呪い

 豆のスープに、固いパンをひたしながら食べる。

 一人の食事は味気ないが、誰かと食事をするとどんなものでも、おいしく感じるのは不思議だ。

 シェスと二人で粗末な食事をとりながら、今日の鉱山で下財頭げざいがしらのワベに腹が立ったことや、アギロバさんが鉱山をもとに戻すかもしれないことを話す。シェスは、最近になって、やっと町の人が普通に話しかけてくれるようになったと教えてくれた。どうでもいい話だが、お互いにグチをいうことで、心が軽くなる。小さなことだが、これを幸せというのだろう。

 その時、シェスがつぶやいた。

 「なにか焦げくさくない?」

 嫌な胸騒ぎがした。

 木の匙を置き、廊下に出る。

 たしかに焦げくさい。

 どこからだ。

 2階か。

 途中の大穴を避けるつつ、階段を駆け上がる。

 左の一番奥にある8号室の、ドアの下から煙がもれだしていた。

 火事か。

 「火事だ、シェス、鉱泉から水をもってこい」

 一声怒鳴ると、廊下をつきあたりまで走り、8号室のドアを開ける。

 布団からモクモクと煙があがり、チラチラと赤い炎がみえていた。

 水をかけるしかない。

 そう考え、1階にむかおうと部屋をでると、桶をもったシェスとぶつかりそうになる。

 シェスのわきを通り、鉱泉から水をくむために1階へ向かうが、そこで下ばき1枚のアギロバさんと出くわす。

 「火事です。危ないので表に出てください」

 きつい口調で火事のことをつげるが、アギロバさんはひるむことなく答えた。

 「火事はどこなんだ。2階か」

 「はい、2階の一番奥の部屋です。はやく逃げてください」

 答えを待たずに、鉱泉にむかい、桶に水をくんで2階に戻る。

 階段を降りてくるシェスとすれちがうとき、シェスが怒鳴った。

 「お客さん!」

 意味もわからないまま、水の桶をもって8号室にむかうと、部屋の前の廊下にアギロバさんが立っていた。

 「邪魔だ。手伝ってくれるなら水をたのむ」

 イラつきながらアギロバさんの横をすり抜け、燃えている布団に水をかける。

 「私が消してやる。布団をひとつダメにしていいか」

 「火事を消してくれるなら、布団くらい好きにしたらいい」

 私はいい捨てて、1階に水をくみにいく。

 必至の形相のシェスとすれちがい、1階に走る。

 桶に水をくみ、2階に戻る。

 桶を持ったシェスとすれちがう。

 「消えた。でも水がもっといるらしい」

 なにをいってるのだろうか。

 よくわからないまま、8号室に入ると、アギロバさんがベッドの上の布団をにらんでいた。

 「火が消えてる。消したのか」

  アギロバさんは、渋い顔でいった。

 「ご主人。火は消えたわけではない。上から別の布団をかぶせて、空気を断っただけです。布団を水で濡らして本当に消さなければ、また火がぶり返しますよ」

 アギロバさんにお礼をいって、火を完全に消すために再び鉱泉にむかった。


 「本当にありがとうございました。もし、あなたがいなければ、この宿屋は焼け落ちていたと思います」

 シェスと二人で、深く頭を下げる。

 アギロバさんは少し照れたような表情で、大したことはないといいながら手をふる。

 「鉱山でも、たびたび火がおこることがあります。水をいくらかけても消えないときは、空気を断つのですよ。そうすれば火は広がりません。鉱山では―――」

 話が長くなりそうなので、もう一度ふたりでお礼のことばを伝える。

 「あなたは私たちの命の恩人です。宿屋が焼けるということは、私たちが生活できなくなるということですから。ささやかなお礼ですが、お泊りのお代は結構です」

 シェスともう一度頭を下げる。

 「いえいえ、どうせ役所から払う経費なんですから、お代はお支払いしますよ」

 「ありがとうございます。これだけお騒がせしたうえで、こういうのも変ですが、ゆっくりとお休みください。それでは下の部屋を見てきます。シェス、いこう」

 アギロバさんの部屋は4号室、8号室の真下は3号室なので、焦げくさいこと以外はそれほど影響はないだろう。人で3号室を見にいくと、案の定、こぼれた水で布団がびしょ濡れになっていた。

 8号室は当分使えない。7号室の布団がない。3号室の布団はしっかり干してみないと使えるかどうかわからない。10室しかない赤銅亭は、そのうち3室をあっという間に失った。


 これじゃあ私の贈物ギフトは、まるで呪いみたいじゃないか。 


 それからしばらくして、アギロバさんにより排水坑の掘削が決定され、メコアの町は喜びに沸きたった。

 小火ぼやで2部屋が使えなくなり、寝具がひとつ足りない部屋があるとはいえ、唯一の宿屋であるわが赤銅亭がこれから忙しくなることは間違いない。

 昔から、不運はしばしば福をもたらすといわれているが、小火が富を生み出すとは思わなかった。

 排水坑が掘削されることが決まった夜、アギロバさんから、10日くらい後に鉱山技師があと5名ほどくるので部屋を空けておいてほしいとお願いされたのだ。排水坑が完成するまで、少なくとも半年はかかるらしいから、毎日宿代として銅貨60枚が収入となる。10日で正銀貨6枚。100日でヴィーネ金貨3枚の計算だ。これで貧乏から脱出できるに違いない。その夜は興奮でなかなか寝つけなかった。


 翌朝、眠い目をこすりながら鉱山にむかう。鉱山の仕事をしなくとも生活できるめどが立ったように思えるが、約束は約束だ。鉱山の仕事は辛いことばかりだが、鉱夫たちは食堂のお客さんになるかもしれないと考えると、いきなり辞めるわけにはいかない。

 小火の翌日も仕事を休まなかった。

 この町での暮らしはそれほど長いわけではないが、いつ事故で死ぬかわからない鉱夫たちが、特に信義を大切にすることは学んでいた。約束を守る男は尊敬されるのだ。私はシェスのためにも、尊敬される男でありたい。

 いつものように、下財頭げざいがしらのワベにからかわれても、今日は気にならなかった。

 明日でこの仕事も終わりだ。そう思えば、すべて許せてしまう。

 単調できつい水のくみあげも、なまっていた体を鍛えなおすことができたと思えば、意味のあることだったかもしれない。


 鉱山での仕事が終わると、ベンユ爺さんと大工の親方のところへむかう。爺さんに保証人となってもらい、大工の親方にツケで階段の修理と火事があった部屋の改装を依頼するのだ。

 親方いわく、部屋を見てから正式な費用を決めるとのことだが、正銀貨6枚くらいになるだろうとのことだった。排水坑の話はすでに伝わっていたので、支払いも問題ないだろうといわれ、明日にも仕事にとりかかってもらえるらしい。

 ベンユ爺さんには保証人となってもらうかわりに、なけなしの正銀貨1枚を支払った。

 あとで、シェスは強欲な爺さんだと怒っていたが、ベンユ爺さんが私の保証人にならなければならない理由はないし、正銀貨1枚は適切な対価だと思う。排水坑を掘るために、たくさんの鉱夫が雇われるだろうから、また朝の食堂をはじめてもよいだろう。

 支払ペイという贈物ギフトを呪いだと思ったのは、大きな間違いだったのだ。


 ベッドの中で、シェスと食堂の再開についてあれこれとはなしをする。

 6人のお客さんの朝食を用意するなら多めにつくって、また食堂を再開してもいいのではないかというと、シェスは泊りのお客さんに満足してもらうよう集中するべきだという。

 鉱泉に焼き石を入れて、温泉にすれば喜んでもらえるといえば、シェスは誰もが温泉が好きだとは限らない答える。たしかに、シェスはあまり鉱泉が好きではないようで、体を流すくらいしかしなかった。

 たわいのないことをあれこれとはなしていると、シェスがウトウトしはじめた。

 動物は、信頼する相手の近くでないと眠らないという。シェスは私を信頼してくれているのだろう。

 これが永遠に続けばいいのにとは思うが、決してそのことを願わない。

 支払ペイう代償のことを考えると、願うことはできない。

 今の幸せで十分だ。

 そのうちに、私も眠りに誘われる。

 今日と同じ明日がくることを信じて。

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