2-3.日常3
「本っ当さ!なんで最近の男はこうなよなよしたのしかいないのかな!」
雨音は片足で立ち、飛行機のまねでもするように上半身を倒していた。両腕はバランスを取るために広げられている。美容のための運動らしい。このポーズは風呂上がりの雨音のお決まりだ。―あれだけキャーキャー言っていたにもかかわらず、男性アイドルは雨音のお気に召さなかったようだ。あるいは飽きたようだ。
「それ、答え期待してる?」
シャーペンをカチカチといじりながら未広は雨音に問いかけた。
「同意を期待してるわ」
場所は居間。二人とも自室を持っているし、勉強机だって持っている。しかし、未広は居間の方が集中できると台の上に教科書とノートと資料集を広げていた。少し古いが雨音から彼女が中学時代に使っていた資料集をもらうことが出来たので、置き勉が出来て楽だ。ちなみに、未広が格闘しているのは地理の宿題のプリントだった。
『今は地理からやるのね。私の時は歴史からだったわ』
と、いつだったか雨音には言われた。未広は一度勉強から離れて、音楽番組に出ていたアイドルグループを思い出す。ちらと入場シーンだけ見ていたのだ。
「・・・・まあ、確かに男って言うよりは男の子とか、下手したら女の子って感じだけど」
「でしょう?!渋さがないのよ!」
雨音は器用に両手を胸元に運ぶとぎゅっと握った。
「二十歳いってない男に渋さを求めるのもおかしいと思うんだけど」
未広は後ろにいる雨音を仰ぎ見る。雨音は上手く表現できないらしく手を振りだす。
「でも、こう、なんていうか、こう、頑丈そうな感じあってもいいじゃない!」
「まあ、蹴ったら折れそうだけど」
あの細さは心配になる。あれでバク宙などやってのけるのだ。失敗したらどうなるのだろう。
「でしょう?私たちの蹴りで吹っ飛びそうって本当軟すぎるのよ!」
「でも、試してないじゃない」
「そんなことして大事な青春時代を棒に振るほど馬鹿じゃないの」
「それを聞いて安心したよ」
未広は諦めてシャーペンを投げた。
(締め切りは明後日だし、今日はいいや)
「二人とも厳しいねー」
「お兄ちゃん!」
水でも飲みに来たのか、台所から通が顔をのぞかせた。雨音が顔を輝かせる。
「やっぱり、お兄ちゃんが一番かっこいい気がする」
「雨音はお兄ちゃんびいきだね」
通はおかしそうに笑う。それに雨音はむっとした顔をした。
「お兄ちゃんはもっと自覚持たないと!優しいからすぐ女の人勘違いしちゃうよ!」
「それは、雨音なんじゃないかな」
「両方です」
なんなんだこのシスコンとブラコン兄妹は。未広は頭が痛くなる。というか、どっちも正しい。この美形兄妹はこの町でも有名なのだ。実は隠れてファンクラブがあるのだと言う噂がある。それを聞いたときは恐ろしいとも思ったし、分かるとも思った。
「未広は宿題?」
偉いねーと言いながら牛乳の入ったコップ片手にプリントを覗き込んでくる。
「分からないから、今日は諦めちゃったけど」
「そうなの?」
そう言いながら通はプリントに目を通す。
「あー、俺、これ絶対知ってる」
「お兄ちゃん、覚えたもの全部忘れちゃったもんね」
「すごいんだよ。あんなに大学受験のために覚えていたものがさ、きれいにさっぱり消えてくんだよ」
牛乳を飲みながら、そう言う通の目は真剣でプリントを睨んでいる。
「これさ、絶対さ、あれなんだって」
うーんと唸る。
「教科書見てみれば」
雨音がポーズを変えて兄に提案する。
「でもさ、覚えてたってプライドがさ」
あと、アハ体験したいじゃん。と通は雨音を見る。そしてはたと思い至ったように言った。
「てか、雨音なら覚えてるんじゃないの?」
現役高校生じゃん。と兄に指摘され、雨音はふっと笑った。
「そんなもの、高校受験が終わったと同時に忘れたわ」
「・・・・・大学受験はどうするの?」
通は、不意に心配そうな顔をのぞかせる。雨音はやはり不敵に笑っている。
「その時どうにかするわ」
「古文の助動詞とか、覚えられてる?」
「それは、未来の私が頑張るわ」
「雨音。顔じゃ、大学には受かれないからね」
「水座波の一族ってことでAO入試とかで行けないかしら!特技はお祓いですって!」
名案とでも言いたげに雨音は二人を見た。黙って行方を見守っていた未広もこれには突っ込まずにはいられない。
「ちょっと!お祓いをそんなくだらないことに使わないでよ!」
そう叫べば、雨音も叫んで返してくる。
「くだらなくなんかないわよ!大学は大事よ!」
「あー、まー、水座波家の一員として祓い師というか、霊術師というか、それで食ってくって言うなら行かなくてもいいかもだけどね」
あははと通が渇いた笑いを見せる。
「じゃあなんでお兄ちゃんは大学行ってるの?」
雨音が至極まっとうな質問をする。通は遠い目をした。
「経済勉強したら、儲からないかなって」
「それで、儲かりそう?」
雨音の質問に、通はにぱっと笑って見せた。これは良い言葉は続かない。
「いやー理論ってすごいね。人間をさ、完璧に合理的な選択をする生き物と仮定して始まるからね」
「それ使えないじゃない!」
雨音が叫ぶ。通は首を横に振りながら肩をすくめて見せるばかりだ。
「俺、びっくりしたよ。驚きのあまり、その授業はいつだって寝てた」
「寝ちゃダメでしょう」
未広も突っ込みは忘れない。この兄妹はどっちもボケなのだ。油断していられない。
「大学ってすごいよ。教室広いから寝まくり」
「テスト、どうするの?」
「真面目な奴のノートを借りる」
「お兄ちゃん!」
しっかりして!と雨音が言うが、それはブーメランだ。
「この時期に助動詞を覚えようともしない人間に言われたくはないな!」
通がきらっと目を光らせる。うぅっと唸る雨音に、未広はため息をついた。
「・・・とりあえず。これは明日頭いい友達に聞く」
「あ、答え分かったら教えて」
「そんなに気になるの?」
「えー気になるよ。過去の俺が覚えてたことだもん。きっと重要」
「重要じゃないから忘れたんじゃないかな」
雨音がまた変なポーズを決めながら首をかしげる。それを身上げて通が言った。
「・・・雨音、毎日頑張ってるけど、それ意味あるの?」
「通さん。それ禁句」
え?と未広を見た通に雨音のキックが見事に決まった。―ああ、なんて平和な夜なんだろうと、風呂で悩んでいたことが未広は馬鹿らしくなった。
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