初心

 最後まで話をきいて、ベンユ爺さんはうなずきながらいった。


「やはり毒婦だったな。だから忠告してやったのに、ころっとダマされおって、ほんとうに初心うぶな男だな」


「人を好きになった経験がなかったんです。それほど悪い人には見えなかったし」


 爺さんは首を横にふりながら、あきれたような表情をしていた。


「あんた今年でいくつになる。まあ、お前のような初心な男はいいカモだっただろう。それにしても、ヴィーネ金貨20枚とはあの女、いまごろ笑いが止まらんのではないか」


「おかげで私はすっからかんですがね」


 突然、ベンユ爺さんは大きな声で笑いはじめた。

 人の不幸を笑われたようで一瞬ムカッとしたが、邪気のない笑い声はこちらにも伝染した。


「女にダマされるのは、男の甲斐性だぞ。やっとお前さんも男の仲間入りだ。今度はいい嫁をみつけることだな」


「でも、お金がないので宿屋は終わりです。嫁を見つけるどころではありませんよ」


 これからのことを考えると、せっかくの笑顔がかげりはじめる。


「まあ、食堂なんてものをやらなければ、爪に火を点すような生活になるだろうが暮らしていけなくはないはずだ。なんなら鉱山に働きにいくという手もある。留守番くらいならワシがやってやるぞ」


 鉱山で働いた経験はないが、もともと体を動かすのは嫌いではないし、人付き合いよりは気楽かもしれない。


「でも、メコアの銅は尽きたんじゃないんですか。まだ銅がとれるなら、この町もこんなにさびれてないはずだと思うんです」


「もちろん、銅がバカみたいにとれる時代は終わったが、掘って銅がでないわけじゃない。仕事のわりに儲からないのと、そのための危険が大きいだけだ」


 それは鉱山としての終わりではないだろうかと思うが、メコアの町が消えていない理由でもあるのだろう。

 少し真剣に鉱山で働くことについて思いをめぐらせていると、さきほどまでは笑っていたベンユ爺さんが真剣な表情でいった。


「それは元気になってから考えればいい。ところで、金を盗まれたことを代官所に訴えたほうがいいのではないか。ひょっとすると女が捕まって、いくらかは戻ってくるかもしれないぞ」


 すでに7日はすぎている。それとも8日だったか。

 きっと、誰も知り合いがいないような遠くに逃げ出しているだろう。それに、自分の恥を代官所に訴えでるなんて、恥の上塗りになるような気もする。

 しかし、なぜ逃げたんだ。私が嫌いなら、そういえばいい。告白が気持ち悪かったなら、そういってくれればよかった。

 それともはじめから、金が目当てだったのか。

 シェスのことを考えていると、心の底からどす黒い怒りの感情がこみあげてくる。シェスをぜひ捕まえてほしい。私の前につれてきてもらいたい。

 そう思った瞬間、また頭の右後ろから音が聞こえた。

 チキチン、チキチン、チキチン。

 思わず振り返るが、ベッドの後ろはすぐに壁で音が鳴るようなものもなかった。私がきょろきょろしていると、ベンユ爺さんが不思議そうにこちらを見つめていた。


「ベンユさん、いま音がきこえませんでしたか。チキチンチキチンって、お祭りの鉦のような音が―――」


「音か。なんの音だ。それよりお前の体が黄色く光ってるぞ。なんだその光は」


 両手をみると黄色い光が、まるで湯気のように立ち上っていた。

 なんだこれは。

 テキンさんが回復術を使うときの光に似ているような気はするが、あの時のように体に力が流れ込んでくるような感覚はない。光はしばらくすると消えてしまった。

 ベンユ爺さんは不思議なものをみるような目でこちらをみていたが、思い直したようにいった。


「なんだったら、ワシが代官所にいってくるがどうだ」


 反応からすると、あの音はきこえていないようだった。

 死にかかったことへの後遺症で、私の耳がおかしくなったのだろうか。

 考えることはいろいろとあったが、いまするべきことはひとつだ。



「おいおい、あの女が捕まったそうだぞ」


ベンユ爺さんは部屋に入ってくるやいなや、興奮した様子でいった。

 意識が戻ってから、まだ3日しかたっていないというのに、あまりにも早い展開に驚く。

 やっと昨晩から、普通のものを食べることができるようになった私は、まだまだ本調子とはいえない体をベッドの上でおこし、シェスがどこでどんなふうに捕まったのかをたずねる。


「くわしいことはわからんが、なんでもシウテルムで、身分不相応な大金を持っているということで拘留されておったらしい。代官所に金を盗まれたことを届け出たときに、その話をきいておったシウテルムからきた役人が、捕まっていた女のことを思い出したそうだ」


 シウテルムは乗合馬車で着くはじめの町で、なぜそんな近くでシェスがぐずぐずしていたのかはわからなかった。

 やはり悪いことはできないものだ。天罰は遅いが必ず下るというが、今回は早かったわけだ。


「それで、シェスはどうなるんですか」


「おそらく、このメコアまで連れてこられて」ベンユ爺さんは、ちらりと私の顔をみて続けた。「縛り首になるだろうな」


 ヴィーネ金貨1枚盗めば死刑というのは誰でも知っている。

 しかし、なぜかシェスが死刑になるということは、少しも考えていなかった。私はシェスが縛り首になることを望んでいたのだろうか。


 昔、両親につれられて、罪人が縛り首になるのを家族で見にいったことがある。

 町の広場には絞首台がつくられ、近隣の農村からもたくさんの見物客が集まってきていた。食べ物を売る屋台がいくつも並び、父に飴を買ってもらったことを覚えている。人が多すぎて3人の男たちの表情までみることはできなかったが、首に縄をかけられて、刑吏に足をのせていた台が蹴り飛ばされると歓声があがったことはよく覚えている。

 人が少なくなった後、家族で絞首台にぶら下がっている3人の男たちを近くまで見にいった。

 顔は苦痛に歪んでおり、ズボンには染みができていた。


 シェスの首に縄がかけられ、足もとの椅子が蹴り飛ばされて、皆が笑いながらビクビク痙攣するシェスの姿をみて歓声をあげる様子が脳裏に浮かぶ。私はそんな姿をみたいのだろうか。


「シェスがこちらに着くのはいつごろなんですか」


「さあ、数日か数週間か、あるいは数か月か。代官所にきけばわかるかもしれん」


「ぜひ、きいておいてもらえませんか」


 真剣な私の表情をみたベンユ爺さんは、黙ってうなずいた。


「それよりメシの支度をするから、なにか食いたいものがあれば教えてくれ」


 あれだけ血を流したというのに、数日で普通の食事ができるようになった自分の回復力に驚いていた。

 食事の話をきくと、苦痛なほど自分が空腹であることを思いだす。シェスのことが気がかりではあるが、体が食べ物を求める激しさには驚くばかりだった。


「じゃあ、前に食べた豆を煮たものをお願いできませんか。できれば塩を少なめにお願いします」


「少し時間がかかるが、かまわんか」


 問題ないとこたえると、ベンユ爺さんは部屋を出ていった。

 ひとりになったので、なんとなく左手首をみてみる。傷跡がなくなっていた。これは回復術の効果なのか。

 テキンさんが回復術を使ってくれたのは、風呂場から連れ出された直後と、意識を失っているとき、意識が戻った時の3回。

 その時にはまだ、左手首に傷が残っていた。

 そもそも回復術で傷跡は消えるものなのか。わからないことは多いが、今はたくさん食べて体力を回復することに専念しかった。


 シェスがメコアにもどったのは、3日後だった。

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