ここからはじめたいスローライフ


 メコアは、かつて栄えたメコア鉱山のためにつくられた鉱夫の町だ。

 メコア鉱山で銅がとれなくなると、多くの人々は町を去ったが、鉱脈が完全に尽きたわけではないので、細々と採掘を続けながら町に残る人もいる。

 3か月ほど前に廃坑に竜がでるという噂を調査するため、パーテイーでこの町を訪れたことがある。結局、坑道にいたのは竜ではなく大トカゲだったのだが、世界の果てのようなこの町を私はとても気に入ったのだった。

 背後にメコア山がそびえる、どん詰まりのこの町にわざわざ来るものはいない。人々はみな顔なじみだが、農村のように何世代も続く地縁があるわけではないから、よそ者であっても受け入れてもらえる余地はあるはずだ。

 先日泊まったメコア唯一の宿屋では、宿の主人である爺さんが、お客もあまり来ないし最近体の調子が悪いので宿屋を売り払って隠居したいとぼやいていた。軽い冗談交じりに、いくらなら宿屋を譲ってくれるか尋ねると、真剣に金額交渉をしてくるのに驚かされたのを覚えている。魔竜退治の旅が終わったあと、どうするか全く考えていなかった私は、将来この宿屋を買い取ってのんびり暮らせればいいなと真剣に考えたものだ。

 夕食を食べ終わり、パーティーのメンバーが部屋に戻ったすぐあとにはじまった、私との交渉は朝方まで続いた。

 宿屋の主人ベンユさんは、はじめヴィーネ金貨15枚なら宿屋の建物と権利をすべて譲り渡すといっていたが、最後はヴィーネ金貨10枚まで値下げすることに同意した。町では金貨1枚で大人が一年暮らせるらしいから、金貨10枚というのは、とてつもない大金だ。

 農家の次男坊であった私は、そもそも金貨なんてみたことがなかったし、銀貨を見ることもまれだった。神託で魔竜退治のパーティの一員となったとき、国王から実家と私にそれぞれヴィーネ金貨が10枚ずつ下賜かしされた。兄がその金貨をみて、今まで一度もしたこともないような笑顔を見せていたことを思い出す。私に渡された金貨で贅沢をする時間もなく、すぐに旅から旅の生活になったので、金貨は小さな巾着袋に入れて荷物の底に隠していた。さらに、旅の途中で食費の余りを少しづつ貯めたお金が金貨1枚と銀貨14枚と少し。戦闘ができないぶん、なにか役に立てることはないかと買って出た食事係だったが、野草をうまく使うことで食費を浮かすことができたのだ。そして、私はまったく役に立っていなかったが、怪物を倒した時の報奨金も金貨25枚ほどある。

 貧乏な農家の次男坊は、今や小金持ちになっていた。


 三ヶ月ぶりに訪れた宿屋の入り口は戸板で閉ざされており、木の板に<赤銅亭。御用の方は裏口へ>と書かれていた。裏口に回り、木の扉をたたく。


「すみません、誰かいませんか」


 大きな声でベンユさんをよぶ。ベンユさんは少し耳が遠かったようだったから、なかまで音が届かない可能性も考え、強く扉をたたいて、さらに大きな声でよびかける。

 はいはいという返事がきこえたような気がしたので、扉をたたくのはやめて耳をすます。

 奥から人が扉の方に歩いてくる音がきこえた。


「はい、ちょっと待ってくださいね」


 中からはっきりとした声がきこえ、扉が開かれた。


「いらっしゃいませ。泊りですか」


 ベンユさんと会うのは三ヶ月ぶりだが、こちらの顔を見て私のことをすぐに思い出したようだ。


「ああ、いつぞやのお客さん。今日もお泊りですか」


「お久しぶりです。そうですね、今晩も泊まらせていただきます」


「お連れさんは何人ですかな」


「今日は一人です。夕食をお願いすることはできますかね」


「今から支度するので、少し遅くなってもよければ大丈夫ですよ」


 久しぶりに温かいものを食べられることへの期待が、否応なく高まる。

 交渉は食事のあとにすることを決め、部屋へ向かうベンユさんの後に続いて宿屋の扉をくぐった。

 案内された食堂はほこりっぽく、長いこと使われていなかった様子がうかがわれた。

 かまどに火が入れられる音がし、しばらく待つと、ベンユさんが鉄の鍋と木の椀を手に食堂へ入ってきた。


「豆と地のものを炊いた料理だけど、こんなものでよければどうぞ」


 赤いスープを椀によそって、木の匙とこちらへ差し出す。

 豆がかなり煮崩れているので、いまあわてて作ったものではないことはわかった。昼食の残りか、夕食に食べようと思っていたものだろう。

 口に含むと、少し塩気が強かったが疲れた体には心地よい味だった。

 ベンユさんは、すぐに奥に姿を消し、こんどは籠に入ったパン、水差しと木のコップ、瓶に入った酒とおぼしきものをテーブルに並べた。


「酒はかなり強いですから、水で割って飲んでくださいよ。部屋を準備しますので、自由にやってください」


 おなかが減っていたので夢中で食べる。瓶から酒をコップに注ぎ、ためしに一口含んでみるが、焼けつくような刺激に驚き、おとなしく水差しの水で薄めて飲んだ。

 腹が膨れて人心地がついたころ、ベンユさんが戻ってくる。


「部屋は4号室をつかってください。部屋代は銅貨10枚、食事代はあとで清算させてもらいます」


 礼を述べ、本題にはいる。


「ところで、この前ここに来た時の話を覚えていますか」


「ここを譲ってほしいというはなしですかな。あんな話をされたのは初めてだったので、よく覚えてますよ」


「実は、主人から暇をもらいましたので」


「あー、あの騎士のかたですね」


 騎士というのは、おそらくテシカンのことだろう。たしか以前叙任されたというような話をきいたことがあるが、やはり私は従者のように見えたのだろうか。


「長年の勤めに、慰労だとまとまったお金をいただき、こういう町でのんびり暮らそうと思ったのです」


 老人は、面白そうに私の顔を見つめていった。


「こういうのもなんですが、あなたも変わったお人ですね。こんなひなびた町で宿屋なんて、まともに暮らしていくこともできませんよ。こんなジジイだから、かすみを食って食いつないでますが、年に数人しかお客のこない宿屋を買い取っても生きていけませんよ」


 わざわざ自分の不利になることを教えてくれるのには、なにか裏があるのだろうかとも思ったが、ふとあることに思いが至った。


「ひょっとして、この宿屋を売ると住むところがなくなってしまうとか、そういうことをご心配されているのですか?」


「いやいや、息子夫婦がこの町に住んでおりますから、まとまった金を渡せばちゃんと養ってくれるでしょうよ。まあ暇にはなりますが、最近膝の調子が悪いのでぼちぼち潮時かとも思っとります」


「私も、それほど金を儲けようとは思っていませんよ。旅から旅の生活に疲れたので、ゆっくりしたいんです」


 お互いに探るような言葉を交わすが、取引をやめるほどの問題はみつからなかった。

 魔竜を探しているなどというと人々を驚かす可能性があるので、いつもモンスター調査の一行と名乗っていたことも幸いしたのかもしれない。命がけでモンスターを追いかけていたものが、安穏無事な生活を望むというのは理にかなっているようにも思える。

 夜が更ける前に、赤銅亭しゃくどうていを買い取る話はまとまった。

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