運命からは逃げられない
3の鐘で目がさめる。
シェスをおこさないように、布団からそっと抜けだす。
鉱泉に飛びこみ、体を洗い流して仕事にいく支度をする。
今日で鉱山の仕事は終わりだ。
体が激しい肉体労働に慣れはじめ、たるんでいた腹が少し引っこんだことはうれしいが、やはり疲労が抜けないのは年をとったからだろう。鉱泉をあがると、起きてきたシェスがパンの塊と干した果物を木で編んだ小さな籠に入れていた。現場で食べるための食事だ。水の入った、皮の水筒もすでに準備されていた。
「おはよう。今日で最後だから、せいぜいケガをしないようにがんばってくるよ」
シェスはにっこり笑って、がんばってと声をかけてくれた。
明日からは宿屋の主人として、シェスと一緒に過ごす時間を増やせるだろう。
水差しから木のコップに水を注ぎ、一気に飲み干す。
体を動かす仕事をするときに、朝から食事をすると体調が悪くなる気がするので、水以外はとらないことにしていた。
準備完了。
「シェス、いってくる」
「いってらっしゃい」
意気揚々と扉をあけ、表に出た瞬間、私はその場に固まった。
3名の完全武装した兵士と、以前よく朝食を食べにきていたゴタキンという名の役人、そして神官のテキンさんが待ち構えていたように、はす向かいの建物の陰から出てきたからだ。
すべてを捨てて、逃げようという考えが頭の中によぎった。
いや、逃げるわけにはいかない。宿屋は私の家だし、シェスもいる。
知らぬ顔をして、鉱山の方に向かおうとする。
「お前がクレル村のロワだな」
役人のゴタキンが私に声をかけるが、きこえないふりをして、そのまま鉱山の方に歩きはじめる。
「おいこら、きこえないのか」
兵士の一人が大声で怒鳴り、私の方に駆け寄ってきた。
あくまでも声を無視し、走り出したい衝動をおさえて歩き続ける。
斜め後ろから突然の衝撃が私を襲い、前方につんのめって膝をついてしまう。
「なんですか」
驚いたような声を出して、きこえていなかったことを強調する。
「お前がクレル村のロワなんだな」
兵士が強い口調でくりかえす。
「もしそうだったら、なんなんですか」
目の端に、シェスが扉から出てきているのが見えた。
「お前を拘束するように、神殿から命令がきている」
少しでも動けば、すぐにでも取り押さえようと兵士は身構えている。
「あんた、どうしたの。なにがあったの」
駆け寄ってきたシェスが、私にすがりついてきて泣き声でいった。
どうしても避けられないなら、甘んじて受け入れろ。
厳しかったおじいさんのことばだ。
ただの農夫であった祖父には、時に領主の不当な要求を受けいれなければならない時があった。
そんな時、いつまでもウジウジ考えないで、その状況を楽しめる男になれと教えてくれた。
わざわざ私を探しているということは、世界を滅ぼす魔竜があらわれたに違いない。
腹をくくった。
「心配しなくていいよ、シェス。私はなにも悪いことはしていない。そうですよね、テキン様」
突然話しかけられたテキンさんは、驚きの表情をみせたが、すぐに冷静になった。
「理由はわからんが、
兵士の態度が少し和らいだ気がした。
魔竜の話は一般の人々に公表していないので、ことばを選びながら話さなければならなかった。
「シェスティン、私はいかなければならない。信じてもらえないかもしれないけど、これは世界の運命にかかわるような重大なことなんだ」
シェスは涙をボロボロとこぼしていた。
「私は怖くて逃げていた。逃げて逃げて逃げて、この町にたどりついた。でももう逃げられない。世界が滅べば、あなたもいなくなってしまう。そんなことには耐えられないし、させるつもりもない。キミのオッサンは、世界を救うために命をかけるつもりだ」
「あんたも私を置いていくの。あんたも死ぬの。また私は一人で生かないとだめなの?」
きれいな顔が、涙と鼻水とヨダレでグジャグジャになる。
シェスを抱きしめ、耳元にささやく。
「絶対に死なない。必ず帰ってくる。約束する」
驚いたような顔をしたシェスをさらに強く抱きしめ、口づけをした。
それは鼻水で、驚くほどしょっぱかった。
「テキン様、もし私が死んだら、この赤銅亭はシェスティンに譲ることにしたいのですが、証人になってもらえますか」
テキンさんはうなずいてくれる。
「あんたたちも証人になってくださいよ。じゃあ、どこにでもいきますから、連れていってください」
死ということばに反応したシェスが、またわんわんと泣きはじめたが、私はそちらを見なかった。シェスの姿をみると、涙が止まらなくなりそうだから。
「代官所に馬車が用意してあるから、それに乗ってもらう」
役人のゴタキンのことばに、まっすぐ代官所の方へ歩きはじめる。
世界を救うという覚悟はできた。もう逃げない。
海辺にあるメールという町まで、馬車で5日かかった。
常に揺れていることで、胃がひっくり返ってしまったかのようになり、食べたものをすべて吐き出してしまい、体調は最悪だった。
替え馬の時だけ少しの時間馬車は止まるが、それ以外はずっと走り続けであった。
全速力で走る馬車の振動は激しく、メールの町に着くころには水を飲んでも吐いてしまうようになる。
御者にメールの町に着いたといわれたときは、揺れない地面に立てる喜びにヴィーネ神に感謝を捧げた。
馬車を降りると、待ち構えていたように魔術師のクデンヤが近寄ってきた。
「オッサン、久しぶり。逃げ出したんだって。思ったより根性あるんだな」
吐き気で真っ白な顔をしている私には、ことばをかえす余裕がなかった。ものをいうが 「馬車に揺られすぎたのか。気分悪そうだけど大丈夫か」
ズケズケとものをいうが、憎めないクデンヤの性格は天性のものだと思う。
そのうちに、苦しそうにしている私のところへ神官のビッデも近づいてきた。
「ロワさん、お久しぶりです。遠乗りでまいっているようですね。よろしければ回復術を使いますよ」
私は力なく同意する。
しばらく念じた後、ビッデの手のひらから黄色い光が流れ出し、私を温かく包んでくれた。
効果は
「ありがとう、ビッデさん。かなり楽になったよ。水の一杯でももらえればありがたいんだが」
「我々は町長の屋敷に泊まっています。そちらで水をもらいましょう」
うなずいて、ビッデさんの後について町長の屋敷に向かった。
町長の家といっても、私の宿屋ほど大きくなく、ここに5人も宿泊するのはつらいのではないか、などと仕事がら余計なことを考えてしまう。
居間に案内されると、そこには懐かしい顔があった。
テシカンとウゼが、武器の手入れをしている。
これで、魔竜退治の英雄パーティーが再結成されたわけだ。
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