交渉決裂

 <いえ、そういうことではありません、ドリュラト様。我々はあなたの偉大さに気がついたのです。力なきものが、強者に使えるのは当然ではありませんか>

 ダメだ。魔竜を納得させるほどのことばの力が、私にはない。

 <わからないのは、我がこの山をおりたところで、お前たちになんの不都合があるのかということだ。お前たちに切り刻まれ、我の体は何倍も大きくなった。仕返ししようと山をくだったが、ちょこまか動き回るすばしっこい毛なし猿を一匹も殺すこともできなかった。体はさらに一回りは大きくなったが、腹は減るわ、ねぐらは狭くなるわで、いいことは一つもない。この山をおりると、なにが我におこるのだ>

 ドリュラトは首をかしげ、じっと私の顔を見つめた。沈黙に耐えきれなくなった私が、ことばを発しようとしたとき、魔竜は言葉をつづけた。

 <我が大きくなると、なにかが起こるのか。偉大なる始祖は、大空を飛ぶことができたという。我の羽根で空を駆け回ることができるとでもいうのか>

 そういった瞬間、魔竜の背中から風切り音がなり、一対の黒い羽根が飛び出した。

 そこにいる全員が、その音に驚かされたが、一番驚いたのは魔竜自身のようだった。

 首を後ろに向け、自分の背中から生えている長く大きな羽根をしばらくみつめたあと、こちらに向き直り、魔竜はニヤリと笑った。竜が笑えるのかどうかはわからない。しかし、その表情は笑ったとしかいえないものであった。

 クデンヤの詠唱が再びはじまり、ウゼが槍を強く握りなおすのがわかった。

 ダメだ。攻撃してはいけない、と声をかけたつもりだったが、実際にでてきたのはピーピーという音だけだったので、あわてて手のひらで二人を制する。

 <これか! お前たちが恐れていたのはこれだったのか!>

 嬉しそうに叫ぶ魔竜の声は、なにかおいしい甘いものでも食べた時の少女が発する喜びの声にしかきこえなかった。考えてもみなかったが、ひょっとしてこのドリュラトという竜は若い雌なのか。

 魔竜は羽ばたきをはじめ、はじめはゆっくりだった羽根の音は、次第に速度を上げていった。

 もし、このままこの魔竜が空を飛ぶようなことがあれば、私は次の計画を実行するしかないのだ。

 5人の目が、魔竜に集中する。

 羽ばたきの速度をあげ、いまにも浮かび上がるかと思ったのもつかのま、羽根の音は徐々に速度を落としていき、最後には羽ばたきそのものが止まってしまった。

 <まだ飛ぶのは無理のようだな>

 悲しそうにつぶやく魔竜ドリュラトを、ほんの少し可愛いらしいと思ったことに苦笑する。

 考えてみれば、なんの悪いこともせず、山で虫を食べて暮らしていたところを襲われ、何度も死ぬような痛みを味わわせられた魔竜のほうが被害者ではないだろうか。しかし、割れた鏡はもう二度と姿をうつすことはない。

 <しかし、我がさらに力をつければ、いずれ天翔ける竜となり、お前たちのような毛なし猿など皆殺しにしてくれるわ。覚えておれ!>

 そう言い残すと、魔竜ドリュラトは急にドタドタと自分が登るときにつくったであろう、倒れた木々が獣道のようになったくだり道へ走っていく。

 横の茂みから飛び出してきたテシカンは剣を抜き、ウゼは投槍を投擲する寸前であった。

「ピピーッピ、ピピーッピ、ピピーッピ!」

 ことばが話せないことなどどうでもよかった。大声で叫び、4人に攻撃をしないように頼んだ。

 ピーピーとしかいえないにもかかわらす、不思議なことに思いはつうじた。

 冷静に考えると、あらかじめ計画を伝えておいたことがよかったのだろう。

 4人を集め、落ちていた木の枝を手に取り、地面に文字を書いていく。

「わ・た・し・は・ま・り・ゅ・う・の・こ・と・ば・が・は・な・せ・る・よ・う・に・な・っ・た」

「なるほど、そこまでは計画通りですね。ロワさん」

 ビッデのことばに、残りの3人もうなずく。

「せ・っ・と・く・は・で・き・な・か・っ・た・こ・れ・か・ら・ま・り・ゅ・う・を・や・ま・か・ら・で・ら・れ・な・く・す・る。また贈物ギフトを使うわけですね」

「ピー」

 はい、という返事であることが、ビッデにも伝わったようだった。

 竜が完全に山から逃げ出す前に贈物ギフトを使わなければならない。

 目を閉じて、さきほどまで目の前にいたドリュラトのことを思い浮かべる。


 あの竜が世に解き放たれると、その意思にかかわらす、とんでもないことがおきるはずだ。それは絶対に許されない。私は望みます。あのドリュラトがモンブルマ山から出られないようになることを!


 チキチン、チキチン、チキチン。

 すぐにしょうの音が鳴り、全身から黄色い光がにじみだしてきた。

 なんとなくコツがわかったような気がする。

 間違いなく、この贈物ギフト反則チートだ。支払ペイのことさえ考えなければ、世界の王にだってなれる。

 黄色い光が消えるのを確認してから、さきほど書いた文字を足で踏み消し、同じところに木の枝で文字を書く。もし、読み書きの勉強をしていなければ、どうなっただろうか。

「こ・れ・で・ま・り・ゅ・う・は・こ・の・や・ま・か・ら・に・げ・ら・れ・な・い。でも、どうやってあの魔竜を、この山に閉じ込めるんですか」

 ビッデの質問には答えられなかった。自分でも、どうやってドリュラトをモンブルマ山から逃げられないようにするのかわからないのだ。

 私も含めた5人は、しばらくのあいだ呆然とドリュラトがおりていった方角を眺めていた。

「オッサンを信じないわけじゃないが、ちょっとあの魔竜がどうなったのか見にいってくるわ」

 そういい残すと、返事を待たずにテシカンはドリュラトの後を追って、山を駆けおりていった。

 クデンヤは折れた木の幹に腰をかけ、水筒を取り出して手をすすぎ、飲み口をそのまま含んだ。

 ウゼはテシカンを追いかけていくべきかどうか、考えているのがありありとわかる。

 さて、ビッデはどうするのだろうと思いうしろを振り返ると、信じられないものがそこにあった。

 なんの音もたてずに、どうやってこの場所に戻ったのだろう。

 漆黒の竜がそこにいた。

 ドリュラトが、洞窟の入り口にぽつねんと立ちつくしているのだ。

「ピピピー!」

 振り返って危ないと警告したかったが、またピーピーという音しか発することはできなかった。

 しかし、私の声をきくとクデンヤは、服が汚れることなど気にもとめず、木の幹を盾にして身構える。

 前に体を倒しながらくるりと前転し、洞窟のほうに向きなおった時には手に投槍を構えていた。

 ビッデだけは、なにが起きたのかわからずに、ドリュラトを背にしてポカンとこちらを見ている。

 逃げるように声をかけようとしたとき、竜が叫んだ。

 <我になにをした! なぜ山をおりた我が、またここに戻ってきているのだ>

 私は結界的ななにかが壁のようになって、ドリュラトが山から出ていくの防ぐ姿を想像していたが、神の力はもっと偉大だったようだ。

 <私には神から与えられた特別な力がある。私の力で、あなたはこの山から離れることはできなくなったのです>

 ドリュラトは、私のことばにしばらく首をかしげて何事かを考えていたが、我をたばかるなと言い残し、また山をくだっていった。

 ドリュラトと入れ違いになるように、テシカンが戻ってくる。

「おい、あの魔竜を追いかけていったらふもとで突然姿が消えたぞ。それで急いで戻ってきたら、今度は上からおりてくるって、いったいどうなっているんだよ」

「テシカン、ここでもうしばらく待ってればわかるよ。このオッサンがやってのけたんだ。なあ、オッサン」

 クデンヤが私の肩をポンと叩いた。


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