支払いに猶予なく

 ウゼの投げた槍がゆるやかな放物線を描き、洞窟の前に突きたった。

 その瞬間、槍の刺さったあたりから破裂するような大きな音と、火柱があがる。

「おい、このトカゲ野郎。早くでてこいよ。こっちだこっち」

 普段温厚なウゼとは思えないような怒声が飛ぶ。

 私たちは、洞窟から魔竜がでてくるのを息をのんで待った。

 なんの反応もない。

 まさか、この洞窟には戻っていなかったのだろうか。

 剣を握りしめるテシカンのほうをみるが、テシカンはこちらを見て首を横に振っている。

 首を横に振られても、いないということなのか、もう少し待てということなのか、それがわからない。

「魔竜はいないのか」

 思わずテシカンに声を出してきいてしまう。

「黙ってろ。間違いなくあそこに魔竜はいる」

 しかたなく静かに待つ。

 槍からの火柱が消えていき、あたりを再び静寂がつつみこむ。

「うすのろトカゲ、早く出て来いよ。俺が丸焼きにしてやるよ。ビビってるのか」

 ウゼの罵倒が続く。

 そのとき、洞窟の奥でなにか低い音がしたような気がした。

 まちがいない。

 ドスン、ドスンという音は、なにかが洞窟の中から出てこようとしている音だ。

 中に魔竜がいることを確信し、洞窟から出てくるのを待ちかまえる。

 洞窟の入り口は大人4~5人分の高さがあり、奥行きがどれくらいあるかはわからなかったが、かなり大型の生物でも飲み込むことができそうだった。

 その次の瞬間、暗闇が入り口からにじみ出る。

 それは暗闇ではなく、魔竜だった。

 魔竜は暗闇と同じくらい黒く、まるで影が飛び出してきたかのようだ。

 その禍々まがまがしいいでたちに、私は畏敬の念をおぼえるとともに、あることに気がついた。

 魔竜はたしかに大きいが、地面から頭の先までの高さはせいぜい大人3人分くらい。

 この大きさで世界をすべて滅ぼすのには、千年くらいはかかりそうだ。

 もとはもっと小さかったらしいから、なにもせずに放置しておけば、なんの問題もおきなかったんじゃないか。あの4人で、わざわざ寝ている犬を起こしたのか。

 いまさらそんなことを考えてもしかたないので、予定どおりの作戦でいくしかない。


 ヴィーネ様、あなたの贈物ギフトで世界を救います。私は、あの魔竜と会話することを望みます。


 チキチン、チキチン、チキチン。

 すぐに音はきこえた。しょうの音だ。

 そして、私の体からは黄色い光があふれだしていた。

 横にいるテシカンが、大きく目を見はる。

 魔竜も黄色い光に気がついたようで、こちらに首を向けていた。

「ロワさん。これはいったい、なんなのですか」

 驚いたビッデが大きな声を上げるので、落ち着かせようと声をかける。

「ピー、ピー、ピー」

 これが私の贈物ギフトなんです、と答えたかったが、私の口からことばはでてこなかった。

「ピー、ピー、ピー」

 なにかを話そうとしても、ことばがでてこない。

 唇はまちがいなく「ビ・ッ・デ」と動いているのだが、口をついて出るのは「ピー、ピー、ピー」という笛のような音だけなのだ。

 あわてた私は、ピーピーと笛のような音をまき散らすが、テシカンとビッデにはまるで意味が通じていなかった。

 まずい、どうしよう。

 こういう支払ペイの可能性も考えていなかったわけではないが、その状況になると、どうしていいかわからない。

 落ち着け、落ち着いて深呼吸だ。

 二、三度深呼吸を繰り返すと、少しだけ気分が落ち着いた気がした。

「おい、オッサン大丈夫か」

 テシカンが声をかけてくれたが、大丈夫ということばが「ピーピーピーピーピー」となってしまう。

 どうするんだこれ。

 それに、さきほどからきこえる「毛なし猿をブッ殺してやる」という女の声は、いったい誰の声なんだ。

 大声で怒鳴っている女の声がするほうに目を向けるが、そこには魔竜しかいなかった。

 隣にいるビッデに、声がきこえるかどうかをききたかったが、私の口からはピーピーという音しかでない。

 覚悟を決めた。

 ビッデとテシカンには、大丈夫だからここで待っていてほしいというつもりで、手のひらでとどまるように合図し、魔竜の前に姿をさらす。

 <そこの魔竜さん。ちょっといいですか>

 他の4人には、ピーピーという音しかきこえないだろうが、私が話しかけたとたんに女の声ではなす罵倒は止まった。

 <そこのチビ猿。お前は我のことばがわかるのか>

 動きをとめた魔竜は、こちらを向いて私に話しかけてきた。その口が動かず、視線の端にみえるウゼも魔竜の声にまったく反応していないことから、魔竜のことばは普通の人間には音としてすらきこえていないことがわかった。

 <わかります。だから落ち着いてください、魔竜さん。私たちは戦いに来たわけではないのです>

 魔竜は、竜にそれが可能であるとすればだが、いぶかしげな眼でこちらを見つめた。

 <魔竜とはなんだ。我にはドリュラトという名がある>

 <魔竜というのは、私たちがあなたにつけた名前です。魔竜というのは……悪……いや、偉大な竜という意味です。偉大な竜であるドリュラト様にお願いがあって参りました>

 竜ドリュラトは、チラリとウゼのほうに目をやった。

 <お前ははじめてみる顔だが、あのうろこの猿は依然見たことがある。あの棒が我にどれほどの苦しみを与えたか。思い出すだけでも全身の血が煮えたぎる。ああ、この恨みはらさでおくべきか>

 低くうなるドリュラトの気を引こうと、大きな声でピーピーと話しかける。

 <あのもの達は大きな過ちを犯しました。魔……ドリュラト様の偉大さがわからなかったのです。私は違います。人間の代表として、ドリュラト様に償いをいたします>

 償いということばに、魔竜は興味を示したようだった。ここがチャンスかもしれない。

 <ドリュラト様は、なにを召し上がりますか。私は、その食べ物を用意することができます。それどころか、全世界から山海珍味さんかいのちんみを取りよせます>

 <虫はあるか>

 魔竜は、ぽつりといった。

 <なぜか体が大きくなったので、我が食べる虫が足らん。昔はこんなことはなかったのに、山を歩き回って虫を探しても全然足りず、腹が減って腹が減ってたまらん>

 竜って虫を食べるのか。まあ大きなトカゲと考えるなら、そういうこともあるだろう。虫で満足してもらえるなら、いくらでも用意できるはずだ。

 <虫でよろしければ、いくらでも用意できます。羽虫に毛虫、甲虫にミミズ。なんでもこちらで準備いたします>

 <それで我の見かえりはなんだ>

 さすが魔竜だ、バカではない。すべての物事には、必ず支払ペイがあることをわかっているわけだ。ここからは、ことばを慎重に選ばないとまずい。

 <ドリュラト様の力は、われわれ人間にとってあまりにも偉大すぎるのです。歩けば地が裂け、海が枯れはてます。人間の住む穢れた世界ではなく、この神聖なモンブルマ山で穏やかに暮らしてスローライフいただければそれ以上のことは私たちは望みません>

 魔竜の表情をうかがうが、異形のものの感情を読み取ることはできなかった。

 ほんの少しのあいだ、互いの沈黙がつづいた。

 初秋の山は野鳥のさえずりであふれ、やわらかな太陽の光があたりを照らしていた。

 <お前は我が阿呆だと思っておるのか。地が裂け、海が枯れるだと。そんな力が我にないことは、己が一番わかっておる。力で滅ぼせないなら、物で懐柔とは猿知恵にもほどがある。よくはわからんが、我がこの山を下りることは、お前らにとってよほど都合が悪いようだな>

 見透かされている。自分の顔から血の気が引いていくのがわかった。


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