暇を持て余す
「ああ、暇だなぁ」
誰も話し相手がいないので、最近独り言ばかりいうようになった。
ベンユ爺さんは今日も鉱泉につかりにきているが、鉱泉からあがるとすぐに帰ってしまう。食事は息子夫婦とともに食べるということで、宿屋の主人になってからいつも一人で寂しく食事をしている。繁盛している宿屋であれば、それはそれで困ったかもしれないが、ここまで暇だと逆に手持無沙汰でつらい。
当分の間は、仕事をしなくても食べていけるだけの蓄えはある。ボロボロだった宿屋の屋根を修理し、雨漏りがなくなったので、二階の部屋を使えるようにするために階段も新しくした。
大工のフォマオンさんは、たしかにいい腕をしており、10日ほどで屋根と階段と食堂の床板を新品のように仕上げてくれた。ヴィーネ金貨3枚の出費分の価値はあったが、お客さんがこないのであればすべて無駄金になってしまう。
「あー、いい風呂だった。いっぱい水をおくれ」
ベンユ爺さんが手ぬぐいで顔をふきながら、食堂に入ってきた。
勝手知ったる他人の家ではあるが、ある程度の遠慮はしているようだ。
水差しから木のコップに水を汲んで、わたす。
この時期だと鉱泉は少し冷たく感じるはずなのだが、ベンユ爺さんはなぜか額から噴き出す汗をなんども手ぬぐいでぬぐっていた。
おいしそうに水を飲み干すと、コップをテーブルに置く。
「なにかお困りかな?」
ニヤニヤしながら、ベンユ爺さんが尋ねてきた。
「ベンユさん、だいたい一年で何人くらいこの宿屋にお客さんがくるんですか」
率直に質問してみる。
「毎年、春先には領主様の徴税官様一行が10日くらいは泊りに来なさる。あとはメコア鉱山で一旗あげようとして訪ねてくる物好きが何人かおるな」
「昨年の売り上げは?」
「正銀貨8枚くらいかな」
「その売り上げで、どうやって暮らしてたんですか。一年に湯元に正銀貨1枚、間口税が正銀貨1枚必要なんですよね。それを差し引くと一年で正銀貨6枚しか残らないじゃないか」
少し強い言葉で、ベンユ爺さんを問い詰める。
「息子夫婦の世話になってるといったと思うが、いってなかったかな」
そういわれてみれば、そういう話もきいた気がする。
自分の城を持つということに舞い上がってしまっていたことも事実だ。
なぜかしょんぼりしているベンユ爺さんに、後ろめたさを感じてしまう。
泊まりに来るお客さんのために、ある程度の食材を買い込んでおかなければならないこともあり、ここ一か月ほどで食料費が銀貨5枚ほどになっている。このペースだと、あと7年で貯蓄はつきることになる。
なにより、来客のために用意した食材が一人では食べきれず、腐っていくことがもったいない。食材を無駄にしないために、少し前から考えていた計画をベンユ爺さんにうちあけることにした。
「ところで、食材を無駄にしないように、食堂を開放して軽い食事と酒を提供するしようと思っているのですが、どうでしょうかね」
頼られたことに気を良くしたのか、ベンユ爺さんは少しだけ笑顔を取り戻して答えた。
「酒を出すのはやめたほうがいいかもしれんな。酒場は、顔役のヤントリュさんがやっとるからもめ事が起きるかもしれん。飯屋をやるのは悪くないが、外で飯を食う人間がこの町にどれだけいるかな」
自分の家以外で食事をするのは、大都会以外ではとても贅沢なことである。この寂れた町にどれくらいのお客さんがいるのかはわからないが、このままではヒマでヒマで死んでしまいそうだ。
「しばらく試してみて、ダメならすぐにやめますよ。一人だといろいろ手が回らないかもしれないので、試しに手伝いの人を雇ってみるのはどうでしょう。どれくらいお金を払えばいいと思いますか」
「誰かを雇うと、払うもの払わなくちゃならんようになるから、あんまりおすすめはしないな」
ベンユ爺さんは食堂の椅子に腰かけ、手拭いを首にかけていった。
「わしがこの赤銅亭を30年もやってこられたのは、だれも雇わず、全部自分でやってきたからだぞ。まあ10年ほど前までばあさんがおったが、ばあさんには給金払わんでよかったからな。もっと前には人を雇っておったこともあったが、あのころはこの宿屋もそれは繁盛しておった」
遠くを見るような目で、賑やかなりし頃の赤銅亭を思い出しているベンユ爺さんは、すこしさみしげな顔をしていた。
「もめ事になるのはいやだから、酒は出さない。とりあえず試しにひと月だけ。それだったら大丈夫ですよね。誰か手伝ってくれそうな人に心当たりありませんか?」
「わしじゃダメか?」
「誰も手伝ってくれないのであれば、お頼みするかもしれませんが、いろいろな人とふれ合って町に馴染みたいのもあるんです」
「だったら表に張り紙をしておけばいい。このあたりは仕事がないから、メシ付きで月に銅貨30枚も払えば人が集まると思うぞ」
「張り紙ですか。その、実は、あの、字が不得手なもので張り紙を書くのをお願いできませんか」
もともと、ただの農家の次男であった私は文字が読めなかった。魔竜を滅ぼす旅に出る前、文字が読み書きできないと困るだろうと、はじめて教わったのだ。旅の途中も子供が読むような簡単な本を何冊か持ち歩き、難しい言葉こそわからないが、簡単な内容ならある程度は読めるようになった。しかし書く方はだめだ。金釘流の殴り書きでは、従業員にバカにされてしまう。
「ひょっとして、あんた読み書きができないのか」
ベンユ爺さんが真顔で尋ねる。
「いや、読む方はなんとか大丈夫なんですが、書くのが苦手で」
「ならよかった。売り上げ、支払いの帳簿をきちんとつけることこそ、どんな商売をやっていく上でも肝要だ。どんぶり勘定では、どんな店も長くは続かんぞ。よければ帳簿のつけかたも教えてやろうか」
自分の宿屋なのだから、どんぶり勘定でもいい気はするが、何事も勉強だと思いお願いすることにした。
「だったら張り紙とあわせて、正銀貨1枚な」
爺さんにいくらむしり取られるのかわからないが、いつも取られた金額以上のことを学べたことは確かだ。財布にしている小袋から正銀貨1枚を取り出し、手渡す。
ベンユ爺さんはニヤリと笑い、食堂を出てどこかから紙とペンとインク壺持ってきた。
食堂の椅子に座りなおすと、ペンをインク壺に浸し、さらさらと綺麗な文字で書き始める。
<急募 食堂手伝い 調理・配膳できる方 食事つき 給金月額銅貨30枚 詳しくは赤銅亭店主まで>
「一か月ほどでやめるかもしれないことは、書かなくてもいいですかね」
「そのことは後で話せばいいじゃろ。うまいこといって、イモの皮もむけないようなやつも来るだろうから、なにか試しにやらせてみてもいいぞ。あと、雇うかどうかはその場で決めず、ワシに相談してくれればどんな奴か教えてやれる」
亀の甲より年の劫。
私では思いもつかないようなことを、的確に指摘してくれる。正銀貨1枚なんて安いものだった。
今晩のうちに張り紙をしておいて、明日からどんな人が来るか楽しみに待つことにする。
人を雇うなんて初めてだし、新しい出会いがこの退屈な日々に刺激を与えてくれるかもしれないという興奮に、その日はなかなか寝つけなかった。
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