牢獄にて
シェスが乗った馬車が到着したのは、ちょうど昼を少しすぎたころだった。
どこからききつけたのか、やじ馬が代官所のまわりに集まってきている。
馬車が代官所の前に止まり、なかから木の手枷をつけられたシェスが降りてくる。顔はやつれ、いつも清潔さだけは保っていた服も薄汚れた感じだった。
シェスはこちらに気がついたのか、一瞥するとプイッと反対のほうを向いてしまい、そのまま代官所のなかに連れていかれた。
このあと裁判になり、無罪を証明できないかぎり縛り首になる。そしてシェスはまちがいなく有罪だ。
代官所の役人には、ベンユ爺さんが話をつけてくれているので、今日の夜にでもシェスと話すチャンスがあるはずだった。私はどうしたいのかわからなくなったが、シェスが縛り首になることが自分の望みでないことはわかっていた。
あたりがすっかり暗くなってから、代官所の裏口を叩く。
約束どおり、中から閂が外され、腰に剣を帯びた武官の男が中に入れてくれた。
「あまり時間はない。俺の見張り番の間だけだから、合図をしたら出ていってくれよ」
黙ってうなずき、武官の後をついていく。
牢獄は地下で、入り口の扉をくぐると排せつ物のにおいが漂っていた。
薄暗い通路を奥に進むと、つきあたりの部屋の前で武官は鍵を取り出し、ガチャガチャという音を立てて鍵を開けた。
「殺すなよ。殺されると見張りの俺がこまる。あと、多少の悲鳴はかまわないが、あまり大きな声を出させるな。顔もできるだけ殴らないでくれれば助かる」
武官は、私が恨みを晴らすためにここにきていると思っているようだ。一刻でもはやくシェスに会いたいので、特に返事をせずに部屋にすべりこむ。
独特の異臭をはなつ、魚油ランプの薄暗い灯りがチラチラ揺れる部屋の中にシェスはいた。
外から閂がかかり、鍵を閉める音がして武官が立ち去る。
部屋に入ってきた私を見たシェスは、一瞬ギョッとしたような表情をみせたが、すぐに目を伏せた。
凍りついたような沈黙が、あたりを支配する。
「私に仕返ししにきたの」
シェスは顔を上げて、ぽつりとつぶやく。
「別に仕返しなんて考えてない。知りたかったんだ、なぜ君がお金を持って逃げたのかを」
真正面から私の目を見るシェスの視線に耐えられず、私は目をそらしてしまう。
「なぜかって? 仕事場のキモイオッサンが体目当てにいい寄ってきたので、有り金全部盗んで逃げただけ。ざまあみろ」
ことばは、ときに刃物よりも容易に人の心を傷つける。しかし、きいておかなければならない。
「ひとつだけ、きいておきたいんだ。あなたは、お金目当てで私の食堂で働くことにしたのか―――」
さえぎるようにシェスはいった。
「あんな大金があるなんて、知るわけないよ。女一人でまともに暮らしてくのが、どれだけ大変か想像できる? このさびれた町で、食事と決まった給金がもらえる仕事があったから応募しただけ」
「じゃあ、はじめはお金を盗むつもりなんてなかったんだね」
「あんたが私に、宿の部屋を掃除しろっていいだしたとき、あんたの部屋を掃除してたら見つけたんだ、あの金貨を。はじめは盗むつもりなんてなかった。あんた真面目そうだったし、店がヒマでもきちんと給金を払ってくれた。だから私も金貨のことは考えないようにしてた」
シェスは一息ついて続けた。
「でも、突然結婚してくれとかいいだして、あんたも私の体を狙ってるそのへんの男と変わらないことがわかったんだ。仕事を与えて、頼らせて、断れない状況にして結婚してくれとか、脅しと同じだよ」
「そんなつもりはなかった。もし勘違いさせたなら謝る。女性を好きになったことなんて初めてだから、よくわからなかっただけなんだ」
「ふん、いい歳したオッサンが初恋だって? 笑わせるんじゃないよ。どうせあたしはここで縛り首になるんだ」
「じゃあ、縛り首にならないで済む方法があるといったらどうします」
シェスがハッと息をのむのがわかった。
なにかをいいたそうな表情でこちらを見るが、自分からことばを発することはない。
「夫婦のあいだの出来事には、おたがいの合意があれば、罪を軽くすることができるという法律があるそうです。あなたと私が結婚していたなら、それほど重い罪にはならないと思います」
「でも、あんたと私は結婚なんて―――」
「結婚していたことにすればいいんです。正式なものでなくとも、二人が実は結婚していたといえばそれでいい。たったそれだけのことで、あなたは縛り首にならないんです」
ことばが牢獄の壁にしみこんだころ、シェスは突然ケタケタと大きな声で笑いはじめた。
「金で私を自由にできなければ、今度は命をカタに私を自由にするつもりかよ。お前のいいなりになるくらいだったら、縛り首になるほうがマシだ。スケベじじい! はやくここから出ていけ。それとも力ずくで私をものにしようとするのか?」
釈放されたあとに、シェスを結婚の名のもとに縛りつけるつもりもなかったし、お金でいうことをきかせようというつもりもなかった。
ただただ悲しかった。
私は、シェスが縛り首になるのをみたくないだけだ。
金貨20枚は、昔の生活のことを思えば途方もない大金で、それを失ったことへの失望で私は自分の命を絶とうとまでした。しかし、こうやって助かってみると、お金なんてくだらないもので、働けば自分の飯代くらいは稼げることに気がついた。それにこの町唯一の宿屋は自分のもので、雨風をしのげて安心して眠れる場所があるのに、なぜ死ぬ必要があったのか。自分の愚かさに気がつくことができたことを、ヴィーネ神に感謝した。
「なにしてるんだい。あたしもタダではやらせないよ。指くらいかみちぎってやるから、覚悟してきな」
毒づくシェスをみて、なぜか涙があふれてきた。
惚れたものの弱みか、これほど嫌われてもシェスを憎むことができなかった。
シェスを抱きしめたかった。守ってあげたかった。そして自分のものにしたかった。それができるなら――。
チキチン、チキチン、チキチン。
おもわず振り返るが、後ろには音のするようなものはなにもない。
音のことをきこうとするが、驚きの表情で私をみつめている姿をみて、自分の体がまた黄色く発光していることに気がつく。
「あんた魔法を使ってるの」
シェスは、おびえたようにこちらをみていた。
違う、といいたかったが、ドアをノックする音でさえぎられた。
鍵を開ける音がして、すぐにドアがひらかれる。
「次の見張りが早めに出勤してきた。すまんがはやく出てくれ」
体からの光はすでに消えていた。シェスに背を向けると、牢獄をでていく。
ある決意を胸にして。
翌朝、ベンユ爺さんとともにメコアの代官ネドのところへむかった。
代官所の入口でベンユ爺さんが取次ぎを頼むと、ほとんど待たされることなく奥に案内される。
「おはよう、ベンユ殿。そしてロワさんだったかな」
普段より何倍も丁寧にあいさつし、すすめられるまま椅子にすわった。
ベンユ爺さんが、なぜ代官にこれほど顔が利くのかはわからないが、頼りになることはたしかだ。
しばらく天候の話などがかわされたあと、ベンユ爺さんが今日代官所をたずねた理由を語りはじめた。
「ニカン・ネド様。じつは、このロワがネド様にぜひ頼みたいことがあるというので、お時間をいただきました」
代官はチラリと私をみて、爺さんに話の続きをうながした。
「単刀直入にいうと、このロワから金を盗んだシェスティンという女の罪を許してもらいたいのです」
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