世界と蟻

「モンブルマ山の八合目あたりに、竜が住む洞穴があります。いまそこに竜がいるのかどうかはわかりませんが、テシカンさんがモンブルマ山に戻るところを確認していますので、近くにいることは間違いありません」

 世界を滅ぼす魔竜なのに、偵察隊みたいなもので監視していないのか。

 意外と適当なんだな、などと思っていると、ビッデが私の考えを読んだようにいった。

「竜が今の大きさなら、世界を滅ぼすことはできないと私たちは考えています。へたに監視を置いて、刺激することで竜の巨大化が進むことこそ脅威なのです」

 なるほど。そういうことか。うなずきながら、モンブルマ山のふもとから頂をあおぎ見る。

 メコアの山よりは低いが、山頂まで鬱蒼とした木々におおわれていた。

「道はないから、前回俺たちが使った道をのぼる。魔竜が通ったところでもいいが、なにか魔術的なもので危険かもしれないからな」

 先頭のテシカンが、人の手が加わっていない森の中にためらいなく入っていった。

 愛用の剣ではなく、刃の分厚い鉈を手にしており、時々木に切りつけながら前に前に進んでいく。

「時々木に切りつけているのは、目印をつけているんだ。もし、逃げるときはこの切り込みを目印にするといい」

 よくみると、木々には少し前に切りつけたような跡も残っていた。

 テシカンの後について斜面を登っていくが、積み重なった腐った落ち葉にたびたび滑り、なかなか歩みは進まなかった。なんども滑ったために、服はドロドロで、腐葉土に突っこんだ手のひらが気持ち悪かった。

「もう少しいけば、中腹に平らになった場所があるから、そこで一休みするぞ」

 剣の達人ソードマスターは体のバランスもいいのだろう、これだけの斜面を鉈をふるいながら登っても、テシカンは一度もつまづくことすらなかった。それから半刻ほど斜面を登り続けた。


「ふわー、やっと着いた。ほんとに疲れるわ」

 魔術の杖を登山のステッキのように使ったクデンヤが、倒れこむように地面にあおむけになった。

 私と同じくらい転んだので、すでにローブはドロドロだ。

「こちらに湧き水があるので、喉を潤してください」

 ビッデの指さした先には、チロチロと山腹からきれいな水が湧き出しており、手ですくって喉に流し込んだ。こんなにおいしい水ははじめてだ。

 すぐにウゼも湧き水のところへ近づいてきたので、もう一度手を洗って場所を譲る。

 なにげなく振り返ると、そこには絶景が広がっていた。

 手前にはメールの町、その向こうにはどこまでも広がる大海原。

 太陽の光をあびて、キラキラと波打っている。

 いつのまにか、クデンヤが横に立っていた。

「なかなかな景色だろ、オッサン。こういうのみると、まだまだ世界も捨てたもんじゃないと思わないか。人間なんてちっぽけな存在だ。俺たちはいずれ死ぬ。そして忘れられるが、この景色は何千年たっても永遠に変わらない。俺はこの世界を守りたいと思う」

 海に目をやるクデンヤの横顔は、私が女なら惚れてしまいそうな端正な表情だった。

「たしかにこの風景は変わらないでしょうね。でも、私は世界よりもあの町に生きている人々を救いたいと思います。ほら、ここから見ると人がまるで蟻みたいでしょう。私もあの蟻の一匹なんです。蟻にも命があり、暮らしがあり、喜びや悲しみがある。ただの農民である私には、世界のことなんかより、あの人たちを守りたいんです」

 クデンヤがこちらを見て、ニヤリと笑う。

「じゃあ、オッサンは蟻さんたちを。俺は世界を守ればいい。どっちみち、やることは同じだ」

 ちょうどテシカンが、そろそろ出発するぞと声をあげた。

「出発する前に、皆さんへ少しだけお願いしたいことがありますがきいてもらえますか」

 4人の視線が私に集まる。そして私は作戦についてはなしはじめた。


 小休憩ののち、私たち5人はふたたび山をのぼりはじめた。

「もし、魔竜があんたのことを襲ったら、俺たちはあんたを守って戦うからな。そのことだけはわかってくれよ」

 クデンヤは鉈をふるいながら、いつにない真剣な声でいった。

「そうならないことを期待しますよ」

 そう答えると、また無言で斜面をのぼる。

 半刻ほどの時間がすぎ、あとどれくらい時間がかるのかをきこうとしたとき、先頭のクデンヤが振りかえって唇に指を立てた。そして、進行方向にむけて人差し指を二回ほど指し示す。

 この先に魔竜はいるのだ。

 魔竜の洞窟は、その手前が小さな棚のような平地になっているらしく、4人は以前、そこで魔竜と戦ったという話をあらかじめきいていた。

 私は大きくうなずき、手のひらを開いてクデンヤの方に向け、待ってほしいと頼む。

 意思が通じたようで、クデンヤもうなずく。

 服が汚れることも気にせず、私は斜面に腰をおろし、目を閉じた。。


 ヴィーネ様、私はあなたの贈物ギフトで世界を救いたいと思います。魔竜と話がしたいです。


 あの音はきこえなかった。目を開いても体からは黄色い光は出ていない。


 なにか間違ったか。ことばに問題があるのかもしれない。


 慈悲深き女神ヴィーネよ。我は魔竜との対話を請い願う。


 少し難しい感じで考えてみたが、特になんの反応もない。願い方が足りないのか。


 本当に心の底から願います。魔竜と話をすることで世界を救いたいんです。支払ペイいが何になるのかはわかりませんが、私はそれを受け入れます。ヴィーネ様!


 これでもダメ?


 瞼を開くと、他の4人が私のほうを心配そうにみつめていた。

「少しうまくいかないみたいなので、もう少し待ってくださいね」

 目を閉じて、一心不乱に魔竜のことばが話せるように願う。


 魔竜と話したい。願う、願う、願う。マリューと会話。魔竜とお話がしたいなぁ。魔竜と意思疎通したい。


 いろいろと考えてみたが、まったく反応がない。なぜ願いがかなわないのだろうか。瞼を閉じていていても、4人の視線を感じる。なぜ贈物ギフトが発動しないのか。そもそも魔竜とはなんだ。私は一度も魔竜を見たことがない。魔竜という存在をなんとなくは理解はしているが、はたして大きなトカゲなのか、大きな蛇なのか、そういった知識すらなかった。やはり実物をイメージしないことには贈物ギフトも発動しないのではないか。

 そう思い当たった私は、おそるおそる目を開き、こちらを注目している4人に小声で伝える。

「いま、贈物ギフトを使おうとしたのですが無理でした。私は魔竜の姿を一度もみたことがないので、願いが具体的にならなくて、それが原因だと思います」

「だったら、私が魔竜を洞穴からおびきだします」

 そういってウゼは槍を左手にうつし、背中の投槍を右手に握った。

「攻撃すると、また巨大化します。竜に手を出してはいけません」

 ビッデのいいぶんはもっともだが、ウゼには考えがあるようだ。

「大丈夫です。私の投槍を魔化エンチャントしたのはクデンヤですから、いま私が持っている投槍にはすべて炎の力がこめられています。これを入口近くに投げれば、大きな音と炎があがりますから魔竜は必ず洞穴からでてきます」

 他の3人からは、特に反対はないようだった。

「じゃあそれでいこう。洞窟が見える場所までいき、ウゼは槍を投げてくれ。俺とビッデはオッサンを守る。クデンヤはウゼの援護だ」


 すこし斜面を登ると開けた場所があり、その奥に洞窟が口をのぞかせていた。

 私とビッデ、クデンヤの3人は、洞窟の右側にあるこんもりとした木の茂みに姿を隠した。

 ウゼとクデンヤは、洞窟の左側から入口に近づいていった。

 クデンヤの詠唱がはじまる。いざという時の準備だろう。

 いよいよ人生をかけた戦いがはじまることになる。

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