鳥は飛び立った


 まずこみあげてきたのは怒りだ。

 私はいままで、シェスは好きでもないオッサンに結婚をせまられ、しかたなく逃げ出した被害者だと思っていた。

 しかし、はじめから金が目的であったなら、だまされたのは私である。

 オッサンの純情が踏みにじられたのだ。

 念のため、もう一度外した引き出しの下を確認するが、金貨はなくなっていた。

 もちろん、シェスはなにもしていないかもしれない。もし、なにもしていないなら家にいるはずだ。

 とりあえず、あるだけのお金を財布に移し、食堂に降りて鐚銭びたせんを集める。

 肉屋の店員には、銀貨1枚、銅貨11枚、鐚銭7枚をきっちり渡し、待たせたことを詫びた。

 メニューをかたづけて、玄関の扉を閉め、足早に代官所のほうへむかう。シェスの住まいは代官所の北にある、むかしたくさんの鉱夫達が住んでいた長屋だときいていた。


 はじめて訪れる場所のうえ、同じ建物がたくさん並んでいるのでどこにシェスが住んでいるのか、見当もつかなかった。しかたないので、道をあるく老人にシェスの家をたずねる。


「シェスティン。ああ、シェスティンか。あんたシェスティンになんのようだ」


 老人がうろんな目で私をみるので、赤銅亭で働いてもらっていること、数日前から休んでいることなどを話した。


「ああ、そういえばシェスの嬢ちゃんが、宿屋で働きはじめたという話をきいたな。この通りをまっすぐいって、52番というのがシェスティンの家だ」


 礼をいって、52番の表札をさがす。

 49、50、51、52、ここだ。

 入口の横には植木鉢が置いてあり、赤い花が咲いているが、心なしかしおれているようにも見えた。

 ドアをノックして、シェスをよぶ。


「シェスティンさん! シェスティンさん! 赤銅亭のロワです。シェスティンさん」


 心がはやり、大きな声を出してしまう。

 しばらく呼び掛けても、反応はない。念のため、ドアを引いてみるがかんぬきがかかっていて開かない。

 ドアを蹴破ってでも中に入るべきか逡巡していると、53番のドアが少し開いて、中から人がこちらをうかがっているのが見えた。


「あ、すいません。シェスティンさんに用があるんですけど、どこに行ったかわかりませんか」


 ドアの隙間から見ている人に声をかける。


「赤銅亭の主人のロワといいます。シェスティンさんが急に宿屋の仕事にこなくなったので、心配してるんです。なにかご存知ありませんか」


 ドアが開き、年配の女性がでてきた。


「突然姿が見えなくなったので、ひょっとしたら病気やケガで動けなくなっているのではないかと思うんです」


 はじめ怪訝そうな顔をしていた女性は、あまり関わり合いになりたくなさそうではあったが、私の必死の形相をみて話してくれた。


「シェスティンさんなら、3日ほど前の昼すぎに大きな荷物を持って出ていきましたよ。昨日も一昨日も姿をみなかったから、最近働きはじめたあんたの宿屋に住み込みにでもなったのかと思ったんだけど、違うのかい?」


 全身から力が抜けた。

 3日待てというのは、金貨を盗んで逃げだすまでの準備が必要だったからに違いない。

 もし、この町から逃げ出したのであれば、その手段は一つしかない。

 年配の女性がなにかをいっていたが、そのことばは私に届かなかった。


 代官所の向かいにある乗合馬車の発着所に、とぼとぼと歩いていく。

 待合所を掃除していた男性に、前回乗合馬車がきたのはいつかたずねた。


「3日にごとに馬車は出てるから、前回というと3日前かな」


 予想通りのこたえがかえってきた。

 シェスの風体を説明し、その馬車に乗っていたかを確認する。


「そういえば、女一人で乗合馬車に大荷物もって乗ってきた女がいたような気がするな。あんたの嫁さん?」


 男は冗談でいったようだったが、私の意気消沈した様子を見て軽口をやめた。

 家に帰ろう。楽しい思い出のある我が家に。

 その思い出が、嘘で固められたものだとしても。


 重い足取りで家にむかう。

 もうすべてのことが、どうでもよくなった。

 贈物ギフトなんていうものがなければ、実家を離れることもなく、毎日同じことを死ぬまで繰り返す単調な生活がおくれただろう。広い世界を知っても、いいことはまるでなかった。


 赤銅亭に戻ると、表の扉が少し開いていた。あわてて中に入って叫ぶ。


「シェス!」


 しかし返事はない。

 食堂に入ると、奥の鉱泉から鼻歌がきこえる。

 ベンユ爺さんか。

 シェスのわけはなかった。

 しばらくすると、ベンユ爺さんが手拭いで体を拭きながらでてくる。


「なにか大きな声がしたが、なにかあったのか」


 問いかけに、なにもなかったとこたえた。


「ここ数日、あんたの顔色が悪いがなにかあったのか」


「べつになにもありませんよ」


 ベンユ爺さんは、またなにかをいいたそうにしていたが、なにかを察したように口をとじた。ここでいろいろときかれると、怒りが爆発したかもしれないが、空気を読んで根掘り葉掘り質問しない気づかいに感謝する。

 水差しから木のコップに水を注ぎ、ゴクリゴクリとうまそうに水を一杯飲むと、ベンユ爺さんはなにもいわずにでていった。


 また一人だ。

 二階の自分の部屋にもどり、暗くなってきたので灯りをつけた。

 財布と引き出しの中のお金を、すべてベットの上に出し、どれくらい残っているか調べる。

 正銀貨15枚、鐚銭びたせん数枚。ヴィーネ金貨はなかった。切り詰めれば、男一人で一年くらいは暮らせるだろう。

 母親は、金のないのは首のないのと同じといっていたが、私の首は皮1枚でつながっているようなものだ。

 食堂の売り上げは微々たるもので、宿を使う人はいない。このままだと、ジリジリと貧しくなるだけだ。

 もういっそのこと死んでしまおうか。ふいに、死のことを考える。

 私の贈物ギフトがなければ世界を滅ぼす魔竜が殺せないというなら、自分で死を選ぶということは世界を道連れにできるわけだ。

 少しだけ心が軽くなる。

 せめて、自分の最後くらい自分でどうするか決めたい。

 首吊りはどうだろうか。息が苦しそうで辛そうだ。

 川に飛び込むというのはどうか。泳ぐのは得意なので、絶対に溺れない自信がある。

 ふと、何度も繰り返し読んでいた、子ども向けの「フェーウン物語」という本を思い出す。

 主人公の敵役である伯爵が、悪事が露見して風呂につかって剃刀で手首を切るというシーンを。

 眠るようにこと切れた伯爵を見つけた主人公が、悪人にはもったいない最後だといって遺体の瞼をとじる最後のシーンが好きで、同じ本を何度も何度も繰り返し読んでいた。

 風呂の中で手首を切ると、眠るように死ぬことができるらしい。

 決めた。

 その夜はまんじりともせず、天井をながめてすごした。


 2の鐘が鳴ると、いつもより早くスープの支度をはじめる。

 かまどには、いつも以上の薪を入れガンガン燃やす。

 鉱泉の入り口の横にあった丸い石を食堂に運び込み、汲み置きの水でさっとすすぐ。

 50個ほどある石を運び上げるのは、なかなかの骨だった。

 ベンユ爺さんいわく、この石を3時間ほど熱した後に鉱泉に入れれば、温度があがって風呂になるらしい。

 洗ってまだ湿り気の残る石を、かまどの下の方に放り込む。

 使ったことのないパン焼き用の窯に火を入れ、平らな部分に石を並べる。

 そうしているあいだに3の鐘が鳴った。

 石が温まるまで、時間はまだまだかかるはずだ。

 いままでのお礼に、今日のお客さんには朝食を無料で食べてもらおう。

 食材を残しておいてもしかたないことに気がつき、スープに猪肉を追加しようかと思ったが、いまからだと火が通らないかもしれないと考え直す。

 宿屋も食材も、ベンユ爺さんに残していこう。

 かまどと窯に火をくべているので、台所いると熱気で汗が止まらなかった。

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