告白
どのように手に入れたかはともかく、正銀貨は正銀貨だ。
これでしばらくは食いつなげる。とりあえずは、
まずは薪と豆、安い腸詰を買っておこう。
香草はまだあったはずだ。
別に明日の朝でもかまわなかったが、人とは現金なもので、先立つものができると細々としたことが急に気になりはじめた。
ランプに灯をともし、台所にむかおうと階段を降りる。
その瞬間、地面が消えた。
なにがおきたのかわからなかったが、左の内ももに感じた痛みで我にかえる。
体が階段に沈んでいる。
なかなか状況を把握できなかったが、左足が階段の踏み板の中にめり込んでおり、左ももに体重がかかって痛みを生んでいることを頭が理解した。
「なんだこれ」
思わず口にだしてしまう。
大工のフォマオンさんが、階段の踏み板を全部かえた方がいいといっていたのに、お金を惜しんで最低限の交換しかおこなわなかった。あれが原因か。
上の段の踏み板に手をかけ、左足を割れた踏み板からゆっくり引き抜く。
見るかぎり怪我はないようだ。
もし金貨を望んでいれば、ここで大怪我をしたのだろうか。
この踏み板をなおすためには正銀貨1枚以上のお金がかかりそうだが、まったく泊り客がいないのでしばらくは2階を使わないようにすれば問題ないだろう。
シェスを捕まえたいと願い、それはかなえられた。
しかし、私がシェスを見捨てるという選択肢もあったはずだ。金貨より、シェスを選ぶということも、はじめから決まっていたのか。
あまり深く考えたくないことでもあった。私は死にたくないと願い、それはかなえられた。命への
そして、シェスを自分のものにしたいと願った。体が光り3度あの音が鳴ったから、願いはかなえられるだろう。だが
そのとき、人の気配で目がさめた。目の前にシェスがいて、笑顔で私の顔をのぞきこんでいる。
「おはよう、寝ぼすけさん。ところで、2階への階段っていつ壊れたの」
「君がここにくる少し前に、私が踏み抜いてしまったんだ。まあ、お客さんもこないから問題ないと思う。修理するお金もないからね」
じっと見つめられながら話すのが恥ずかしくなって、つい目をそらしてしまう。
シェスの私に対する気持ちも、
偽りの感情に支配されているのではないのか。
もしそうだとすれば、これは許されることなのだろうか。
神の与えた
「なに考えてるの、ぼーっとしちゃって」
甘えた声を出しながら、シェスが体を寝ている私の上に押しつけてくる。
柔らかくて、軽くて、触ると折れてしまうように華奢だ。
だが、ここではっきりと伝えておかなければならない。
「少しきいてもらいたいことがある」
真剣な私の表情に、シェスは体を離して部屋に一つしかない椅子に座った。
「私には
シェスは少し驚いたような顔をしたが、なにもいわなかった。
「その
本当にこのことを話すべきかどうか、少しだけ迷うが続けた。
「体で結ばれることができなくなってしまう」
シェスは目を伏せた。
「だから、そういう不完全な関係がおかしいと思うなら、あなたが去ることを止めることはできない」
二人のあいだの沈黙に耐えられなくなる前に、ことばをつなぐ。
「子どもをつくることもできないだろうし、あなたが不幸になるかもしれない」
「はじめから幸せなんてないよ」
シェスはポツリといった。
「3人の亭主にはつぎつぎ死なれ、なにも悪いことはしていないのに疫病神あつかい。この町に連れてこられるとき、手枷をつけられてるのを見られてるから。そのうえ皆から泥棒あつかい。仕事もなくて、飢え死にするか、体でも売るしかない。はじめから運には見放されてる。そんな私の前に、たった1本垂らされた細い縄があんたなんだ。見捨てるくらいなら、なんであのまま縛り首にさせなかったの」
深いところから絞り出すような低い声で、シェスはいった。
「見捨てることなんてできない。シェスが私を見捨てても、私があなたを見捨てるなんてことは絶対にしない」
突然、シェスは私に飛びかかり、私の頭を胸にかき抱いた。
「こういうのも、つらいの?」
なにがいいたいのかわからなかった。
「こういうのは―――」
私の頭を両腕で強く押さえつけ、叩きつけるように口づけをした。
「これは!」
両腕をわきの下に滑り込ませて、その華奢な体からは信じられないような力で私を抱きしめた。
「これもダメなの?」
なんとなく、シェスの考えていることがわかってきたような気がした。
「いや、別に触れただけで痛みを感じるわけじゃないよ」
急に抱きしめる力をゆるめ、上目づかいで私の顔をみるシェスと見つめ合う。
どちらからともなくクスクス笑いはじまり、最後にはゲラゲラと二人で大声で笑いあった。
「パンが半分しかなくても、全然ないよりはまし。それに、たぶん私は子どもが産めない体だと思うの」
ひとしきり笑ってから、シェスが優しい声でいった。
この気持ちが、
これからシェスを誰よりも幸せにすればいいんだ。
台所で私とシェスがイチャイチャしているのをみて、入ってきたベンユ爺さんが驚いた顔で固まる。
「シェスと私は一緒に暮らすことにしました」
「お、おう、それはよかったな。それより今日は仕事のことできたんだがいいか」
膝の上から降りたシェスが台所の方へむかう。シェスの姿が見えなくなったとたん、ベンユ爺さんが声をひそめて話しかけてきた。
「これはどういうことだ。昨日まであんなに険悪な雰囲気だったのに。それに大丈夫か、あの女はお前の金を盗んだんじゃないのか」
おなじように声を低くして、答える。
「すべてはヴィーネ神のお導きですよ。もう二度とあんなことはおこりません。それに、一緒に暮らせば、あのことは全部夫婦の痴話喧嘩ってことになるんじゃないですか」
ベンユ爺さんはなにかいいたそうだったが、シェスが酒と水差し、木のコップを持ってきたので口を閉じた。
「それで、仕事の話でしたよね」
「そうそう、知り合いが銅山で人夫をさがしておった。日当は銅貨1枚。やる気があるなら紹介するがどうだ」
銅貨1枚だと2人でギリギリ食べていけるかどうかという金額だが、とりあえず収入がないよりはいいだろう。どんな仕事なのかをきいてみる。
「鉱山は深くなればなるほど、地下水が底にたまって掘れなくなるらしい。そこで人夫を入れて水をくみだす仕事がある。誰にでもできるがキツイ仕事らしいぞ」
「背に腹はかえられない。ぜひお願いします」
ベンユ爺さんはうなずき、今日のうちに話を通しておくので、明日の4の鐘の時間までに西鉱山入口前にいくようにといい、今日は鉱泉に入らず出ていった。
「水のくみ上げはかなり疲れる仕事らしいよ。病み上がりなのに大丈夫なの」
シェスが心配そうにため息をつく。
「二人分の食い扶持を稼ぐんだから、せいぜいがんばるよ。無理だったらほかの仕事を探すことにする」
誰かのために生きるということは、一人で生きることよりずっと大変だが、ずっとやりがいがある。
しかし、幸福な時間はそう長く続かなかった。
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