」

「まあ、そうですね」

「それは、あの女性が原因なのですか?」

「でしょうね」

 ここでサダオは改めて笑顔を作って、問うた。

「あの女性には、どのような問題があるんでしょう?」

 ここでまた不動産屋が驚いた顔になる。笑顔で、なんという質問をしてくるのか、という顔であるが、悲しいかな、その意図はサダオには伝わらない。

「面白いことを言いますね」

「いえいえ、それほどでもないです」

 サダオの顔色を窺うように不動産屋が言う。

「高橋様が問題無いのであれば、このままお住み頂く分には一向に構いませんが」

「そうですね。少し考えさせてください。何かあればまた来ます」

 そう言ってサダオは不動産屋を後にした。どの道、一度決めた居を変えるとなれば、上司の許可が必要だ。サダオの意向だけで判断することはできない。それに、サダオは居を変える気は無かった。この状況をむしろチャンスだと考えていた。

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