支払

 シェスは道の真ん中に突っ立って、こちらのほうをじっと見ていた。入口から私が姿をみせると、ずかずかとこちらのほうへ近づいてくる。

 昨日とおなじ薄汚れた服のままであったが、シェスは美しかった。


 「なんで私を助けたの。あのまま放っておけばよかったのに、なんで? 私に恩をきせて、どうするつもりなの」


 「別に、恩をきせるつもりはないよ。好きだった人が縛り首になったら寝起きが悪くなるし、そんなことには耐えられないだけだ」


 「それに、どうやって私を釈放させたの」


 「そもそも盗られたお金がなければ、泥棒は起こりようがないってことだよ。金貨はなかった。だからあなたも釈放された」


 「それは代官にヴィーネ金貨を渡したってこと?」


 「さあね。すべては自分のためにやったことだから、あなたは気にしなくっていい。お金なんてなくても、親にもらったこの体があるから、男一匹食うには困らないよ」


 「でも――だって――」


 シェスの表情は、怒っているのか泣いているのかわからない複雑なものになっていた。


 「気にしなくていい。勝手にやったことだから、あなたはあなたの人生を送ればいい。お互い恨みっこなしだ」


 私はにっこり笑った。シェスを困らせてやったことと、自分が今回の出来事で一皮むけたような気がしたからだ。女性と話すたびにオドオドしていた頃とは大違いだった。

 偽善者、と大きな声で叫び、シェスは店の前から立ち去る。

 私はぼんやりと、その後ろ姿を見送った。ふと振り返ると、入り口にはベンユ爺さんが立っている。


 「追わなくてもいいのか」


 笑顔でうなずき、ベンユ爺さんの脇を通って宿屋にはいった。


 昼の豆の残りを夕飯とし、油がもったいないので暗くなるとすぐに布団にはいる。

 鉱山の仕事があるかどうか、明日にも返事がもらえるはずだ。畑仕事以外の経験はないが、鉱山の仕事が鋤や鍬を扱うようなものなら、慣れるのも早いだろう。

 ウトウトとしはじめたとき、裏口をドンドンたたく音がして目がさめた。

 階段を降りるときに中ほどの大穴に落ちそうになるが、手すりにつかまって事なきを得た。泊りのお客さんだろうか、それとも――。

 裏口の前までいき、こんな時間にどちら様ですかと声をかける。


 「わたしよ、シェスティンよ」


 あわてて台所にもどり、ランプを手に裏口を開けると、そこにはシェスが立っていた。


 「こんな夜にどうしたの」


 「中に入れてもらえない。話があるの」


 シェスを中に招き入れ、台所の油皿にも火をいれた。暗かった室内が少しだけ明るくなり、二人の顔を黄色く照らす。

 なにを話していいかわからずに、黙っているとシェスが口をひらく。


 「あんた死のうとしたんだって?」


 なんと答えてよいかわからなかった。

 朱に染まった鉱泉。

 薄れていく意識。

 死にたくないと願ったこと。

 まだ10日もたっていないとは信じられない。

 黙ってうなずく。


 「なんで死のうとしたの。有り金全部盗まれたから?」


 「好きだった人に、裏切られたからだと思う。いままでの私は、本当の意味で誰も好きになったことがなかったし、それを誰かに伝えることもなかった。生まれてはじめて、誰かを幸せにしたいという気持ちは本物だった。嫌われるのは仕方ないし、あきらめもつく。しかし、お金を盗んで逃げるほど嫌われていたのがショックだった。もう生きていてもしかたないと思ったんだ」


 「4人目にならなくてよかった」


 シェスがぽつりといった。そのことばの意味はわかっていたが、なにもいわずにシェスを見つめた。


 「放免されても、町のみんなは私があんたのお金を盗んだのを知ってるから、誰も相手にしてくれない。仕事もない。私の命を助けたつもりかもしてないけれど、このままだと飢え死にするしかないの」


 「助けてあげたいけど、すっからかん――」


 シェスの唇が話を遮った。


 「あんたの責任よ。責任取りなさい。私を養う義務があんたにはある」


 シェスの口づけが私に返事を許さなかった。私は柔らかなシェスの体を思いっきり抱きしめる。

 ああ、こうなることはわかっていた。だが<支払ペイ>はなんだ?


 3の鐘が鳴ったので目を開く。けっきょく眠ることはできなかった。

 私の左腕を枕にして、シェスが眠っている。

 腕を動かす起きてしまいそうなので、我慢しているうちに左腕の感覚がなくなってきていた。

 なんとか腕の位置をずらそうとしているうちに、シェスが目をさます。


 「ん、おはよう」


 眠そうに目をこする動きに合わせて左手の位置を少しずらすと、腕に血液が流れはじめてチリチリと痛い。

 掛け布団が少しずれて、シェスの形のいい乳房が目に入ってドキドキする。


 「鉱泉に入ってもいいかな」


 私がうなずくと、シェスは布団を出て一糸まとわぬ姿で扉にむかった。

 その後姿に、つい視線をおくってしまう。


 「昨日のことは気にしてないから。男の人は疲れてると、時々あるんだって。あなたも気にしないで」


 ドアの手前で振り返ったシェスの白い裸体がまぶしい。

 あいまいな笑顔をかえすと、シェスが出ていくのを見送る。


 シェスの姿が見えなくなった直後から、自分の局部が元気さを取り戻す。

 これが支払ペイという贈物ギフトの力なのか。

 私は願い、シェスの心を手に入れた。

 しかし、それに対する支払ペイは、シェスと肉体的に結ばれることができないということ。

 もちろん、緊張しすぎたということが原因であるかもしれないが、なぜかそうではないという確信があった。

 女性と同衾するというかつてない緊張から解放され、少し寝ておこうと目を閉じるとウトウトする。


 夢の中で私は、2階の自分の部屋にいた。

 ある仮説を試そうと試行錯誤中だ。


 「お金が欲しい」


 なんの反応もない。そういえば、これまでの3回とも声に出して願ったことはなかった。

 頭の中で、もう一度お金が欲しいと願う。また、なんの反応もない。

 自分では意識していないが、心の底からの願いではないのかもしれない。

 方法をかえてみることにする。


 正銀貨を1枚欲しい。


 これもダメだ。もっと真剣に。

 薪のことは考えず、食材費だけでも手持ちのお金ではあと15日も持たない。鉱山の仕事があればいいが、なければ本当に飢え死にしてしまう。せめて正銀貨の1枚でもあれば、仕事を見つけるまで食いつなぐことはできるはずだ。正銀貨があれば、正銀貨の1枚でもあれば!

 その瞬間、暗い部屋に黄色い光が満ちはじめた。

 こんな簡単に。こんな簡単なことで贈物ギフトが発動するのか。

 しかし疑問も残る。

 いままでの人生で、なんども心の底から願ったことはあった。

 飼っていた犬のピピが死んだとき、朝まで冷たくなった体を抱きしめて、生き返ってほしいと願ったのは嘘ではなかったはずだ。

 大好きだったおばあさんが死んだとき、どんな代償でも支払うから生き返ってほしいと願ったが、なにもおきなかった。

 なぜあの時に贈物ギフトは発動しなかったのか。

 その時、入口の扉になにかの影がチラチラしているのに気がついた。

 ちょうど、金属に光が当たって反射したような影が。

 光っている自分の体と、扉の影の位置関係から反射している場所を探す。

 窓の下に光っているものがあるようだと見当をつけたとき、体から光が消える。

 いそいで窓際に近寄ると、そこに正銀貨が1枚落ちているのを見つけた。

 毎日掃除はしていたが、たしかに自分の部屋の掃除はあまりしていなかった。

 しかし、心当たりのない正銀貨が部屋に落ちているなんてありうるのだろうか。

 自分が落とす以外、この部屋に正銀貨が落ちている可能性はない。

 自分の贈物ギフトが、願いをかなえるものであることへの確信はますます高まった。

 問題は、なにを支払ペイするのかということだ。

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